商売の12 三つの心がひとつになって
衣笠ミオは、まるでぬるま湯に浸ったような空気に晒されながら、それを待っていた。夏の夜は日差しがなくてもその強さを感じてしまう。
テレコムセンター近くの高級四川料理を出す店で腹ごしらえを終えた彼女は、舌を外気にさらしながら、ペットボトルの水をごくごくのどを鳴らして飲んでいる。
「四川料理ってから〜い。こんな辛いの? おいしかったけどびっくりしたよ」
『これくらい刺激があるといいな。四川そばも良かったが、あのカリカリの牛肉炒めはクセになる。リョウコ、また食いに行かないか?』
脳内で、いつもより弾んだアオイの声が響いた。
その一方で不機嫌そうなのはリョウコだ。
『うるせーうるせー。バカじゃねえのかお前? 辛すぎんだろボケ。限度があんだろ? あー辛い。ミオ、明日あたしオフな。ぜってえ起きねえ』
ミオの脳内には同居人が二人いる。もちろん妄想や幻聴の類ではない。四川料理の刺激が産んだなにかでもない。
ミオ、アオイ、リョウコの三人は、理由あって一つの体に合体している。
理由を話すと長くなるため省略するが、消費カロリーが単純に三倍になるため、とにかくなんでもやって金を稼ぎ、食わねばならない。仕事の前にはタフな心を呼び覚ます激辛料理はてきめんだ。
気合が一つの身体に漲った三人娘はビジネスに赴く。お台場の奥、テレコムセンターを過ぎると、人気のない青海埠頭が広がっている。ここだけは、東京のビル群が作る人工の星々が瞬く以外は、喧騒もはるか先に感じる。
だからこそ、後ろから接近してきた不気味なほど低音のモーター音にすぐ気づくことができた。ミオが振り向くと、そこには爛々と輝くLEDの細い目がライトとなってこちらを照らし、影を遥か先へと伸ばしている。
車だった。
それは不気味なほど扁平で薄かった。流線型のボディは滑らかで、一見するとつなぎ目が分からぬほどだ。しかしそれにはフロントガラスやライト、おそらくはエンジンルームのボンネットハッチである境目が確かに存在した。
『会長さんのおでましだ』
『金持ってんだろうな? ミオ、油断すんなよ。銃使え』
酷暑となった東京では、彼女らのトレードマークであるコートはとても着ていられない。ミオはノースリーブの丈の長い白いブラウスシャツに、黄色いネクタイをなびかせて、風の通りやすい黒いストレッチパンツを合わせ――腰の上あたりにマウントした大口径拳銃『コルト・デルタエリート』に手をかけた。
「会長さん? 乗ってる?」
降りてはこない。呼吸しているかのごとく、車のLEDが静かに明滅している。
『まずはデータを渡してもらおう。クラウドサーバーへのアクセス権をな』
スピーカー越しに、社長――烏丸自動車グループ会長・烏丸誠也の声が響いた。彼女らによって、最新型自動運転モービルである『ヴォルテックス』に安全上の致命的な欠陥があることを突き止められた彼は、思惑を持ってこの場に――赴かなかった。
「あーし、仕事でやってるからさー。おじさんコンビニ行く? なんか買ったら先にお金払うでしょ? トーカコーカンってヤツ。あ、ヤバ。なんか昔のマンガで似たようなのあったくない?」
『今どうでもいいだろ』
『面白くねえぞミオ。早く
ミオが『うまいこと言ってやった』と少し嬉しそうにしているのにも、車の主は――事実ここに存在しないのだが――動かなかった。キュン、とフロントガラス越しに設置された視覚センサとツインカメラアイが収縮を繰り返し、ターゲットを鮮明にとらえ直した。
『もう一度聞く。クラウドサーバーのアクセス権は持っているんだな?』
「金が先だけど、一応見せたげる」
ミオが取り出したのは、クマのぬいぐるみの腰の部分から端子が飛び出しているという、お世辞にもお上品とはいえないUSB機器であった。アオイ謹製の物理キーである。
「当たり前だけどウイルスとかはないよ。これを挿してから三分だけクラウドサーバーにアクセスできる。もたもたしてたらアクセスしそこなって払い損するんだって」
『わかった。金は中だ。今出す』
ガルウイングタイプのサイドドアが音もなく開いて、そこからマニピュレータがアスファルトにゆっくりとアタッシェケース――つまるところ
