秘密基地

湯本優介

秘密基地


S「おい、俺達大人になっちまったぜ」

とある二人の男が、二十年も前に己らで作った、いわゆる秘密基地に、その年頃ぶりに訪れていた。

T「懐かしいな。子供の頃は壮大に思えたのに、大人になって見てみるとずいぶん小さい」

S「でも、小学生が作ったんだぞ? 十分な出来だろ」

T「あー、確かに。そう考えると、急に誇らしくなってくるな。この中々しっかりした基地を、俺達の手で作ったなんてさ」

S「......いや、それは違うよ」

T「? どういうことだよ」

S「この秘密基地を作ったのは、小学生の俺達だ。そして、そいつらはもう居ない。純粋で、無垢で、素朴な小学生はな」

T「! ......はは、そうかもな。俺達はこれを、作っていない。俺達じゃ作れやしない」

先刻まで頭の隅々に疑問符を浮かべていた方の男は、今涙を呑んで初めて、自分が泣きそうになっていた事に気づいた。そしてまた、その涙をこらえたという事実に涙した。その涙面のまま、彼は無理やり声をひねり出すのだった。

T「……悪いことしちゃったかな」

S「どうしたんだよ、急に」

T「いや、子供達が作った秘密基地だってのに、俺達みたいな夢や憧れの欠片もない大人が、ずけずけと入り込んじゃってさ」

S「……まあ、あんま悲観しすぎる事もないよ。これを作ったっていう権利は主張出来ないにしても、懐かしむことくらいは、許されたっていいじゃないか」

二人に訪れたしばしの沈黙。あるいはそれは、二人にだけ聞こえる過去の音なのかも知れない。何にせよ、思い出の中に確かにあるみずみずしいナニカに浸る感覚は、二人以外に分かりようもない。二十年ものの土に埋もれたブルーシートの上をぱっぱと払って、背の高い男の方が何かを拾い上げたところで、その音もどこかへいってしまうのだった。

S「おい、これ見てみろよ。記念コイン。これ、六年生の修学旅行の時のやつだぜ」

T「記念コイン? そんなのあったっけ」

S「覚えてないのかよ。ほら、広島に行って、自由時間の時皆で買ったやつ」

T「あー! 思い出した。そんなんあったな。そう考えたら、六年生の春くらいまでは、まだここに来てたんだな」

S「確か、同じ年の夏くらいだったよ。俺達がここに来なくなったのは」

T「そのくらいが丁度、思春期だしな。秘密基地とか子供っぽい〜って、自然に足を運ばなくなって。よくまだ原型が残ってたもんだよ、ホント」

S「ほんとにな……あ! これとか懐かしいな、コースターだよ。ツタが巻きついてやがる」

T「お、それは覚えてるぞ。 いつだったかわからないけど、昔、家庭科の時作ったやつだろ」

S「珍しいな、忘れっぽいお前が」

T「俺が手先不器用すぎて、めちゃくちゃ血を流しながら縫ったんだ」

S「ええ、マジかよ。コースターで? 」

背の高い男は大わらいして見せた。「お前らしいや」などと、眼鏡をかけた男を茶化しながら。

T「お、おい。わらうなよ。苦労した分、完成した時すげぇ嬉しかったんだから」

S「悪い悪い、それで記憶に残ってるんだな。やあ、確かに努力の見える形してるよ。持って帰るか?」

T「いや、それも純真な小学生のものだから、俺なんかが持って帰ることは出来ない……って、言いたいところだけど、大人として、そうもいかないよな」

S「ああ、思い出は惜しいが、これだけの荷物をここにずっと置いておくってのは、どうもな。子供のしたことの責任をとるのは、大人としてやらなきゃいけないことだ。いつまでも、は無理だよ」

T「でも、もう少しだけ、さ」

S「ああ、もう少しだけ。ゆっくりでいいさ、回収は」

浸る、浸る、感傷に。耽る、耽る、思い出に。ゆっくりと、その地に残る記憶は摘み取られていく。あまりに合理的に、あまりに当然に。こうならなければならなかったのだが、こうなることを望んではいなかった。そんな一つ一つに言い訳をしてる最中で、背の高い男がまた何かを見つけたらしい。ひっ、と情けない声を上げた。

