第18話 聖剣と儀式
時はほんの少しだけ前に遡る。
アースベルト侯爵家の長男、ジュリアンは聖女レスティーナとともに、ある場所を訪れていた。
それは王都グルガン正教会の背後を守るように存在する小さな山、セントガロード山である。
神が身を休める場所、と大昔から崇められる山の坂道を、聖女と共に登っていた。
「この山に来たのは初めてだよ。名のある貴族でも入れない聖なる山に、君と登れるのは光栄だ」
「勿体ないお言葉です。わたくしこそ、貴方様とご一緒できることに喜びを禁じ得ません。このような気持ちになったのは初めてですわ」
「それで? 僕にお願いしたいは何かな」
「幾つもの言葉を紡ぐよりも、一つの絵を眺めることで理解できることがあります。すぐに分かりますわ」
アースベルト家のパーティーで出会った聖女、レスティーナからお願いされたのは、この山に二人で登り、あることを試してほしいということ。
幾度となく、彼女のお願いとやらの詳細を聞き出そうとするが、答えは山の頂にあるとしか教えてくれない。
同時に、ジュリアンはレスティーナを口説いてもいた。しかし彼女は身持ちが硬いようで、多くの女性を落としてきた数々の文句が通用しない。
(簡単ではないほうが、燃えるというものだ)
ジュリアンは爽やかで活発な見た目の裏に、並の男子を軽く超える女好きの趣味を隠し持っている。
彼の目から見て、聖女はこれまで出会った中でとびきりの美しさがある。もし彼女の美貌に惹かれていなかったら、聖女の願いといえども聞いていたか分からない。
セントガロードは小さい山だったので、一時間ほど歩いたところで頂上に到達していた。
何もない場所かと思いきや、中央に林がある。何か意味深な見た目のそこへ、彼女は迷うことなく歩みを続けた。
「わたくしのお願いは、あれです」
「あれは……剣?」
林に隠された草原に、一本の剣が刺さっていた。白地に金枠の、いかにも高貴な雰囲気を漂わせているそれは、まるで新品同然に映る。錆や痛みはどこにも見当たらない。
しかしこの剣は、二百年以上前からここに刺さったままである。
「はい。グルガンの聖剣の逸話は、貴方様もご存知でしょう」
「聖剣だって? 勿論知っている! ここに現存していたのか。でもなぜあれを、この俺に見せた? まさか……」
聖女は薔薇の花を思わせる微笑みを彼に向けた。お願いしたいことが何か、ジュリアンにも伝わったのだ。
グルガンの聖剣とは、フリーズファンタジーの開始時点で、主人公が手にしている武器の一つである。
王都を襲う邪悪を打ち払う、選ばれし者だけが手にすることができるという、伝説の剣だ。
世界でこれまで何万という人々が、この剣の逸話に憧れたかは定かではない。多くの男たちが聖剣を欲し、自らに資格がないことを知り涙を流したという。
かつて、正教会から資格ありと判断された者は無数にいた。だが、どんなに怪力に溢れていても、どんな知恵者であっても、剣を抜けない者ばかりであった。
聖剣を手にするためには、何らかの資格が必要であることは間違いない。しかしその資格が何か、誰も解明できずにいる。
これまで聖剣を扱うことができたのは、歴史上たった二人しかいない。それだけに、手にすることができたなら……自分がもし三人目になれたなら。
そう思うだけでジュリアンの心は震えた。唾を飲み込んだことにすら気づかなかった。
手にするだけで一生の名誉を手にすることができる剣。レスティーナは彼に、その剣を抜いてほしいとお願いしている。
この大陸に生きる男にとって、願ってもない生涯一の好機であった。
「あの剣を引き抜いてほしい。そういうことか」
「はい。貴方様ならできます」
ジュリアンは迷わない。不敵な笑みを彼女に向けた後、すぐに白く淡い光を放つ聖剣の前に立つ。
深呼吸を二回。これまでの人生において挫折を経験したことがない男は、いつになく緊張していた。
握りに触れてみる。予想していたほどの重みはない。両手でしっかりと掴んでみたが、いかにもスラリと抜けてしまう気がした。
もう一度深呼吸。彼は必死に自分を落ち着けようとしていた。奥手の女性を口説いた時のように、慎重にやらねば拒否されてしまう気がする。
