第2話 気楽な狸も真面目に紺碧の凪を待つ

 唐津市は佐賀県の北西に位置し、海と山に囲まれ、佐賀県内でも栄えている地域だ。なんといっても唐津には城がある。食べ物もおいしい。呼子よぶこ朝市に並ぶイカは新鮮で、遊覧船もあり観光地になっている。秋には例大祭の唐津くんちがあり、これも大いに賑わう。

 そんな唐津市に大地が住む綿貫家はある。レストランと自宅が一体化した少々古い家だが、空き部屋があるというので僕はしばらく居候させてもらうことになった。

「兄さんに連絡したらさー、『眞魚ならいいよ』って、あっさり言いよったばい」

 少ない荷物を持って行けば、すぐに大地にそう言われる。

「確か大地の兄ちゃん、結婚して佐賀を出たんだっけ?」

「そうそう。東北でキッチンカーばしよってな、俺も高校出てすぐそれに便乗して手伝いよったばってん、兄さんが向こうで結婚したけんねー。俺はもう邪魔やって言われて帰ってきたと」

 大地は苦笑しながら兄への愚痴をこぼすが、大地そっくりのほんわかしたお兄さんを思い出せば、そんな無下にあしらうようなことはしないだろうと思う。僕は大地のお兄さんへ感謝した。

 五月中旬、こうして家財道具などすべて揃った大地の家での暮らしがスタートする。

「それじゃ、仕事の話するけど」

 荷解きをしてすぐ切り出すと大地は「はやっ」と驚いて目を丸くした。

 僕はさっそく作業机の椅子に座り、引っ越しを手伝ってくれた大地は床に座っている。

「もうちょいゆっくりしときぃよ」

 そう言われても、今回は大地からの依頼でカレンダーのデザインをするのが僕の仕事だ。居候する身なので、仕事をしていなきゃ落ち着かない。

「カレンダーっていえば日付が入った枠がいるよな。それも十二ヶ月分。でも雛形さえ作っておけば、あとはデータをはめ込むだけなんだよ。で、どんなサイズでどんなレイアウトで作りたいの?」

 構えて言うも、大地は困ったように目をしばたたかせ、自信なさそうにゆるっと笑う。

「眞魚にまかせるよ」

「頼みたい印刷所は?」

「それも眞魚にまかせる」

「……ちなみに、この仕事は大地の思いつき? それとも依頼があって作るの?」

 大した答えはこの際、期待しない。そんな僕に大地はわずかに自信を持ち直して口を開いた。

「依頼やね。ブログとかSNSに載せとる写真がそこそこ評判でね。もともと知り合いの同人本の表紙ば作るために撮った写真とか、知り合いの趣味に付き合って廃屋写真とか、電車とか撮ってやりよって、それが地味ぃに反響を呼んでさ、今じゃほら、くんちとかイベントに駆り出されとるとよー」

 大地が饒舌に説明する。この興味のある分野とそうでない分野への熱量がまったく違うこと、いかがなものか。僕は頭を抱えた。

「オーケー。その依頼のメール、見せて」

「はい」

 大地はA4のコピー用紙を出し、手作りの依頼書を見せてきた。

 それは地元の老舗カメラ店のPR用ノベルティとして『九州の絶景カレンダー』を作りたいという依頼だった。カメラ店は個人商店で、写真の補正は多少できてもデザイン性のあるカレンダーを作るには心もとない。そこで大地は「知り合いのデザイナーに頼むから任せろ」と大見得を切ったということだった。

「ほかにも写真集を出さないかーって、地元の出版社とか市からも依頼がくる。ただ写真撮るのはいいけど、補正ありの画像化ばして出版社に送るのができんでね……でも、眞魚がやってくれたらそれも受けられるけん、よかよね」

 大地は申し訳無さそうに頭を掻いて言う。うーん、カメラしか扱えないのか、こいつは。

 出版社や市からも依頼がくるなんて、結構腕のいいカメラマンだと思う。地元でもそれだけ注目されてる証拠だろう。ただ、スマホをろくに使えないやつだから、返事をそのまま放置してそうで怖いな。

「その依頼もメールでくるんだろ? 返事はどうしてるんだよ」

「直に会いに行って断っとる」

 誠実な対応をしているようで僕はとても安心した。

「ただ、今回は俺が高校のときから世話になっとる店やけん、店長に頼まれたら断れんくて……まぁ、あとはあれやね。眞魚が帰ってくる気がして、そんならちょうどえーかと思って」

