前世の記憶
鳴宮野々花@書籍2作品発売中
第1話
私が前世の記憶を取り戻したのは、高熱を出した8歳の夜だった。
ゼェゼェと喘ぎながら、息苦しさとひどい火照りに耐えている時、ふと見た悪夢。それは妙なリアリティを伴う、見たことのない世界の自分だった。
私は当時35歳。大学時代の同級生と付き合ってもう十年以上の仲だったのに、ある日突然捨てられた。理由は、向こうに新しい彼女ができたから。お決まりの、若い女に走って長年の彼女を捨てるパターン。私もそのありがちなパターンの、被害者になってしまったのだ。
『ひどいよ、ユウト……!あんまりじゃない。私もう35なんだよ。こんな歳になってこんな風に捨てるくらいなら、どうして5年前、私から別れようって言った時に別れてくれなかったの?!』
『……。あの時は……、まだリナと出会ってなかったから……。でももう、俺はリナを好きになったんだ。な?ごめん、ミオリ』
『……っ、私は子どもが欲しいから、結婚する気がないのならもう別れてほしいってあの時言ったじゃない!そしたらユウトが言ったのよ。絶対にミオリと結婚するって。俺だってお前との子どもが欲しいし、お前とは一生離れたくないって……!だから信じたのに!!』
『……そんなこと言われても、人の気持ちって変わるもんだろ?な?この数年間で、俺もよく考えたんだよ。お前のそういう、ネチネチと責めてくるところがすごく嫌でさぁ、本当に生涯の相手がミオリでいいのかって。お前がそういうタイプじゃなかったら、俺だってリナに心が揺らぐことなんかなかったんだよ。な?お互いだよ。お互い悪いんだ。しょうがない』
『な……っ!何よ今さら!!何責任転嫁しようとしてるの?!私がユウトを責めるのは、あなたにいつもそういうところがあるから──────……!』
ああ、醜い。
なんて醜い言い争いだろう。
被害者、じゃないな。これは私も悪い。こんな男の言うことを信じて、根拠のない愛に縋りついて、人生の長い時間を無駄にしてしまった。
私は昔から子どもが大好きだった。幼稚園の先生になりたいなんて思ってたぐらい。いつかは自分の子どもを産んで、愛する人と素敵な家庭を築きたかった。
けれど、そんな夢があるのなら、ちゃんとそれに相応しい相手を見極めなきゃいけなかったのよ。
(……私も……、意固地になってたとこあるもんなぁ。本当はユウトに対しての恋愛感情なんてとうに冷めてたのに、こんなに長く時間を費やしたんだから、若い頃の一番いい時期を全部捧げたんだから、報われなくちゃ全部が無駄になってしまう、みたいな。最後の数年は、もうそんな気持ちで一緒にいただけのような気がするわ……)
今になって思えば。
それでも私は、浮気なんか一度もしなかったけどね。アイツと違って。だからやっぱり、アイツの方がだいぶ酷いとは思う。目を逸らしていたけど長い付き合いの中で、アイツの行動が怪しいと思うことだって本当は何度もあったし。
(……ああ……。会社の先輩に何度か告白だってされてたのにな。昔からの彼氏がいるからって断る私のことを、それでも何年もずっと想ってくれてた。あの人、すごく素敵だったのに。どうしてあんなヤツさっさと捨てて、次の道に進んでみようとしなかったんだろう……)
就職したばかりで右も左も分からず必死だった私を、いつもさりげなくサポートしてくれていた先輩。一緒に外回りをしている時に、花屋で見かけた青い薔薇を見て素敵だと私がはしゃいでいたら、そのことをずっと覚えてくれていて、わざわざ私の誕生日にブルーの小さな花束を贈ってくれたことさえあった。優しかったな。
そんな男性も、周りにはいたのに。
でも、あの日のあれは断じて自殺じゃない。
ただ、ユウトに振られてひどく言い争った後で、あまりにも呆然としていて。すごい勢いでバイクが来てるのにも気付かなかった。もう深夜だったし、辺りも私の心の中も、真っ暗で──────
「……。……ん……、」
そんなことを考えているうちに、目が覚めて。気付けば体も楽になっていた。
そして私は今の自分が8歳の女の子、ブランベル子爵家の令嬢リディアであることを思い出したのだった。
「失礼いたします。リディアお嬢様、お加減はいかがでございますか?……あら、まぁようございました。お熱はすっかり下がっておられるようですね。旦那様も奥様もずっとご心配なさっておいででしたよ」
部屋に入ってきた年配の侍女が、私の額や頬に触れ安心したように微笑む。私は返事もできずにただただ呆然とベッドの上に寝転がったままでいた。
(……なんて悔いの残る人生だったんだろう、私の前世って……。一人の不誠実な男に青春を捧げ、裏切られたショックで事故って死んじゃって。悲しすぎるわ……!)
突如思い出した、西暦2000年代の日本という国で過ごした、私の前世。
ありがたいことに、どうやらここはそれとは全く違う世界線らしい。
そして私は一般庶民のOLだった前世とは違い、貴族家のお嬢様……。
(よかった。何で思い出しちゃったのかは分からないけど、どうやら今回の人生は“ミオリ”だった頃とは全く違うものになりそうだわ)
だんだんと気持ちが落ち着くにつれ、私はそう考えるようになっていった。
もうくだらない男には振り回されない。
今回の人生は、悔いの残らない道を自分で選択するんだ。
前世の記憶を思い出したからこそ、私はそう強く思えるようになったのだった。
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