しばし時間が流れた後、彼はようやく決心する。ただ、静かに力強く、聖剣を引き抜きにかかる。
最初はびくともしなかった。手から伝わってくる感触は、抗いようがないほど強いものに思われた。
しかし、もう一踏ん張り。後少しで抜けそうな気もする。
「う、うおおおおおおお!」
彼は歯を食いしばり、全力で引っ張り続けた。だがビクともしない。剣は根が張ったかのように、強く大地に繋がれている。希望が絶望に変わろうとしている。
(この俺ですらダメなのか)
彼は初めて訪れようとしている挫折に、堪えようのない怒りを覚える。生来の諦めの悪さが手伝い、それから十分ほど挑戦は続いた。
聖女は彼をじっと見つめている。その顔には自信が満ちている。失敗など考えてもしていないように映る。
だが、さらに二分が経過した頃、ジュリアンは諦めかけていた。もう剣から手を離そうかと、そう思っていた時だった。
ふと、聖剣が強く輝き始めたのである。これまでとは違う、黄金色の輝きが彼の瞳に驚愕をもたらした。
「あ、ああ!?」
ジュリアンが叫ぶのと、剣が引き抜かれるのはほぼ同時だった。さらに剣が自由になった瞬間、黄金の輝きが天に昇っていく光景に度肝を抜かれる。
勢い余って転びながらも、彼は歓喜に打ち震えた。
「おめでとうございます、ジュリアン様。貴方こそ、わたくしと共に邪を払う宿命を持ち、世界に希望を与え得る唯一の存在です。今、それが証明されました」
レスティーナはしみじみと語り、瞳を潤ませながら頭を下げてきた。ジュリアンは夢見心地で、まだ呆然としたままである。
「あ、ああ……俺は神に選ばれし者だったのか。そうか……!」
「大司祭ハバル様がお待ちです。聖なる儀式のため、教会までお付き合いいただけますか」
どうやらまだやるべきことがあるらしい。ジュリアンに拒むつもりは全くない。輝かしい人生の始まりに、必要な手続きに違いないはずだから。
◇
「おお……! なんと喜ばしきかな。すぐに国王に伝えるとしよう。いよいよ迫り来る邪悪を打ち払うため、我らの救世主が現れたのだと」
教会にたどり着いた時、白い法衣に身を包んだ老人は、しきりに涙を流して震えていた。
邪悪を打ち払う者、という存在に必要なための儀式を行う必要があるという。
その儀式をするには、まだ沢山の準備が必要らしい。ここでジュリアンは、かねてより気になっていた質問を、司祭に聞いてみることにした。
「一つ確認させてください。貴方や聖女がいう、邪悪な存在というのは……具体的にどういった存在なのでしょう。魔物でしょうか。魔族でしょうか。または我々と同じ人間でしょうか」
「ふむ。ジュリアンよ。お主にだけ伝えておくことにしようか。ただ、これは絶対に他言無用だぞ。守れるか」
「勿論です」
大司祭ハバルは周囲を見渡し、誰もいないことを改めて確認してから、声を落としてささやいた。
「かの存在の名を、人々は忘れておろうが。我々は決して忘却できぬ。あの壁絵を見るが良い」
彼は聖女と共に背後にある——教会の出口上部に描かれている、勇者が魔物達を討伐する壁画を見上げた。
これは王都のみならず、大陸に住む人々であれば誰もが目にするものだ。教会には必ずこういった壁画が残されているし、そこかしこにある珍しくもない絵。
魔物達の絵には、目立って禍々しい存在が何匹がいるが、皆勇者の剣によって倒れ伏している。いずれも魔物を操る魔族と呼ばれる存在だ。
「二百年以上前、我らがシルヴァーナ大陸を支配せんと襲いかかった魔族達。禍々しき彼らのことを、知らない者はおるまい。奴らがどうなったのかも」
「英雄シーザに倒された……」
「だが、真実は違う」
「……え」
ジュリアンは思わず振り返り、しわがれた顔を凝視していた。
「たった一人、生き残りがおったのじゃ。それがこの大陸を、この世界を我がものにせんと暗躍しておる。そして神のお告げにより、奴が本格的に動き出すのが、今この時であるというのだ」
そんなバカなと、彼は思わず叫びそうになった。
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