第5話 解釈違いと春の空
「映真……映真、起きて」
真上から声が聞こえる。目を覚ますと、結に真上から覗き込まれていた。縁側に寝転がりながら、結をどうやって絵画研究会の行事に誘うものか悩んでいたのに。
日差しがぽかぽかと暖かくて眠りに落ちていたみたい。おなかのあたりにひざ掛けがかけられていた。結が気遣ってくれたみたいだ。
「結……」
「風邪引いちゃうよ」
うあ。
間近で見ても顔の造りが良すぎて緊張する。蔵に置かれた外国の女神や英雄の塑像をモデルにデッサンに励んでいるけれど、この子こそ彫像になりそうな美麗な顔だ。
見慣れてしまっているので今更それくらいで振り回されたりしない、けど。
起き抜けに迫られると夢の続きみたい。
「よいしょっと」
「え? え?」
ぼんやりとしていたら、結がこちらの背中の下に腕を差し入れてきた。そのまま体が軽々宙に浮く。
「えええーー! な、な、何してるの!」
「何って? 眠そうだからベッドに運んであげようと思って」
これって。これって、お姫様抱っこ?
ていうか。ベッドって?
完全に目が覚める。
確かに結は昔より身長も伸びて、筋肉も女の子にしてはやけについてる。絵画は体力勝負だからって朝晩鍛えてるせいだろう。だからって運動部の子たちほどに強張った感じじゃなく、こうして触れてみるとわかる、くらいの弾力だけれど。
ここまで力がついてるなんて思ってなかった。
じゃなくて。
この体勢だと、体をすっかり委ねてしまう。顔も近くて逃れようがない。こんなこと、されたら。
「お、おろして! 結、ストップ!」
「え……」
身を捩ったら、結は驚いて立ち止まった。
「どしたの?」
え? この子、わかってない?
しちゃだめなこと、って理解してない。叱られた子犬って表現ぴったりの顔で更に見つめてきた。
「と、とにかく、おろして……」
結は静かに私をおろして、床の上に立たせてくれた。青ざめた表情で。
「何が駄目だった?」
何が駄目か説明しないとわからない、なんて、天然そのものすぎる。
焦燥にはやる胸をなんとか落ち着かせて見上げると、結はしょげかえって私を見ている。まるで意識していなかったみたい。
その雰囲気に飲まれそうになりつつも、しっかり伝える。
「つまり、その、接近しすぎっていうか……付き合ってるわけじゃないから、今みたいなのは駄目!」
「……ごめん。こんなところで寝ていたら風邪引かせると思って」
「それはそうだけれど、いきなりすぎる」
こんなことにならないように逃げていたのに、油断も隙もない。
「もしかして、ここのところすれ違い続けてたのって私を避けてた?」
しょげかえっている結には申し訳ないけれど、これは気持ちを伝えるチャンスかもしれなかった。今なら、しっかり言えるかも。
座って話そうと私は伝えて、縁側に並んで腰掛けた。
さっきまで暖かかったけれど、空気は妙にひんやりしてる。いつしか曇り空が広がっていた。結が心配するのも無理はない。春の天気は変わりやすい。庭の草木すらどこか静かだ。私は視線を落とし、足元の土に散らばる桜の花弁を見つめた。
「ごめん、結。改めて伝えるけれど、諦めてほしいの。友達であってほしい」
「……。……」
私の真剣な言葉に、結は俯いた。
「中学時代に別れたときも、そういう言い方だったよね。映真は」
確かにそう。
『友達に戻りたい』
別れの言葉は同じだった。
「その後、一昨年は映真が受験で忙しくなって、去年は私がそうで時間とれなかったけれど、たまに
朱莉は母の名だ。私が彼女のお母さんを名前で呼ぶように、結もそうしてる。
「別に、絶縁したいわけじゃない、から……」
「でも、無理。映真がかわいくてならない」
私の手を握り締めて、結はこちらに身を乗り出してきた。
間近でうす淡い瞳が光る。吐息が触れ合いそうなくらい、近くに。
逃げられない距離で両腕のうちに体を囲い込まれていた。
「どんなに友人のふりしていても、映真が自然に接してくれるほど後で苦しくなったよ。同じ高校に入って一緒にいたら、またそんな気になってくれるかなって思い至って受験も頑張った。合格したら、春休みにうちに来てくれるって聞いて、もしかしたらって舞い上がって――」
え、それって。受験先を、私のために決めたってこと?
そっか。合格したから私が振り向いてくれた、って思ったんだ。
でも、そもそもそんな話すら聞いてない――。
そこまで思いつめるほどに追い詰めていたとは思ってなかった。
「でも、そうだよね。もう、映真は私のこと何とも思ってないから……だよね。だから考えた。別れた理由、女同士だったってやつ。それは私にはどうしようもない。でも付き合いが子供じみてた、って部分なら、そこは大人になれるかもって」
「お、大人、って……?」
「映真……」
待って。確かに、子供同士の付き合いとは言ったけれど。
身を乗り出してきた結に気圧されて、私は仰向けにされてしまう。真下から見上げる結の目が、髪が、静かな風に晒されて揺らめく。どうしよう。
なし崩しに、こんなことされるのは――!