 大地はあっさりと言った。

 そういえば昔、僕が遊びに誘おうと自転車を走らせていたら大地はすでに出発しており、誘おうとした海や川に到着していたことがあった。僕が来ることを把握していたかのようで、勘が鋭いという次元を超えている。

「大地って昔からそういうとこあるけど、やっぱりあやかしの子だから?」

 訊くと、大地は頬杖をつき、考えながら言う。

「まぁねぇ。ただ子供のときより不便なことが増えたとよねー。静電気がピリピリするけんスマホは怖いし、定期的に化けんとムズムズする」

「うーん……そうなんだ。でも静電気ってなんで?」

「知らん。でも昔から兄さんも親父も祖父ちゃんも、みんな帯電体質やな。祖父ちゃんに訊いたら、狸やけんなぁって言われた」

「それを聞いてお前はどう思ったの?」

「それなら仕方ないかぁって」

 大地のことだ。曖昧に納得したのだろう。こいつはあまり無駄に物事を深く考えこまない性格なんだ。

 さて、話が脱線した。大地が咳払いし、話を元に戻す。

「まぁね、このカレンダー企画はまだ時間がある。俺の計画では四季の写真ば撮りながら、眞魚にデザインしてもらえたらなーって。のんびりとね、それでいこっかなぁ」

「計画というには、なかなか雑だな。まぁ大地らしいけど」

 わずかな退職金ではたいたデザインソフトを新品のハイスペックパソコンに入れたものの、仕事するのはまだまだ先になるだろう。

「参考に、これあげる」

 そう言って大地はいくつか撮影した写真のプリントアウトを見せてきた。見事な桜と、あの雲海の写真があった。

 季節感を取り入れ、かつ九州の絶景をアピールするカレンダーか。自由度はそうないように思えるけど、僕も少々ワクワクしていた。


 そうして僕は、こののんびりフォトグラファーの下でアシスタント兼デザイナーをすることとなった。しかし、大地が次の撮影場所を定めない限りは暇なので、その間に大地の両親が営むレストラン『和たぬきレストラン』のホールとしてアルバイトを始めた。

 今まで一日中座りっぱなしの生活だったせいで、初日から三日くらいは足腰に負担がかかったものの、こちらもランチタイム以外は暇なもので、意外とのんびりとした職場環境だった。

 とくに、まかないのビーフシチューがうまい!


 ***


 それは汗ばむ初夏、六月上旬のことだった。

 昼間のピーク以外はやはりのんびりとした時間が続く『和たぬきレストラン』。夜のまかないをいただき、上がらせてもらったら、大地が僕の部屋で待っていた。

「うわっ」

「おう、おつかれさん、眞魚。明日からキャンプ行くぞ」

「へ? 明日? 随分と急だな……」

「予約はしとったっちゃん。まぁ、ここんとこ雨で心配やったけど、明日は晴れるみたい」

 大地は僕の部屋の向かいにある自室へ行くと着替えや機材、キャンプ道具を準備し始めた。

「どこ行くの?」

 訊いてみると、大地は軽く答えた。

波戸岬はどみさき。キャンプ場があるけんな。こっから車で一時間もかからん」

 波戸岬とは唐津にある海水浴場だ。

「なんだ、近いじゃん。日帰りできる」

「いや、泊まりで行くよ」

 僕の目論見が大いに外れ、まさかの展開に絶句した。

「えー……それは僕も一緒に行かなきゃいけない感じですか?」

 近所なのにわざわざ泊まる必要なくない? 意味がわからん。そんな僕に大地はあっけらかんと返す。

「そのつもりで予約したばい、二人分」

 ……ですよね。


 大地のお母さんにこのことをおそるおそる告げると「行っといでー」と軽く言われた。あまりの緩さに拍子抜けする。大地の母も父も人好きのするようなタレ目でいつもニコニコ笑っているので、何も恐れることはないんだけど。

 翌日、予報どおり晴れた空の下、僕と大地は自宅を出発した。

 今回も大地の愛車、モスグリーンの軽ワゴン車で向かう。のんびりと十一時頃に家を出て、市街地から県道を走る。迫るような濃い深緑が、初夏の日差しから僕らを守るよう。ま、車の中はエアコンの冷風で満たされているから快適なんだけど。

