2:とある浮浪児の記録②

鳩羽になった後、十人の恩寵を受けし者はとある一室に連れて行かれた。

九人の籠守が待つその場所で、僕らは自分の世話をしてくれる籠守を選べと言われた。

相手が何者で、どんな性格なのか、些細な情報すら与えられない。

一種の難題と言えよう。


「あう」

「朱鷺様は私が」


「どことなく浅葱に似てるし、貴方でいいわ」

「は、はい。椋様」


「…貴方にお願いしても、いいですか」

「勿論です、金糸雀様」


「よくわからないから、お主にしとく」

「う、承りました…翡翠様」


「けほけほ…と、とにかく誰でもいいですから、部屋に…薬を飲ませて…」

「で、では私が!」


次々と組み合わせが決まる中、僕は様子を伺う。

この際だ。誰でもいい。

誰に当たろうが、僕らはここでは絶対敵な存在。

籠守に命じれば僕らの要望は大体通るらしい。流石に尊厳を穢す真似はできないが。

まあ、とにかく。僕に不利な事は起こらない。


「残りは、自信がなさそうな子達と…綺麗な目をした方ね。うち、貴方にする〜」

「承りました、花鶏様」


「君、鍛えてるの?」

「護衛も仕事ですから」

「そっか〜」


花鶏は月白を選び、残りは二人。

そんな中、一人の少女が白髪の少女の元へ駆け寄った。


「お姉ちゃん!」


黒髪の少女…確か、鴉羽といったか。

彼女は白髪の少女を姉と呼び、嬉しそうに駆け寄るが…白髪の少女の顔は今にでも死にそうな顔だった。

この世の絶望を一瞬で、一身に受けた表情。

それに鴉羽は気がつくことなく、白髪の少女に抱きつこうとするが…それは僕の手で止めさせて貰った。


「…お姉ちゃん」

「まだ選ばれていないんだろう。だったら僕の籠守は君だ。君がいい」

「はい…」


そんな顔をした彼女を放っておけず、手をとった。

白髪の少女の手を無理矢理引いて、他の恩寵を受けし者が進んだ先へ向かう。


「なんで、なんでなんでなんでっ!」

「お姉ちゃんは、菖蒲のなの!菖蒲の!お姉ちゃんなの!取らないで!お姉ちゃん連れて行かないで!」

「なんで!お姉ちゃん!なんでいつも菖蒲のこと無視するの!お姉ちゃん!」


鴉羽の泣き叫ぶ声を、その背に受けながら。


◇◇


自信なさげに肩をすくめ、床をじっと眺めている籠守。

肩にかかる程の白い髪に紫が差した、愛らしい少女。

異質なのは、諦めきった目。

廃村でも見たことがないほどに暗いその瞳は、一寸の光すら通さない闇が浮かんでいた。


「成り行きで、僕と君になった訳だけど…」

「…何なりとお申し付けください。鳩羽様。貴方の命であるのなら、私は如何なる命令にも従います」

「僕、そういうの慣れないよ。使用人とかつくような家の出身じゃないし…」

「では、私はどうしたら…不必要であるのなら、自害いたしますが」

「それだけは絶対にやめてくれる…?」

「承りました、鳩羽様」


命令一つで、彼女の運命を左右できる。

それほどまでに当時の彼女は危うくて、選択を間違えればすぐにでも消えてしまいそうな存在だった。

丁重に扱わないと…。僕の命令や存在が原因で死なれてしまうのは、流石に堪える。


「…君、名前は?」

「白藤と申します」

「改めて、僕は鳩羽。いいかい、白藤。僕の命令は絶対だ。君は今から、僕の命令に従い続けるんだ」

「…承りました、鳩羽様」


「手始めに、敬語、やめよっか」

「え、そんな。恩寵を受けし者の皆様に…無礼な真似は…」

「全員にやれとは言ってない。僕だけに、君が普段のように振る舞う姿を見せればいい。後の連中には、接待をちゃんとしてやればいい」

「…しかし」

「僕の命令は絶対だよ、白藤」

「っ…!わかったわ!」


「いい子だね」

「…え?」


いい子、そう言われた白藤の目は酷く揺れていた。

敬語を外せと命令されても揺らがなかった彼女は、ごく普通の子供ならば言われたことがあるような一言で揺らぎを見せた。


「どうしたの、白藤」

「ううん。何でもない。部屋に案内するわ。ついてきて」

「ああ。あ、手を取ってくれないかい?恭しく扱われてみた〜い」

「…変な人」


白藤は恭しく僕の手をとって、ゆっくりと歩き出す。