一億円。三つ首の大きな口をふさぐには十分な額だ。ミオはケースを少し開けて、中身が確かに金であるか否かを確かめようとした。
その時だった。
黒い影が音もなく、それでいて弾丸のように迫っていたことに、ミオは全く気づかなかった。彼女はアタッシェケースごと夜空に巻き上げられ、一万円札に紛れたコピー用紙に紛れて錐揉み回転する。
跳ねられた。一瞬意識を飛ばしたミオはすぐさま目に光を取り戻す。彼女のパワーと反射神経であれば、普通自動車くらいなら余裕で受け止められるはずだ。完全なる油断か――それを判断する前に、リョウコが脳内で吠える。つう、と額から血が流れ、それが彼女の怒りにさらなる火を点けた。
『ミオ、変われ! スクラップにしてやるぜ!』
どん。
彼女が大きな胸を叩くと、金髪の長い髪がスパークとともに解けていき、肩までの黒髪に変わって、赤いリボンがそれを結い上げまとめた。ネクタイもまた赤く変わり、鋭い視線が地上を駆け抜けた黒い影を追う。
アスファルトを焦がして180度のターンを決めた『それ』は、LEDライトを眩しく輝かせて己の存在を示した。
金を運んできた車と同型機――しかし不気味に赤いライトがフロントガラスに目の如く浮かぶ。人間の搭乗を意図していないような位置だ。
烏丸はこの場に来ていないばかりか、こちらを始末することを決め、金を用意せず、殺し屋代わりに自社製品を送りつけたのだ。
それはリョウコのみならず、三つ首全員にとって、万死に値する裏切りであった。リョウコは背中に手を突っ込むと、スパークを迸らせながら柄を引っ張り出して、斧を取り出す。
眼下では、急発進を始めた自動車が再び前輪を空転させながら、こちらへと向かってくるのが分かる。
リョウコは落下しながら、空中から斧をぶん投げる。お互いの速度によって刺客は脆くも敗れ去るはずだった。
車は一瞬身体をぶれさせたが、それまでだった。斧を食い込ませたまま、車体の側面、もとガラスだったはずの部分が内側から裂ける。シームレスに接合された装甲が音もなく回転し、折り畳まれた金属の牙のように展開されると、そこに潜んでいた異形の筒――それは、子供が書いた恐竜の口みたいな――がせり出してきた。そこから装填されたのは──
発射音はない。ただ、何かヤバイという直感がリョウコの身体を捻らせ、手を重ねて顔の前へ突き出した。
刹那、掌を縫い合わすように五寸釘大のスパイクがリョウコの鼻先に迫った。激痛。神経はギリギリ避けたようだが、骨がまともなままかは疑問が残る。
着地と同時に、リョウコは無理やり手を引っ剥がし、アドレナリンを出るに任せてスパイクを放り投げた。アスファルトの上を踊って、血染めの杭がLED製のカメラアイに照らされる。
『噂通りの化け物だな三つ首。紹介しよう。試作型暴徒鎮圧用無人ビークル・ヴォルテックスβだ。人間の前に出すのは初めてだよ。若い娘さんには気の毒だが、烏丸自動車グループを守るためだ。変死体になってもらうよ』
「……どうするアオイ」
『取引の余地はないか確認すべきだ。あのスピードとパワー、防御力――今の我々じゃ歯が立たない。リョウコ、冷静になれ』
ぎゅう、と握りしめた拳から、涙のように血が滲んでアスファルトに落ちる。しかし、命あっての物種だ。
「分かった、会長。取引しないか? くまちゃんはやる。痛み分けってことにしよう。こっちの命は保証してくれ。あたしらもすっかり忘れる」
リョウコはクマのUSBキーを高く上げてアピールした。生きていればなんとでもなる。こいつは別の方法で絞り上げてやる。
『いいだろう。手を上げて動くなよ』
ヴォルテックスβから、細いマニュピレーターが伸びてクマを回収し、体内へとしまい込む。
『言っておくが、先ほどのレールスパイク――射程距離と命中率は折り紙付きだ。拾った命を無駄にしたくなければ、そこから動くんじゃない』
ギュル、と再びターンを決めて、一瞬で視界の外へとビークルはかっ飛んでいった。時速二百キロまで五秒もかかっていない。
『……なんて速さだ。あれじゃ私の足でも追いつけない』
『どーする? あーあ、一億円がパーになっちゃったね』
リョウコは諦めたように腕を下ろして、残された方のヴォルテックスをちらりと見た。ライトが赤く細かく明滅している。先ほどまでの挙動と違う。こんな光り方していたか?