 今日の大地は速乾性のある黄色Tシャツと茶色のハーフパンツ、つば広の帽子という夏キャンプファッション。僕はまだキャンプ用の服がなく、部屋着に近い黒いロングTシャツと通気性のいいカジュアルな黒いワイドパンツでキャンプに挑む。

「お、『からつバーガー』や。昼飯、あれでよか?」

 大地の言うとおり、しばらく道なりに走るとハンバーガーを売っているレトロなキッチンカーが見えてきた。お客もそこそこおり、列ができている。

「おー、そうしようか」

 ちょうど腹ごしらえの時間だ。キッチンカー近くの駐車場に車を停め、列に並ぶ。僕はチーズバーガー、大地はエッグバーガー。ふわふわのバンズとシャキシャキレタス、クリーミーなチーズとこっくり旨辛ソースの相性は満点。僕が生まれる前からある店で、慣れ親しんでいるものの久しぶりに食べたら懐かしさのあまり、やけにおいしく感じた。

 一緒に買ったコーヒーを飲み、一服したら大地がエンジンをかける。車はさらに山の中を進んだ。

「さて、今日の夕飯を買うか」

 しばらくして大地が言い出した。昼ごはんもまだ消化されてないというのに、この食いしん坊め。

 ここから先は小さな港町、呼子朝市がある。船着き場が見えてきて駐車場に車を停めると、僕らはさっそく市場へ向かった。強い潮の匂いと回転するイカ干しマシーンに懐かしさを覚える。

 すでに朝市の時間は過ぎているので、もう少し先へ行った直売所で新鮮なイカを買うことができた。

「あとは昨日、買っといた魚介もあるけん。夕飯楽しみにしときぃ」

 そう言う大地は何かを企むようにニヤリと笑っていた。買ったイカをクーラーボックスに入れ、すぐに出発する。

 港を出てまた山へ。狭い道からだんだん開けた場所へ入り、差しこむ光の眩しさに少々ビビるけど青く広がる海面が見えてくれば、気分も少しは上がってきた。

 今日からお世話になるキャンプ場は海がよく見渡せる場所だった。管理棟で手続きをし、いくつか説明を受ける。

 僕らが借りるサイトは『オートサイト』といい、車の乗り入れが可能だ。

「海がよう見える場所でよかったな」

 大地はそう言いながら車を停め、すぐに外へ出た。

「気温が高いけん、潮風の冷たさが気持ちいーな……あ、眞魚、今日も車で寝る? それやったら熱かけん、窓とトランク開けないかんばい」

「いや、そろそろお前との共同生活にも慣れたし、テントでいいよ」

 僕は車から荷物を下ろしながら言った。大地も荷物をテキパキ運び、すぐにテント設営に取り掛かる。

 テントは前回と同じもので茶色のドーム型。まずテントの汚れ防止となるグランドシートを敷き、テント本体を広げ、シートと本体をペグで固定する。波戸岬は風が強いので、シワがないようキレイに張っていく。準備ができたら、テントの屋根部分にポールを差して立ち上げていく。そしていろいろ固定して補強できたら設営完了だ。

 僕は大地のテントをしげしげ眺めた。薄い材質のもので、側面が黒いメッシュ素材となっている。通気性はよさそうだ。

「これ、オールシーズン使えるやつやけん、快適だと思う」

 そう言って大地は車のトランクを開け、今度はテントと同じ茶色の雨除け布タープを出した。最後にランタンや焚き火台などのキャンプギアを出し、あっという間にキャンプレイアウトを完成させる。

「そういや、ここは電気が通っとるけん、スマホの充電できるよ」

「あ、そうなんだ。それは安心」

 しかもフリーWi-Fiまである。これはなかなか快適だ。唐津にこんなところがあったなんて知らなかったな……。

 なんだか感慨にふけっていると、大地はさっそくカメラを持って片手を上げてきた。

「それじゃ、自由解散!」

「えっ、解散? 仕事は?」

「今からやるよ。あ、眞魚はくつろいどきぃ。俺だけ行ってくるけん。じゃな!」

 流れるようなスピード感で大地は走って消えた。僕はまた取り残され、どうにもならないので開け放したトランクに座る。こんな無防備に開けっ放しだと、僕はどこにも行けない。

