第12話 ダイヤモンド
ルビー、サファイア、トパーズ、エメラルド。
それから。
イエローダイヤモンド、アクアマリン、ルベライト、ガーネット、ブルートパーズ、ラピスラズリ。
「──ダイヤモンド」
名前を上げたらキリがない。
もう指折り数えることも出来なくなってしまった。それもこれも誰かさんのせいである。
「·····嫌い、だったんだけどな」
本当に、随分と宝石にも詳しくなってしまったものだ。サナトリウムに来る前のソラが聞いたら、やっぱり鼻で笑うのだろうか。
『さぁ、ここが君の墓場だ!終わりだ、始まりだ。そして、今から私が、君の居場所になる!』
あの日から、何かが大きく変わったわけじゃない。
この奇病は治らない。
寿命が延びるわけでもない。
少なくともまだ、この奇病の治療法は見つかっていない。
日に日に病に蝕まれ、やがてソラはこの場所で死にゆくのだろう。
それは、ソラだけではなく、メルも同様に。
見知らぬ人間一人を助けるために、見知らぬ誰かが必死になって研究するわけもない。
【ララット】の院長がすすんで、二人を助けてくれることもない。
ソラがこのサナトリウムを出て、家に帰ることも、やっぱり二度とはない。
けれど、それでいいと。
それがいいと、今は思えるのだ。
「ソラくん、ダイヤモンドを贈る意味って、知ってますか?」
窓の外を見る。
高窓から射し込む光は、宝石を散りばめたように床を照らし、 病室の壁に淡い虹を描いていた。
サナトリウムの庭には、色褪せた白亜のアーチがあった。蔦に覆われた回廊を風が吹き抜け、花々を優しく揺らしている。
「知ってる」
薬の匂いに混じるのは、ラベンダーの甘くて優しい香り。
メルが今朝一番に摘んでくれた花だ。
ここは、終わりの場所でありながら、 最期の一時まで、きっと美しいのだろう。
「変わらぬ愛と、永遠の絆、だろ?」
彼女が意味ありげに悪戯っぽく言うものだから、ソラはにやりと笑ってみせた。
「あぃ·····!?」
彼女はすぐにその笑顔を崩して、わなわなと肩を震わせる。その頬は真っ赤なりんごのように熟れている。
「そ、そそそっ、ソラくんは、知っていてあれをっ!?」
「悪いかよ」
「わ、わるくは、ないですけどぉ·····」
耳まで真っ赤にして、彼女は居心地悪そうに指先を動かす。
「素直に喜べ」
「喜んでますよおっ!」
午後の陽光が窓越しに差し込み、埃の粒が金色に舞っている。どこか幻想的なその光景は、まるで異国の聖堂に差し込むステンドグラスのようだった。
けれど、それは美しいだけの場所ではない。
祈りだけで賄える絶望ではない。
この静寂に包まれた施設では、いくつもの命が蝕まれていく。
誰かが今日を生き延び、誰かが明日を迎えられずに消えていく。
ここにいる者たちは、いつか静かに崩れていく脆い者達だ。
それは、ソラも例外ではない。
【宝石病】。
それは希望を削ぎ落とす病。
やがて、溢れる涙は宝石へと変わる。
皮膚が硬質化し、血液は結晶へと変化する。指先が、腕が。そして、いつかは心臓さえも宝石へと変わっていくのだ。
光を反射して煌めく宝石のような病巣は、美しい程に残酷だった。
誰も助からない。
誰も、逃げられない。
それでも。
確かな温もりが、いまここにある。
隣に、彼女がいる。
それだけで、世界は随分と輝いて見えた。
「ふふっ、今日も幸せですね」
「当たり前。でも、明日は、もっと幸せだよ」
ぽろり。
瞬き一つ。
ソラの瞳から零れたのは、無色透明な石。
ダイヤモンド。
嬉し涙の宝石は、きらきらと光を散らして空へと瞬く。
メルがそっとその欠片を拾い上げる。
指先に乗せたそれは、まるで星を摘んだように、静かに光を湛えていた。
「メル」
名前を、呼ぶ。
「なんですか、ソラくん」
彼女が応える。
穏やかな声だった。
それはけして、望みを捨てた声ではない。
「〜っ、呼びたくなっただけ!」
ソラはゆっくりと瞬きをする。
涙の跡が、頬に煌めいて溶けた。
宝石の涙は、広い世界の中から、この小さく不自由なサナトリウムを選んだ。
その半透明な煌めきの中で映し出されたのは、宝石を砕いて描かれた、この世界でたった一つの、唯一無二の絵。
ソラが描いた彼女への贈り物だ。
その隣には、ダイヤモンドの欠片が二つ。
チェーンを通したことで、なんとかネックレスと呼べる代物になったそれは。
彼女へのもう一つの贈り物だった。
ソラの流した唯一無二の宝石。
それを身につけられるのは、彼女たった一人。
そのネックレスの先には、少し歪にカットされたダイヤモンドが輝いている。
パズルみたいに掛け合わせてみれば、それは二つで一つの輝きになった。
一つでは何もなせずとも。
二つ合わされば、それは輝きになる。
それを、希望と呼ぶのなら──。
不器用で、拙いタッチで描かれた絵の中。
少年と少女が、宝石箱のような海を背にして、いつまでも幸せそうに笑っていたのだった。
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