第6話 片隅の展覧会

 月例会は絵画研究会により月に一度必ず実施される活動らしい。

 部員同士で絵画を批評しあうのが主な目的だけれど、他の生徒ももちろん鑑賞できる。けれど見学者がいない場合が殆どだ、といろはは言っていた。つまり、春休みの間もそれは実施される。

 ある意味で気楽な会だからと聞いてはいたけれど、それでも数人くらいは見にくると思っていた。けれど、まるで無人だ。

 準備室に留守番の会員がいる。来たらノックしてね、この水曜と木曜は必ず私がいる。そう言われていた。

 パートナーになることを前提とした友達、という結との関係は。

 大人たちにも同級生にも詳らかにできる内容ではないと思う。あまりにも急ぎすぎていて。結の熱意を知った今となっては、この会に結をいれていろはとの仲を見守ろうなんて甘い考えは砕かれている。

 となれば、いろはと距離を置くしかない。

 かといって、いろはの気持ちを無碍にしたくもない。いろはにだけは、事の次第を打ち明けようと思っていた。ただ入会しないというだけでなく、結との関係を伏せておくのも不実だ。

 そのせいでいろはは動揺するかもしれない。でも、黙っておくこともできない。

 私はともかく、結の気質からして、いろはの望まない形で彼女が私たちのことを知ってしまう可能性もある。

 だったら――

 私は決然とした目付きでそのドアを見る。扉は少しだけ開いていた。

 その奥にきっといろはがいると思うと決意が怯む。けれど、めらめらした気持ちと相反して準備室からはまず人の気配が感じられず、不安になってきた。その中を覗き見る。

「えっと、いろは、いる? 見にきたよ……?」

 人は、いた。物の積み重なった奥のスペースに教員用の机があり、堂々とそれを使って食事している人がいた。

 オープンサンドイッチを今しも齧ろうとしていた彼女は、目を丸くしてこちらを見た。多分、絵画研究会の会長だ。

 一学年上の全くつながりのない先輩で、初対面で、しかも食事風景。私は思わず謝って、失礼しましたと告げて引っ込もうとした。けれど、その人はサンドイッチを紙皿に置くと勢いよく立ち上がった。

 目を輝かせてこちらに歩いてくる。

「いろはちゃんの友達?」

 あ、声がかわいい。メルティカラーの内巻きのセミロング。無邪気な笑顔で歩み寄ってくる。ぎゅっと両の手のひらを握り締められ、笑顔が間近に迫る。

「見に来てくれたの?」

「あ、あ、はい。すみません、お邪魔してます。いろはがいると思って……」

「あの子、お姉さんが風邪引いたらしくて。家にご両親もいないから代わりに付いててあげたいみたい」

 私は目を瞬かせる。これは、あとでお見舞いのメッセージした方がいいかも。

「大丈夫なんですか?」

「大したことないみたい。けど、お姉ちゃん子だからね」

 愛しげにそう言って笑う。

 その人は、見たところ年上に見えない。下手したらまだ中学生、でも通じそうなくらいのあどけなさ。けれど、急遽いろはの代わりに来た時点で、この研究会への愛が伝わる。

「ほうじ茶と緑茶、どっちがいい?」

 美術書のぎっしり並んだ本棚の影に給茶機があった。緑茶をお願いしたら、紙コップにお茶を入れて渡してくれた。

「ありがとうございます」

「教員用だけどね。先生もいちいち口出ししないから。ゆっくりしてって」

 ありがたくご相伴に授かる。

 彼女はオープンサンドに戻って、私は準備室から引っ込んだ。

 窓の外に目を向けると春の陽射しが降り注ぎ、桜が風に揺れている。花びらがひらひらと落ちて、空を気まぐれに漂い風に吹かれて舞い上がる。まるでそれこそ絵画みたいに。

 燃え上がっていた決心もひらひら砕かれていく。

 しばらくぼんやり絵を眺めたけれどいつまでも他に見学者の訪れる気配はない。貸切状態で、素朴だけど、贅沢な時間になってしまった。

 展覧会といっても、脚立が三つ置かれていて、その上にキャンバスが飾られているきりだ。額にすら入っていない。ひとつはいろはの絵で、残りは恐らく先輩が描いたものだ。

 それはいわゆる抽象画で、物を直接描いているわけではない。光と色の集合体で、見ていると清新な気持ちになる爽やかな画風だ。これが、あの小柄な先輩の目を通して切り取られた世界だと思うと感動する。