「ったく……これが仕事なんてどうかしてる」

 仕方なく、持ってきていたノートパソコンをショルダーバッグから出し、膝に置いて作業スペースを開いた。

「せっかくだから、デザインでも組むか」

 ゆったりとした波音をBGMに、僕はパソコンに目を向けた。


 日がだいぶ傾き、波も風も強くなってきた頃、大地が肩を落として帰ってきた。顔はいつものように笑っているようなのに、しょぼくれている。

「どうした?」

「……んかった」

「え? なんだって?」

「撮れんかったぁ」

 大地は一眼レフをずいっと差し出し、首から提げたタオルに顔をうずめてメソメソし始めた。

「波が荒れとるし、海もキレイやなくってねー」

「それをどうにかうまく撮るのがプロなんじゃないの?」

 僕は大地が撮った写真を一枚ずつ見る。青い海と青い空、白い入道雲、きらめく波しぶき……どれも素敵な写真だと思う。しかし、大地的には不満らしい。

「まぁ、いいや。明日に賭けよー」

 そう言って大地は焚き火台で火を熾す。

 僕はカメラを置き、膝の上のパソコンを閉じてトランクから降りた。

「実は僕もあんまり捗ってないんだよね」

「そーと? まぁ、まだカレンダー企画も始まったばっかやし、気楽にやってこーや」

 大地はこころなしか嬉しそうに言い、顔を上げて「よし」と気合を入れた。

「ちょっと早いけど、夕飯の準備すっか」

 クーラーボックスを出し「ちょっとこいつら洗ってくる」と言ってどこかへ消えていく。おおかた、炊事場に行ったのだろう。

 その間、僕は火加減を見ておいた。ほどなくして大地が帰ってくる。

「ただいま。よし、焼くぞ!」

 元気よく言う大地は、クーラーボックスから新鮮な魚介類を出した。焚き火台の上にかぶせた網にそのままポンポン置いていく。イカの一夜干し、カキ、サザエ……!

 網に置かれた魚介の水分が火に落ち、さらに煙が上がる。イカが炭火で炙られ、ジュワッと音が鳴る。昼間にハンバーガーを食べたのに、もうお腹が鳴る。ダメだ、我慢できない!

「眞魚はそいつら見とってー。俺はちょっと他のを仕込むけん」

「わかった!」

 大地がテーブルの上で何やら作業を始める。レモンを櫛形に切ったあと、別の何かをスキレットに仕込み、すぐにそれらを両手に持って戻ると脇に置いた。

「火、見とってくれてありがとー」

「んーん。これくらい」

 実は僕は料理のスキルがないので手伝えない。簡単なものならできるけど、大地はとくに料理中は邪魔されたくないみたいなので、ただ待つしかできないんだよね。

 大地は軍手をはめてトングを構え、網焼きのイカをひっくり返した。カキも殻が開き、汁気が出ておいしそうな艶を出している。サザエも蓋がカタカタ鳴っていい感じに焼けてそう。トングで状態を見ながら、食べごろを今か今かと待ちわびる。

「……うん、そろそろかな」

 大地がニヤリと笑みを浮かべ、カキにレモンを絞った。その果汁が火へ伝い、煙が上がる。サザエには醤油を垂らす。イカは調理用鋏で食べやすい大きさに切って、岩塩を振った。

「はい、唐津魚介の網焼き、めしあがれ!」

「いっただきまーす!」

 焼けた魚介たちをそのまま取る。僕はイカ、大地はカキ。

 イカ……しっかりとした弾力で噛めば噛むほど甘みが増していく。表面についた焦げがいいアクセントになっていておいしい。

 次にカキ。小ぶりだがレモン汁と身の相性は抜群で、つるんといける。ほどよい塩加減でミルキーな味わいも磯の香りも最高だ。

「うっまぁ」

「久しぶりに唐津の魚介やろ? 食べり食べりー」

「本当にうまい! 最高すぎる!」

 僕の食べる手は止まらない。カキから出たうまみたっぷりの出汁に、舌が火傷しそうになるけど構わない。大地はほとんど手づかみで食べ、幸せそうに蕩けた顔で食べている。

「眞魚、サザエ好きやろ、ほら」

 大地がトングでサザエをつつく。僕は軍手をはめ、とげとげしたサザエの殻を取った。

「あっつ!」

 熱したサザエの殻を冷まし、蓋の隙間が空いた場所に楊枝をプスッと刺す。そして一気に身を取り出す。これはかなりコツがいる。サザエの身は螺旋状なのでくるくると回すように引っ張り出すといいんだ。少し息を吹きかけて冷まし、口の中へ。

