07


「最近の調子はどう?」と彼女は言った。


 丁字路を左に入った後も、未だに彼女の名前は思い出せないままだった。靄のかかった感覚に鬱陶しさを覚えながらも、それをはっきりするための質問を彼女にぶつけないまま、無言で歩き続けていると、確かに彼女はそう言った。


 互いに雪の残骸を踏みしめた音が聞こえた。外気温が冷たい環境の中、未だに雪が解けることはないらしい。靴の先で体温が絡まる部分では、徐々に小さな闕所はほどけ始めていて、それは液体となり、靴下の底にまで浸透するような冷たさが肌に触れている。


「……調子かぁ」


 彼女の問いを咀嚼した上で、俺は彼女の様子を見ていた。見ていることを続けながら、特に何かしら面白い返答ができるわけもないな、と自分のつまらなさに苦笑してしまう。


 俺が返答に迷っていると、彼女は、うーん、とうなりながら、暇をつぶすことを示すように、炉からに少しだけ積んである積雪を雪玉にして、それを地面に投げては弾ける姿を呆然と見つめた。いちいち立ち止まる彼女の歩行、その間でもなかなか言い返しが思いつかない自分に鬱陶しささえ感じてしまう。


 彼女が何か面白さを期待して、こちらに言葉を投げかけているのではないのはわかっている。社交辞令のようなものでしかなく、それ以上の意味合いも存在しない。


 だからこそなのだろうか、より慎重に解答を探っている自分がいる。迷い続けている自分がいる。……いや、ここまで一度でも迷わずに言葉を吐けたことがあっただろうか。それを振り返るのは少しばかり億劫だ。


「……普通?」


 そうして結局吐き出したのは、疑問符付きのそんな言葉だった。


 調子、調子、何の調子なのかはわからない。俺の調子なのか、それとも俺伝いに柚乃の調子を聞いているのか。それとも、昔のように俺と柚乃の関係性についてを問うているのか、それがわからない。


 でも、そのどれにしたって、普通でしかない。


 進展もせず、後退もしない。


 停滞しか選ぶことのできないこの状況を、俺はずっと続けている。それが既に日常となっているのだから、普通以外の返答なんて思いつかなかった。


「なぜ疑問形」と彼女は雪を地面に放り投げながら、くすくすと笑うようにする。弾けた雪玉はもともと一つの存在であったはずなのに、きちんと弾けて、それぞれがまた違う塊として違う場所へとばらけていく。


 だから、なんだという話ではある。彼女の反応も、俺の言葉も、彼女がしていることも、俺たちの調子も。そのすべてが、どうでもいいと感じる自分がいる。


 頭にちらつくのは柚乃のことばかり。距離をとる、ということを今日は意識しているせいか、妙に頭に張り付いて、それが消えることはない。


 自分から家に帰らないという選択肢をとったはずなのに、知らないような誰かと一緒に歩くたびに寂しさを感じる。ただ、流されることを嘘をついてまで肯定した俺の行動に、今更どうこうしようだなんて気力もわかない。


「それ、楽しいの?」


 そのあとにやってきた沈黙が肺に苦しくなって、俺はため込んだ息を吐き出し終わった後、静かに彼女へとそう聞いた。


「んー、まあ、楽しいんじゃないかな?」


 そう言いながらも、別に彼女の表情は特に感情をのぞかせることはない。俺に対しての反応はくすぐるような笑顔を浮かべていたけれど、雪をすべて破片にする作業では何かしらが生まれるということはなさそうだった。


「なんかやっちゃうんだよね。特に意味なんてないけど、なんとなくすっきりした感覚にはなるから」


 健くんもやってみれば? と彼女は付け足していったけれど、俺はそれに首を振った。指先を更に冷たくするようなことを自らやる気力はなかったから。


 そか、と彼女はつまらなそうに返事をして、そのあとは積雪を見てもいちいち立ち止まらずに歩いていった。一応、俺もそれについていこうとはするけれど、適当な分岐路があり次第、さっさと彼女と離れたい気持ちが強くなる。


 ……今日こそは、今日こそは。


 頭の中に生まれる、毎日繰り返している自分への言葉かけ、呪いのようなもの。


 柚乃と距離をとるために違う道を歩いているからか、より自分の中でそんな言葉が強くなっていく。


 柚乃に会いたい。柚乃に会いたい。きちんと言葉にして、今までの関係性を清算したい。きちんとやり直したい。幼馴染という枠にこだわることなく、自身の好意を適切に伝えたい。


 目の前にある道は、しばらくまっすぐだった。だんだんと上り坂になっていく景色の中、見慣れない道のその先がどのようなものだったのか、なんとかそれを思い出そうとしてみる。


 今日こそは、今日こそは。


 頭の中に響く声に、心の中でうなずく。きっと今日であればやりきれる、とそう自分を鼓舞するような気持ちで。


 


 ──そんな時、彼女から声が聞こえた。



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