「……野郎、やりやがった! アオイ走れ!」
リョウコが二度胸を叩くと同時に、スパークと共にリボンが解けて、目元にまとわりつき、メタルフレームのメガネに変わる。
リョウコの言葉、アオイの第一歩――それとほぼ同時に、車が大爆発を起こした。爆風は熱と炎でアオイを舐め取ること叶わず、彼女の小柄な身体を吹っ飛ばすに留まった。彼女の足の速さがなければ、骨も残らぬほどの爆発だ。
地面に転がり、メガネが割れて――炎の柱が上がるのをアオイはただ見上げていた。
万死に値する。
権力者がその力を己のためだけに使い、悪党としての矜持もなく取引も守らない――。
「ブタが……絶対に許さんぞ」
額から落ちた赤い血が、夏の熱気を未だ宿しているアスファルトに落ちて黒く変わった。この東京の道路みたいに、三つ首の復讐心は未だ燃えている。
ヴォルテックスは無事受注生産が始まった。
烏丸グループにとって、自動運転技術の実用化と商業化は急務だ。運転のほぼすべてを自動化できるヴォルテックスの基幹システムと、それを実現するAIは烏丸グループを半世紀戦えるようにするだろう。
基幹システムの開発チームが一時離反し、その開発責任者が無惨な
「湾岸署からの報告は?」
秘書に何度言ったか分からない言葉を投げかける。
「未だありません。彼らによれば、捜査手続きはもう済んでいるとのことで……死体が見つかったようなこともないと」
まずい。
三つ首の死体が見つからないのはまずい。彼女らのクラウドサーバーに保存されていた安全技術資料は無事削除された。コピーはないという触れ込みだったが信用ならない。
三つ首が生きているのなら、復讐を考えるはずだ。
秘書が出ていった直後、内線が鳴った。直通電話だった。
「……もしもし」
『やあ、会長さん。先日は大変なプレゼントをありがとう。我々も勉強になったよ』
声にこそ聞き覚えはなかったが、烏丸はその持ち主が三つ首だと確信した。じわり、と受話器を持つ手に汗がにじむ。
「生きていたのか」
『ああ、そうだとも。幽霊じゃない。だからこそ取引ができるのさ。良いネタが入っている。4Kで撮影された御社の新製品ヴォルテックスが爆発を起こすところや、この日本じゃとても容認されない武器を搭載した新型とかな。社会正義を追求する我々にとって、非常に関心が高いトピックだ。もちろん日本国民全員そうだろう』
「買えというのか」
『直接は言わないが、想像におまかせする。もっとも、前回のように製品を送りつけるような真似をされるのは心外だ。直ちに交渉は決裂となるからそのつもりで。せいぜい、あのビークルにでも乗って自分で足を運んだらどうだ?』
「……値段は。一億円か?」
「足りないな。約束すっぽかした分を勘定に入れろ。言っとくがこれでも理性的な話をしているつもりだ。あまり自分を安売りしないことだな、会長」
電話を切った直後、アオイは少し後悔しているような表情を見せていた。乱暴に包帯を巻いた手はまだ痛い。三つ首は大怪我をすれば三人で怪我も共有する羽目になる。
烏丸グループ本社ビルのある駅近くの、有名チェーンのハンバーガーショップは、昼過ぎなのににぎわっていた。
アオイは考える。あの無人ビークルがまた来ても、確実に撃退する方法などあるのだろうか。