 あぁ、これこれ。苦い肝にコリコリの身、広がる磯の香りとうまみ。懐かしいなぁ。

「うまい?」

 大地が訊く。僕はうんうん頷いて答えた。

「うまい!」

「そーか、よかったー」

 大地は満足そうに言ってサザエを食べる。僕は殻に残っていた出汁をすすり、至福のため息をついた。

「そういや眞魚ってさー、うまそうな名前しとるよなー」

 大地がイカをかじりながら、神妙な口ぶりで言う。

「こう海のもんば食べよると思い出すんよ。子供の頃のこと」

 ほのぼの言う大地につられて、僕も遠い昔の記憶を引っ張り出した。

「あれ、いつだっけなぁ。保育園?」

「保育園か、小一かな。俺が一人で砂遊びしとったらさ、眞魚が話しかけてきたとよ」

 そうだったな。大地ってみんなと一緒にボールで遊ぶより一人で何かをしていた。砂場で泥団子を作るのに夢中になっていて、それを……食べようとしてたんだ。

 そして僕の名札を見て、何を思ったのか『お前もうまそうやな!』って言ったんだよね。

「食いしん坊にもほどがあるだろ」

 当時も今も同じ感想しか沸かない。すると大地がケラケラ笑った。

「だって、眞魚の名前、奇跡やん。米持眞魚。米、餅、魚。これ以上ないごちそうやんか」

「名前だけな……あと、餅はそっちじゃないし。はー、ひどいやつめ」

「それからかな、眞魚が俺の世話を焼くようになったとは」

「ほっといたら食われそうだったからな」

 僕は呆れながら言い、イカを口に運んだ。本当に飽きないわ、これ。

「ところで、お前はなんで一人で遊んでたの? 別に人見知りってわけでもなかっただろ?」

 なんとなく訊いてみると、大地は最後のカキを一口ですすって「ん?」と反応した。しばらくもぐもぐし、ごくんと飲み込んで答える。

「うーん……まぁ、ね。俺はさ、狸やけん。これを人に言えんのが、なんか嫌でねー……ほら、俺って嘘つけんやんか」

 歯切れの悪い言い方をしながら、大地はおもむろにマヨネーズを出し、その上に七味をかけてイカにつけて食べる。僕も真似しながら言葉を返した。

「あー、そっか。大地って本当に嘘つけないもんね。小学校低学年のとき、なんかしょーもない嘘ついて狸の模様が出てた」

 僕はぼんやり思い出しながら言った。狸の目の周りには黒いくまのような模様がある。大地は嘘をつくと決まって狸の模様やひげを出していたので、僕が慌ててごまかすのがあの頃の日常だった。

「化け狸のくせに人を欺けない性格って、なんなんだよ」

 呆れて笑いながら言うと大地は悔しそうに顔をしかめた。

「別にいーと! 第一、俺は純粋な狸やないし、四分の一だけ狸っちゃもん」

 それもそうか。大地のお祖父さんがあやかしの化け狸で、お祖母さんは人間。その間に生まれた大地のお父さんが化け狸と人間のハーフで、人間である大地のお母さんと結婚したというわけだ。つまり大地は化け狸のクォーター。それなら中途半端でもいいのか。そんな解釈をする。

 そうして徐々に魚介もなくなってきて寂しくなってきた頃、大地が唐突に訊いた。

「眞魚、今、腹何分目?」

「あー、六分目かな」

 答えると大地は「よし」とうなずいて、イカを小皿に取るとスキレットを網に置いた。

「シメは、いかしゅうまい焼き!」

 白くて丸いフォルムの『いかしゅうまい』も呼子名物。外側にはイカの足を模したような細かく刻んだ皮がまぶされている。それをスキレットに敷き詰め、その上にバターを乗せて焼くようだ。通常、いかしゅうまいは蒸して酢醤油とからしで食べるが、このアレンジは大地流らしい。