S「なあ、これ……」

T「ん、どうした? またなんかあったか? 」

S「これ……骨だよ。人の」

眼鏡の男は耳を疑ったが、それは見れば明らかだった。これもまたツタの巻きついた、人骨。頭蓋の形が、私は人のものであると明言してきた。

T「これは……確かに人の骨、だな。それも、丈は子供くらいだ。ちょうど、小学六年生、高くても、中学二年生くらいの……」

S「なんでそんな年齢で……。ていうか、なんでこんなところに」

T「こっちにも、何か落ちてるぞ。手帳? 手帳だ。いや、日記かな。名前が書いてある。だいぶ文字は掠れてるけど。神戸、神戸……だめだ、下の名前は読めないくらいまで掠れてる」

S「神戸? 聞き覚えのない苗字だな」

眼鏡の男は、恐る恐るその手帳を開いてみる。中を開けて現れた日付と短文が添えてある形式が、何よりわかりやすい説明だった。これを日記と呼ばずしてなんと呼ぶのか、という風な。

T「これ……二〇〇二年って書いてある」

S「二〇〇二年……。俺達が、四年生の時。秘密基地を作り始めたくらいの時だな」

T「な、なあ」

S「どうした? 」

T「この日記、この場所の事が書いてあるよ。俺達の秘密基地の事が」

背の高い男はそれを聞いて、一緒になって日記を覗き込んだ。そこに綴られていたのは、紛れもなく秘密基地の事と、二人の事。二人がほとんど毎日基地に訪れていたように、ほとんど毎日の基地での出来事が、余すことなく書いてあった。背の高い男は読んでいくうち、ある事に気がついた。

S「まるで……俺達と一緒に遊んでたみたいだ」

T「確かに、俺もそう思ってた。俺達の作った、ハンモックやブランコ。あっ、コースターの事まで……」

S「物の見た目だけじゃなく、誰が作った、誰が持ってきたっていう概要や、エピソードまで書いてあるし」

T「それだけじゃない。所々、俺達と会話したような文章もあるぞ。[教えてくれた]とか、[笑ってくれた]とか。でも……」

でも、二人には身に覚えがない。ここまで詳細に丁寧に、間違いなく書かれている日記ではあるが、二人は一度も、この場所で別の子供を見たことは無かった。親しい友人ですらも、この場所に連れてきた事など無いのだから。読み進めて読み進めて、終盤のページ。二人が来なくなった、六年生の夏頃のページに、目をやった。


[二〇〇四年 七月二日 金曜日 最近なぜか、二人が来なくなってしまった。二人とも、もうひみつきちに飽きちゃったのかな。でも、それだったら私に、一言くらい何か言ってくれると思う。何も言われて無いって事は、二人は来てないんじゃ無くて、来れてないだけ、だよね。やさしい二人に限って、無言で来なくなっちゃうなんてこと、ないよね。二人が来られるようになるまで、毎日ここに来続けよう]

[二〇〇四年 七月三日 土曜日 今日も来なかった。休日なのに。そんなに二人は忙しいのかな。どうして、忙しくなるって事、教えてくれなかったのかな]

[二〇〇四年 七月四日 日曜日 今日も来なかった。日曜日だし、お父さんやお母さんに、どこかに連れて行ってもらってるのかも。うらやましいなぁ。うちは、お母さんが忙しいから、たのんでもムダだろうな]

[二〇〇四年 七月五日 月曜日 今日も来なかった。月曜日は、学校も早く終わるはずなのに。もしかして、忙しいから、前と時間をずらして来てるのかも。それも、言ってくれて無いけど]

[二〇〇四年 七月六日 火曜日 昨日考えた事が当たってるかも知れないから、二十四時間ここから離れない事にした。昨日の夜にお母さんが出かける前、置いて行った千円で買えるだけのお菓子とジュースを買った。これでしばらくは大丈夫]

[二〇〇四年 七月七日 水曜日 二十四時間ここにいたけど、結局二人は来なかった。今日来れなかっただけだよね? もしかしたら、私が寝てる間に来たのかも。起こしてくれたら良かったのに]

[二〇〇四年 七月八日 木曜日 寝てたら二人に気づくことが出来ないかもしれないから、寝ない事にした。ちょっと辛いけど、ブランコでもして気をまぎらわそう]

[七月九日 金曜日 ブランコ、楽しいけど、二人がいないとやっぱりつまらないよ。二人と一緒に、遊びたい。鬼ごっこやかくれんぼをしたい。珍しい物を見せて欲しい。二人が見せてくれるものは、いつも面白くて、ワクワクするから]