これが僕と白藤の出会い。

当時から壊れかけていた彼女と僕は、こんな命令から始まって、九年間を過ごし続けた。


「白藤、僕を追い出したと思いきや、その隙に一人で部屋を綺麗にしたの?」

「流石に仕える主人に掃除をさせる真似は…」

「命令。僕らは主従であるが、対等な存在である。そう認識してほしい」

「…わかったわ。次はちゃんと、掃除の時間になったら、呼ぶ」

「ありがと。君一人に負担をかけさせられないからね。僕らの生活なんだから、二人で協力しよう」


「…私は従者よ?」

「それでもだよ。この部屋は言わば僕らの家だ。住んでいる人間が綺麗にするのは当たり前だろう?」


「…でも、家では。役立たずの仕事だと」

「家でも掃除をしていたの?こんなに綺麗にしてくれているんだ。家も凄く綺麗なんだろう。君の家族はこんな贅沢をしていたなんて!」

「そ、そこまで褒めるの…?」


…役立たずという言葉は、あえて聞こえないふりをした。

月白がよく心配して彼女の様子を見に来た際に教えてくれたのだが、白藤は親から愛情を受けずに育ったそうだ。


鴉羽…菖蒲は白藤の妹で、天才と呼ばれる才女。

あんなクソガキだが、既に政治に携わり、その知識を惜しまず提供しているらしい。

そんな鴉羽は逆に親の愛情をたっぷり受け、甘やかされて育った

白藤は両親が鴉羽を甘やかす中、疎かになっていた家の事をやる存在。

掃除も洗濯も、料理も…家計の管理も何もかも、彼女の仕事。


白藤も優秀な子供であるが、鴉羽と比較したら劣る。

彼女は、比べてはいけない存在と比較され…誰からも褒められず、感謝もされず、何でもできるのが当たり前とし、強要される生活を送ってきたそうだ。

色鳥社に、籠守になったのも、鴉羽の教育に心血を注ぎ、仕事をしなくなった両親の代わりに稼ぐ為だというじゃないか。

…反吐が出る。


「…なによ、鳩羽。頭を撫でて」

「僕は主として不出来かもだけど、共に過ごした時間だけは、無駄とは言わせない」

「…?」

「僕の時間の全てを、君にあげるよ」

「いらない」

「えぇ…」

「貴方の時間は、私にあげるほど軽いものじゃないでしょ?」


あの日、手を引いたのは偶然だった。

けれど僕は、手を引いたことを後悔はしていない。

どこまでも自分を下に見てしまう君のことは嫌い。

でも僕は、君の頑張り屋さんなところも、変なところも全てが愛おしく思うんだ。

僕の手で、君を幸せにしたいと願うほどに。


そんな君が自由に、心から笑える時間を掴めるように…僕の全てを捧げて、君の未来を変えて見せよう。


残り一年、頑張るからね。白藤。

僕がいなくなった先でも、君が笑っている未来を想像したら———。

———僕は、なんだってできるんだ。


◇◇


時は少し戻って、私が間違ってしまった日のこと。

鳩羽はいつも私の事を見てくれる。

あの人達とは違う。いつも目を合わせて話をしてくれる。


「白藤、僕は今お腹がペコペコだよ。鳥籠に帰る前に食べて帰ろうよ」

「いいわよ」


お腹が空いたなんて嘘でしょう?

貴方、さっきまでサンドイッチバクバク食べていたじゃない。


私のお腹の音でも聞こえたのかしら。

限界だと訴えるように、くるくると唸るお腹に手をあてて、私は鳩羽へついていく。


「今日は和食の気分〜」

「…」


私が好きな、和食が食べられる場所。

貴方、いつも「洋食正義」「オムライス作って〜」「卵料理だぁいすき〜。特にオム」とか言っているじゃない。


好きなものを好きな時に食べられる立場。

食べろと言えば、私はどんなものでも食べる。

どうして私が好きなものを優先させるの。

私じゃなくて、貴方が食べたいものを食べてよ。


「ど、れ、に、し、よ、お、か、な。し、ら、ふ、じ、の」

「言うとおりにしなくていいから。自分で決めなさい」

「そういう白藤は、さっきっから本日のおすすめしか見てないね」

「…こだわりとか、好みとかないもの。選ぶ時間も惜しいし、おすすめでいいかなって」

「相変わらずだね君はぁ…わかった。店員さん、本日のおすすめに書かれている料理とお酒を二人前」


貴方、お酒苦手じゃない。

どうして今日はお酒を頼むの?