 しゅうまいが焼けるのを待つ間、僕はふと傍らの景色に目を向けた。

 空は焦げたような茜色で、すぐそばに濃紺の夜が迫っている。海は静かにゆったりしており、最高のロケーションだ。これってもしかして、マジックアワーってやつじゃないか。

 僕はスマホで景色を撮影した。しかし、大地はこの夕日を撮影することはなく、いかしゅうまいにしか興味がなさそうだった。食いしん坊め。


 ***


 焼きいかしゅうまいは、カリッとした皮にふわふわのイカすり身団子が楽しめた。あれ、家でもやってみたい。すり身がくどくなく、あっさりしていてうまかったな。

 それはさておき、魚介バーベキューを楽しんだ僕らは、シャワーを浴びてテントでぐっすり眠った。そのおかげで朝は早くから目を覚ましたが、外は生憎の曇りだった。

「おぉ……最高のロケーションは一日限りだったな」

 横でしおらしくする大地に、僕は困惑しながら言った。

「どうする? 今回はもうやめとく?」

「いーや、撮る!」

 大地は諦めが悪い。しかし、キャンプ場は人気エリアということもあって一泊しか予約が取れていない。ひとまずギアを片付けておき、チェックアウトの十一時まで撮影を粘ることにした。

 大地がクッカーで炊いた米でおにぎりにし、朝は軽く食べる。その間、今回の撮影プランを聞いた。

「海と空が一体になったとこが撮りたいとよ。やっぱ風で波ば立つけん、理想どおりにゃいかんね」

 なるほど、大地なりのこだわりがあるようだ。

「じゃあ今日、僕は何したらいいの?」

「眞魚は自由にしときぃよ」

「いや、それだとただ遊びに来ただけになるだろ。何か仕事をくれよ」

 今日も放置されそうな気配がしたので僕は素早く言った。すると、大地は「うーん」と困ったように頭を掻く。

「でも俺について回るのは大変やろ? 暑いしさ、眞魚は普通の人間やし」

「ん? うん、そりゃ僕は普通の人間だけど……って待てよ、お前もしかして狸に化けて、人が入らない場所に行ってる?」

 なんとなく想像がつき、鋭く指摘すると大地は顔を強張らせた。

「そがんことないよー?」

「嘘つくな」

 大地の目は明後日の方向だし、目元も黒くなるし、ふさふさの尻尾が出ている。こんな調子では一人で行かせられない。

「僕も行く」

 これに大地は気まずそうな顔をした。


 朝食を終えると大地はすぐに軽快な足取りで海へ行った。砂浜のあるエリアと黒い石がゴロゴロあるエリアがあり、比較的前者に海水浴客がいた。岩場の方へ向かえば人気もない。

「俺、あっちに行くけど」

 そう言って大地はその場でポンと狸に化けた。岩場をぴょんぴょん飛んで行き、人間に戻って振り向く。僕はそれを遠くから眺めるしかできない。

 確かにこの岩場を人間が行くのは少々無理がある。仕方なく、僕はその場で大地の撮影を待つことにした。

 思えば大地とつるむようになった僕は、たまに消える大地の行方を探すことがあった。小学生時代の遊び場は、大地の家がある周辺の山とか川、海だったので姿が消えると不安になるものだ。

 ふわふわとのんびりしているやつだから、遭難しているかもしれないと何度も不安がよぎり、探していたらひょっこりと顔を出す。かくれんぼは天才的に上手かったし、誰も彼を見つけることができなかった。

 それもこれも大地が狸だからなんだけど。僕は彼の特性を他人に知られないよう、ヒヤヒヤしていた。

 あれ? そういえば僕はいつから大地が狸に化けることを知ってたんだっけ?

 考える。しかし数十分後、大地は肩を落として戻ってきたので思考は一旦中断した。

「やっぱダメやね」

「何がそんなに気に入らないの?」

 訊いてみると大地はカメラを見ながら少し考える。そして何やら頷くと僕をじっと見つめた。

「まぁ理想の構図はあるとよ。でも、俺の理想を遥かに超えるシーンがあったら、こっちがすごいなって思うんよね」

「はぁ……僕は自分の理想どおりに作れたら満足するけど。まぁ、それに辿りつくまで時間をかけることもあるし、何度もリテイクして自分の納得がいくものに……」

 言ってるうちに僕は、大地のこだわりと同じことを言っていると気がついた。

 リテイク地獄を思い出す。会社でクライアントの指示どおりに作っていると見えなくなるけど、僕がこだわると同時に相手もこだわっているんだ。それがうまく噛み合うか合わないかで、リテイクを重ねてしまうのかもしれない。

「眞魚はゴールが見えとったいねー」

 大地が口元を緩めながら言う。僕は首を横に振った。

「ううん、そんなことない。自分の感性にピンとくるまで納得いかなくて、何度もやり直してるよ。そして自分の理想どおりのものを作ったときに濃厚な達成感を感じる。それに至るまでの時間は膨大なんだけど、充実してたから悔いはないんだ」