 本人の雰囲気とギャップがあるけれど、透明感は彼女そのものだ。それに並ぶいろはの絵は、打って変わって風景画だった。公園で描いていたあの桜の完成図。

 下絵の時点でも驚いたけれど、色がのってみると桜の淡さと儚さがリアルで、いつまでも見ていたくなる。いろはらしくて優しい雰囲気。

「……すごい」

 ぽつりと漏らす。どちらも、私と同じ学生の作品と思えない。

「気に入った?」

 振り向くと、背後に先輩が立っていてこちらを見てにこにこしている。

「気に入ってくれたんなら嬉しい」

「見ていて、気持ちいいです」

 言葉足らずを自覚しつつも伝えると、彼女は嬉しそうにする。

「エマちゃん、だっけ」

「はい。昭島です。昭島映真」

「いろはから聞いてるよ。絵が好きって」

「えっ、あ、はい。好きです」

 あ、しまった。もしかしたら、これは。

「でも、あ、人並みにって感じで……」

「そんなに警戒しなくてもいいのに」

 彼女のほっそりと白い指がカンバスを指す。

「私たちの研究会の目的は、あくまでも絵画の研究なの。描くだけで終わりじゃない。でも、そんなに堅苦しいものじゃないのね」

 先輩は更に一歩踏み出して、カンバスの前に立った。作品の向こうの窓を示す。

「あの窓から見える光景、綺麗だと思わない?」

「綺麗、ですね」

「私ね、この美術室や準備室、この窓から見える風景が好きなんだ。本当は学校自体が苦手だったけど、先生にすすめられてこの研究会を立ち上げて放課後好きに使わせてもらえるようになって、少し好きになった」

 警戒を抱いていたはずなのに、熱心に語る彼女の熱に引き込まれていく。

 それはまるで彼女の絵のように透明感に満ちた激しさ。

「だから、ここで過ごす時間を一緒に楽しんでくれるだけでもいい。絵を見てくれるだけでもいい。ね、映真ちゃん」

 乳白色の手にふわりと手を握られた。肩を揺らし、背伸びするようにしなければ私と彼女の目線はあわない。けれど、ぐっとこちらを見上げてくる。親に餌をねだる小鳥のように無心な表情で。

「絵真ちゃんも、この研究会に入ってみない?」

 言われると、思った。

「きっと楽しいよ。いろはの友達なら、私も安心だし」

「それは、その。確かに友達ですが、ただ、その、私、自分では描けないしただ眺めているだけしかできないですし」

「でも、絵が好きでしょ?」

「みるのは、好き、ですけど」

 私の考えを見透かすように、先輩の声が響く。

「あくまでも研究会であって、鑑賞だけでも資格はあるの。春休みの一日を使ってわざわざ見に来てくれただけでも、うちとしては充分ありがたいの。入ってくれたら歓迎する。今はまだ同好会として成立しているけれど、来年、私が卒業したら会ですらなくなっちゃうから……」

 あ。

 そっか。

 そう言われてみれば、そう。

 部として昇格できるといろはは言っていたけれど、それ以前に人がいなければ会すら成立しない。

 そしたら、いろははどうするんだろう?

「描くのが好きな人がいれば、見るのが好きな人もいるもの。どちらが欠けても作品は完成しない。描いた人の想いを受け取る人がいてこそ作品になるの」

 う。

「ね、お願い」

 うう。

「だめなの?」

 ううう……。

 どうしよう、こんなにまっすぐな目に見つめられたら無碍に断れない。しかも、いろはと私とはちょっとした対立関係にあるかもしれないことを仄めかす、なんて。そんな個人的な事情でこの純真な先輩の居場所を危うくするなんて、惨いことできるはずがない。

 でも、だからってあっさり頷くわけにもいかなくて。

「あ、あの、そこまでは考えて、なくて……! 今日は、その、ただ絵を見にきただけなんです」

 それだけ精一杯伝えると、先輩は呆けたようになり脱力する。

「そ、っかあ。そうだったのね。ごめん、私、急にこんな話をしちゃって……」

 先輩は桜の揺れる風景を目に焼き付けるように眺め、小さく呟いた。

「諸行無常の響きあり、だもの……いずれどんなものも形あるものは無に還るものね。私が卒業したあと、いろはが一人になったとしてもそれが世の常だものね……」

 ううううう。

 虚無感すらその背に漂わせる忙しいその人に、私は気圧される。

「じゃ、じゃあ、こういうのは、どうですか?」

 その妥協案が、どう転がるかもわからないままにある申し出をした。

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