[土曜日 持ってきたジュースとお菓子を食べきってしまった。今日は夏本番って感じで、とても暑い。喉が渇いた。二人、早く、来ないかな]

[日 頭が痛い。くらくらする。前が見えにくい。大変だ。今、二人が来ても、わからないかも]

[月 おかあさん。ふたりとも。どこ? ]


日記は、ここまでで終わっている。二人は、言い得もしない恐怖と、虚しさと、それからどうしてか、申し訳なさにまで駆られていた。二人は日記の少女と、話した事も出会った事も無いというのに。

S「これ、日記を読む感じ、この子は俺達が遊んでるところを見てたのかな。それで、俺達が帰ってからは、俺達と遊んでる想定で、秘密基地で一人で……」

T「どうして、声を掛けてくれなかったんだ。一緒に遊ぼうって言ってくれなかったんだ」

S「……ここにはさ、俺達、どれだけ親しい友達も連れて来なかったわけじゃん。そのくらい、小学生の俺達にとって、この場所の[秘密]っていうのは価値の高いものだったんだよ。この子は、子供ながらにそれを感じて、気持ちを汲んでくれていたんじゃないかな」

T「……」

当然、何も言えなかった。二人が悪いわけではない。むしろ、二人からすれば、自分達のテリトリーに無断で踏み入られ、まるで二人のせいであるかのように死んでいかれたのであって、立場的には冤罪をかけられた被害者に近いはず。それでも二人は苦しんだ。二人共が、舌が噛みちぎれてしまう程まで、悔しさを押しつぶした。二人に出来ることはもはや、無い責任の転嫁と、謝罪と、祈ることだけだった。

T「親は……親は何をしてたんだ。この子の親は。どうして、娘が数日家に帰ってこないのを見過ごすような事……」

S「やめろよ、ずっと捜してたかもしれないだろ。この子がこの場所を伝えなかったから見つからなかったとか……」

T「それでも、二十年経っても、骨すら回収されてないんだぞ!? この場所は、そんなに見つけるのが難しい場所かよ!? 」

S「そんな事言ったってしょうがないだろ! この子が親にどんな扱いをされてたか、とかは、俺達が介入していい話題じゃない! 俺達がすべきなのは、むしろ親御さんに謝りに行くことだ」

T「謝りに……」

S「そう。俺達は知らなかったとはいえ、この子の死に関わっているのは事実。出来ることはそれしか無いし、それは絶対にやるべき事だ。まともに取り合ってくれなくても、親御さんがこの子をどう思ってたとしても」

T「そうか……。だったら、この日記も渡そう」

S「ああ。この子の元から取り上げるようで少し気は引けるが、これは、親御さんも見るべきものだ」

眼鏡の男は、自分の頭より高い位置に日記を持ち上げて、くたびれたように倒れこむ骸骨に一礼し、それをポケットにしまった。先程些細な言い合いをした二人ではあったが、彼女の前でみっともないと、言葉なくお互いが理解してからは、そこには再び“大人”の二人が立っているのだった。

T「なあ、大人げない話だけどさ」

S「おう」

T「この場所、この荷物、このままにしてちゃ駄目かな? というか、このままにしておくべきだと思う」

S「奇遇だな。俺も今、お前と全く同じ事言おうとしてたよ。ブランコも、ハンモックも、コースターも、記念コインも、このままが良い。俺達が決めていい事かってのはわからないけど」

T「いいさ、このままにしよう。“子供”がそうしたいって言ってるんだし」

S「……よし、行こう」

T「じゃあ、俺達行くよ。今度こそ、何度でも戻って来るからな」

吹く風は柔らかく、日記を持つ者達を見送った。 この後、二人が日記を返せたかどうかはここでは語らない。いつだったか、ここは青い少年二人が思い出を作った場所。いつしか、ここは誰も訪れなくなった、たった一人の為の場所。閑散としてしまったのだろうか。いや、そうではない。このコースターが、この記念コインが、この骨がここに残り続ける限りは。とある、とっくに青春の芽が枯れきってしまった大人二人組が、見当違いに責任を感じて、月に一度、花と水とを手向けにやってくる限りは。ここはこれからも絶えず賑わい続ける。


儚い少年達の夢と、後悔を携えて。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秘密基地 湯本優介 @yusuke_yumoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