ぎゅっと目を閉じて身を強張らせた。結の腕の檻のうちで動けなくなる。
静寂。
「映真。こっちを見て」
低い声で囁くように名前を呼ばれ、私は駄々っ子みたいに首を横にふる。
「無理っ……」
「見てもくれないの? 証明を」
庭の木々の枝先にとまった鳥が囀るのが聞こえて、私は正気づいた。
え? 証明って、何のこと……?
目を開くと、ずいぶん永い間持ち歩かれていたらしい、けれどきれいに畳まれた跡のついた一枚の紙が広げられていた。そこにはシンプルながらも品のある花模様で彩られた文字でこう書いてある。
『パートナーシップ証明申請書』。
私の頭のなかから焦りと不安がかき消えて、代わりに疑問でいっぱいになる。
「え……? ええ?」
それが各地域の自治体が同性間パートナーに対し結婚制度に準じる権限を与える証明の申請書、ということはわかった。絵真は照れくさそうにその署名欄を指し示した。そこには彼女の名前が記されている。
「これで伝わった? 大人になる覚悟」
私に二の句が継げるはずもなかった。ぽかんとしていると、彼女はまた何か焦りを覚えたのかスマートフォンを取り出した。
「もしも別の土地がいいなら、ほかの場所も調べてあるから」
そこにはパートナーシップ制度を設けている自治体のリストが表示されている。
大人になるって、そういう。
そういう意味?
「ふ……ふふっ……」
気が抜けるとともに、自分の焦りが恥ずかしくなる。
安堵して、緊張が弾けて、ついに私は笑いだしてしまう。
「もちろん今はまだ早いけど高校を卒業したら考えてほしい。絵真。大人になってからでも、何ならいっそもっと年をとってからでも、おばあさんになってからでも、気長に待つから――」
「待って、待って、結。どうしてそこまで飛ぶの?」
言い募ってくる彼女に制止をかける。
こんなに想ってくれているのに、諦めてとか、友達のままでと伝えるのは確かに酷だ。
でも、だからって、私もどうしたらいいかわからない。
中学生のときは、本当に何も考えずにただ一緒にいられたら良かった。
大好き、って思っていた。
けれど、高校生ともなると、たった今もお互いの意図がズレていたみたいに。
好きって気持ちに色んな要素がくっついてくる。
それに、付き合っていたときの、その、大好き、は。
少なくとも今の結みたいにこんなに熱のこもった気持ちとは違っていたかもしれない。
本当の恋を、私は、まだ知らないのかもしれない。
だからって、あっさり受け入れてしまって、また結を振り回したりしたくない。
「とりあえず、君の気持ちは、わかった……」
「え、じゃあ……」
「ま、待って! だからって、いきなりやり直すっていうのじゃなくて!」
どう表現したら伝わるんだろう?
「えっと……恋人を前提として友達になるっていうのは?」
月並みな言葉になってしまった。
「え? でも、もう、私と映真は友達ではあるよね?」
「そ、そうだけれど、でも、恋人を前提としてっていうところが違う」
今はそれがお互いのために最適な提案に思えた。
でも、こんな言い方で結は納得してくれるかどうか。
「本当だ……ぜんぜん違う」
意外にもあっさりと理解して受け入れられて、逆に私の方が不安になってくる。
でも。
「映真と一緒にいていいし恋人になる可能性が少しはあるってことだよね?」
無邪気に喜ばれて、幸せそうで、それ以上、何も言えなくなる。
「ありがとう、映真」
「えっ……」
じゃれつくように抱きしめられ、私は慌てて引き剥がした。
「接触は禁止!」
「どうして?」
「だ、だから。恋人じゃないうちは、無闇に触ったり……今みたいなのはだめ」
「でも、今までも別に普通にくっついたりしてきたよね? 友達でもだめ?」
「……。……」
結の素朴な疑問に答えられるかといったら。
答えられるほど、詳しくない。
私にもその境目はわからない、かもしれない。
「本当だ……どうしよう」
お互いに顔を見合わせてしまった。
「じゃあ、映真。とりあえず、触るときは許可をとる。それで、映真がだめだったらだめってことにしよ」
「う、うん。とりあえず、そんな感じで」
これでいい、よね?
何となく押し流されたような気もしないでもないけれど、これなら、きっと安全。
……だよね?
ちょっと不安が残るけれど。
風が吹いた。桜の花びらが互いの間を舞う。
結が優しく微笑して、それがやけに幸せそうで、少なくとも妙な心配をするのはよそうと思えてきた。
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