私が、メニューのお酒をじっと見ていたから?

そんな訳ない。私は…無意味なものだもの。


苦手なものを摂取してまで、私の好きなものを飲ませる理由。

わからない。どうしてなの、鳩羽。

どうしてお酒を頼んだの?酔いたい気分なの?

貴方すぐ酔って吐くじゃない。

…なんで、お酒なんて頼むのよ。

私の願いなんて叶えても、貴方には何の得もないじゃない。


「ひっく」

「もう…案の定じゃない。気持ち悪くない?」

「へいき〜」

「鳥籠、帰れそう?」

「おとまりがいい〜」

「まあ、この千鳥足じゃ無理でしょうね。宿を確保してくるわ。大人しく」

「しらふじといっしょ〜」

「…私と一緒にいたって、楽しくないでしょ?」

「楽しいよ。世界一楽しい。ふへへ、しらふじぃ、だかせろ〜!」

「いいわよ」

「やったー」


鳩羽、私は貴方がわからない。

どうして優しくするの?

どうして甘やかすの?

どうして愛情を注ぐ真似なんてするの?

私にそんな価値はない。

あの人達みたいに使えばいいじゃない。

家事をしろ、金を稼げ、命令を聞け。貴方に言われたら、私は何だってするわ。

それが私に求められていること。


命令を聞いて、遂行して、それを果たす。

それができない私は、不必要な存在。

そう、あの人達に言い聞かされたもの。


「…そっか。抱かせたらいいのね」


宿屋に到着した私は、彼女の命令を遂行する。

抱かせる意味を抱擁に取らなければ、私は彼女に使われることができる。


「しらふじ?」

「鳩羽、汗をかいているわ。服、脱いだ方がいいと思う」

「んー」


酔いが残るぼんやりとした目で、服を脱ぐ。

それぐらい任せてくれていいのに。


「ねえ、鳩羽。気持ち悪い感じで今夜は寝かさないぜって言ってみて」

「ふへぇ…しらふじぃ、こんやはねかさないぜぇ…。こんなかんじ〜?」

「そう。それでいいわ。これで私は、貴方に使って貰える」


「んー?ところで…白藤、なんで裸なの?」

「貴方の命令を遂行するため。今夜は寝かさないって、そういうことだから」


肌を密着させ、空気を作り出そうとするが…鳩羽には効かない。

ぼんやりとしたまま、私に布団を掛けて…一緒に横になった。


「人肌のぬくもり…僕、初めてだなぁ…」

「…」

「話したっけ。僕、孤児で…親の顔とか知らなくて、人肌のぬくもりってやつに憧れていたんだ。白藤が最初にくれる人なんだね。あったかい」

「…」

「優しくて、ほっとする。僕の帰りたい場所…大好きな、人の…」

「…っ」

「…すぅ」


服を脱いだまま寝てしまった鳩羽の隣。

私は彼女と肌を密着させる。

隙間なく、しっかりと。一つになるように。


「…知らない」


大好きなんて言葉、私は知らない。

貰ったこともない。

鳩羽が私の事を好きだなんて、あり得ない。

だって私は、貴方に何もしていない。

貴方に価値を示せていない。


なのに、どうして…

どうして貴方は私を好きだなんていうの。

どうして私は…貴方の側でぬくもりを感じているだけで幸せだと思ってしまうの?

わからない。何もかも分からない

分からない。分からない。分からない…。


答えを見つけてしまったら、何かが壊れてしまう気がして…答えを出すことから目を背けてしまう。

次の日の朝のことも、翌日も、それ以降の事も…私はよく覚えていない。

ただ、覚えていることは…私と性交渉をしたのだと思い込んだ鳩羽が、この世の終わりみたいな顔で私を見ていたこと。


「どうしてそんなことを…僕は、君にこんなことを望んでは…」


鳩羽が絞り出した声は聞こえない。

ただ、貴方にそんな顔をさせた自分が許せなかった。

心から、馬鹿で醜悪で…。

いっそのこと、何もかもなかったことにして、死んでしまいたいと思ってしまった。

消えてしまいたい程の失敗を、私は犯したのだ。


そこから先の記憶は、一切ない。

毎日ぼんやりと、薄闇の中を歩き…鳩羽が時折呼びかけるけれど…声はどこか遠くて。私のところまで響いてこない。

自分の感情を理解せず、ただ己の価値を示すために動いた女は犯した罪から逃げるように、殻へ閉じこもった。


鳩羽と妹が遭遇したのは、私が心を閉じ込めてしまってから数日経過した、昼下がりのことだった。

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