『アオイ、ビビってんのか?』
「……別に」
運ばれてきた三つの巨大ハンバーガーにアオイはかぶりついた。有名チェーン店の安っちいハンバーガーでも、ケガをしている彼女らにとっては必要なエネルギー源だった。
『でもさ〜、実際アレ来たらどうする? アオちゃんの足じゃ追いつけない。あーしのパワーじゃ受け止めきれない。リョウちゃんの斧でも止まんなかったじゃん』
がぶり。あっという間に三つ目のハンバーガーがアオイの小柄な身体に吸い込まれていく。エネルギーは十分だった。
『簡単な足し算だろうが。三つ首は三人だぜ。一人一人でダメなら三人がかりだ。あたしらならやれるだろ』
青海埠頭はやはり人気がなかった。
そんな中、ヴォルテックスβがモーター音を唸らせ、高性能LEDヘッドライトが、五十メートル先に立つ金髪の女――ミオの姿を照らし出す。
烏丸はそれを見やって車から降りた。無人攻撃機であるこのマシンには、搭乗者はむしろ完全駆動のノイズとなる。
「金は持ってきた。データを渡せ」
「会長さんさあ、何回も同じ事言わせるのやめてくんない? ダルいって。どうせ持ってきてないし、あーしらの事始末する気なんでしょ」
図星だった。三つ首を始末すれば、後はなんとでもなる。ヴォルテックスβは試作機だ。ガワを取り繕えば、烏丸グループの関係性などいくらでも誤魔化せる。
「……話が早いようで何よりだ。そっちもそのつもりなら都合がいい。死ね、三つ首!」
急空転するタイヤ、モーター音が猛獣を思わせる低い唸りを挙げて、ヴォルテックスβが弾丸の如くミオに迫った。
この速度と質量を、いかにミオでも真正面から受け止めるのは不可能だった。だから、発想を転換させた。
受け止めるのがムリなら、受け流せばいい。
彼女は思い切り足元の地面を蹴りつける。ミオの脚力はアスファルトのほんの一部をシーソーの如くえぐり出し、急速度であるが故にヴォルテックスのAIは何が起こったのかを理解できず、その僅か数十センチの段差へもろに突っ込んだ。
勢いは凄まじく、扁平な車体はその段差に蹴躓き、くるりと後部を浮かせて、まるで巴投げでもされたかのようにひっくり返ったのだ。
その刹那、ミオはアオイとリョウコに
地面を蹴り、空中に浮いたヴォルテックスの腹を駆け上がり、アオイは青い一筋の光になって前方へ飛ぶ。その先には、彼女と同じ名前の、青い交通表示看板。薄い胸をどん、と一度叩きつけ、今度はスパークとともにリョウコへ。
抜き払うように斧を振るうと、すっぱりパイプ接続が切れて、看板が剥がれ落ちる。リョウコはそれを見るや、つながっていたパイプを握りしめ、即席の巨大斧にせんと、となりの看板を足場に蹴り出して、ヴォルテックスに視線を向けた。
この間、わずか二秒!
「くたばりやがれ、ラジコン野郎!」
もはや物言わぬ死体へと変わった彼に降り注いだのは、試作機が爆発する様だった。
爆炎を背にアスファルトへと降り立ったリョウコは、乱暴に巻かれた手のひらの包帯を見おろしてから、ぎゅっとそれを握り締める。
「あたしらは血ィ流して悪党やってんだよ。……機械使ってサボってんじゃねえ」
終
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