 そう、そういう感覚が確かにあった。もうどこに置いてきたか忘れた感覚が口をついて出てきたので、自分でも驚いてしまう。

「なんだ、大地のこだわり、僕とそう変わらないなぁ」

「そういうもんやろうねぇ。俺もさ、うまくいかんで落ちこむけど撮影中は楽しいし、何よりこの時間も好きだ」

「うん……そうだよな。そうあるべきだよな」

 僕はだんだん俯いてしまう。

 趣味を仕事にしてはいけないとよく言うけど、きっと僕みたいな人間のためにある言葉なんだろう。失敗もうまくいかないときも楽しめる余裕がないと、継続するモチベーションが保てない。

 きっとここで辞めて正解だったのかもな。このカレンダー作成が終わったら、僕はどうしたらいいんだろう。

「そういえばさ、大地」

 なんだかテンションが下がりそうだったので、僕は無理やり話題を変えた。

「あんなホイホイ狸に化けるのやめなよ。誰かに見つかったら大変だろ」

「だって俺は狸人間やもん」

「答えになってない」

「そがんこと言われても」

 僕は呆れて天を仰いだ。まったく大地はわかってない。空はやっぱり曇っていて、一雨きたら嫌だなと思う。

「狸人間より、あやかしクォーターって言ったほうがよかったか?」

 困ったように大地が言う。

「なんだよ、その『和風パスタ』とか『抹茶ティラミス』みたいな言い方」

「あー、イタリアンもよかねぇ。うまそう。今度、四国に行ったらトマト買ってピザ作りたいね」

 ダメだ、話にならん。大地はうまくいかないことをごまかそうとしている。

 時刻は十時。もうすぐチェックアウトの時間だ。

「大地、海の写真ならキャンプ場のほかでもいいんじゃない? 僕も今日はとことん付き合うから一旦車取りに戻って、もっと先の展望台まで行こうよ」

「あー、そうやね……そうしよっか」

 僕の提案に大地はのんびり返す。話がまとまり、僕らはサイトまで戻った。

 忘れ物がないか確認する。その間、大地はカメラのファインダーを覗き、海をじっと睨んでいた。ちょうど雲が晴れた場所ができ、そこだけ海が明るくなる。

 大地は時折アングルを確かめながら首をひねった。またカメラを構え、じっとそのまま動かなくなる。

「おい、大地。諦めが悪いな、本当に」

 その横顔を見る。真剣な眼差しが何かを見据えているようだ。邪魔しちゃ悪い。まだチェックアウトまで少しは時間があるし、もうこうなったら黙って見守っていよう。

 しかし、動かずただじっと突っ立っているのはつらい。曇りで風があるとはいえ、蒸し暑さはある。

 大地が動かないので僕は静かにその場を離れ、自販機まで走った。冷たい飲み物を買うくらいのことしかできないけど、ないよりマシだ。

 戻ると大地はやはり微動だにせずじっと時を待っていた。何度かシャッターを切る。けれど、満足しないのかまたファインダーを覗いてじっと待つ。

「大地、水分補給したほうがいい」

 堪らず声をかけるも、大地は「うーん」と言うだけ。

「没頭してるな……」

 僕は仕方なく自分用の水を飲んだ。

 大地は涼しい顔をしていて不思議だ。やっぱりあやかしは常人より体感温度が違うのか。

 潮風が巻き上がり、大地がため息をつきながらカメラを下げる。そして、脇で座る僕に気がついてしゃがんだ。

「水飲む?」

 訊くと、大地は「うん」と笑った。ペットボトルの水を受け取り、ごくごく飲む。

「適度に休憩取らなきゃダメだろ。ぶっ倒れるぞ」

「俺んことより眞魚だよ。車、エンジンかけてエアコン入れときぃよ……って言っても、眞魚は聞かんもんね」

 大地はカメラの中を覗きこみながら言った。画像データを一つ一つ見ている。

「大地の真剣な顔、久しぶりに見たなぁ」

 思わず言うと、大地は「そうだねー」と生返事。そのまま僕は続ける。

「昔から工作とか調理実習とかはものすごく真剣だったよな。あと釣りしてるときも」

「そーか? まぁ一人の世界に入るけんね……それが危なっかしいって親にもよう言われるけど。でも眞魚がおるけん、安心するばいって言いよったよ」

 思わぬ言葉に僕は目をしばたたかせた。

「え、そんなこと言われてたの?」

「うん。眞魚のおかげで俺は一人にならんで済んだし、俺もお前とおるのが楽しいし、こうして世話焼いてくれるのも悪くないし」

 大地は柔らかくもサラリと言った。僕は面食らって押し黙る。

「でもさー、そう常に頑張らんでいいと思うんよね。疲れるし。眞魚のほうが危なっかしいよ、今も昔も」

「いや昔はともかく、今は大人なんだから頑張るのは当然だろ。むしろお前が自由すぎなんだよ」

 言い返すも僕の声に覇気はない。

 頑張ろうとして張り切ってもやることがないと不安になる。退職して自由になったはずなのに、ちっとも性格は変わらず、せっかちで無駄に動き回っているような。

 そんな僕に対し、大地も大地の両親も「焦るなよ」とか「自由にしていい」とか「のんびりしろ」と言ってくる。でも、どうやってのんびりしたらいいかわからないし。

「それが眞魚らしいもんな。お互い気張らず、マイペースでいいんやけど……ってことで、眞魚」

 急に大地が僕を見るので、慌てて「ん?」と返す。

「どうもすでにいいのが撮れとったっぽい」

「は? マジで?」

「マジ」

 そう言って、大地はカメラを僕にぐいっと渡した。画面を見ると、そこには凪いだ紺碧の水平線。海と空が一体となった一瞬の美しさが保存されていた。

「これが撮りたかったの?」

「そ。もっといいのが撮れるかなーと思っとったけど、そろそろタイムオーバーやな。うん、これがよか」

 そう言って大地は満足そうににっこり笑った。


 キャンプ場を後にした僕らはドライブがてら、自宅を追い越して虹の松原へ行ってみた。

「気楽にのんびりするっていうのも才能がいるなぁ」

 嫌味ではなく思うがままに言ってみたら大地は「そうかもねー」とのんびり笑ってハンドルを切る。

 松の木に覆われた虹の松原へたどり着き、柔らかい砂を踏んで海に出る。大地はレジャーシートとローチェアを持ってきて、顔に帽子を乗せるとさっそく寝そべった。僕もシートに座って休憩する。

 なんだか原始的な生活だよな。でも本来、人間というのはこうあるべきなのかもしれない。世の中が便利になりすぎるのも考えものだな。

 そんなことをぼんやり考えていると、唐突に大地が話をする。

「こういう生活も悪くないやろー?」

「まぁねぇ……でも向き不向きはあるよ。僕はやっぱり都会暮らしが便利で快適だし。こういうのはたまにでいいんだ。日々の喧騒から離れて、のんびりする時間を作ってさ」

「またそがんこと言って。でも楽しいやろ?」

 探るように言う大地。僕は「うーん」と考え、ほかに言い訳が見つからなかったので大人しく観念した。

「……はい、楽しいです」

「えっへっへ」

 不気味に笑うな……。なんでもお見通しって感じがムカつくけど、正直な気持ち、社畜時代の時より断然今の生活がいいのは確かだ。

「大地は都会で働く気はないの? 一時期は地元を離れて生活してたんだろ。もっと広い世界に行こうと思わないの?」

「狸やけんなぁ」

 大地はそれだけ言い、後に続かない。帽子を顔に乗せてるせいで、どんな表情なのかもわからなかった。

「まぁ、大地は昔からそうだよな。自然の中で自然と生きてる感じがある」

「血筋やけんなぁ」

 そういうものか。こうも自分のアイデンティティをしっかり持って、そのとおりに生きられるのは羨ましい限りだよ。

 しかし僕は同時に、大地がどこか遠い存在のような気がしてならず、妙な寂寥感を覚えていた。

 ほとんど同じ時間を過ごしていたはずなのに、どうして僕らはこうも生き方が違うんだろう。性格の問題なのか、家庭環境の問題なのか。考えてもよくわからない。

「変なこと考えんでいーとよ。俺はさ、眞魚と二人でこの生活続けるのが人生で一番楽しい。そういうことにしとって」

 思考は読まれていない。でも絶妙に僕のツボをおさえたその言葉が、むず痒くて仕方ない。

 唐津に帰ってきてよかったのかもしれない。たとえこの地に僕の実家や家族がいなくても、大地がいるだけで安心してしまうんだから。

「お前のそういうとこ、ほんとズルいんだよなー」

 大地のお腹をポンと叩いて、僕もその場に寝そべった。

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