商売の11 美醜とプライド

 雪代 美波ゆきしろ みなみはドライバーをブンブンと素振りしていた。動きやすいノースリーブに、白いミニスカート。そこから美しい肌と長い脚が覗いている。

「私ね、最近ドライバーで160ヤード飛ぶようになったのよ。スイングもコーチングプロについてもらったから、上手くなったのね。ぜひ見てもらいたくて」

 風切音が暗闇に響く。ティーショット――ボールの位置にあるのは黒髪の女の頭だ。首の下まで埋まっていて、その前髪には赤いメッシュが一房垂れている。

 その顔には激闘の後が見て取れて、傷や痣が痛々しく残っていた。

「なんだ? お医者様が人殺しまでやんのかよ。あたしはゴルフボールか? よく飛ぶといいな」

「まだ口が回るのね? 女の子なのにこれ以上は可哀想なことになるわよ。お嫁どころか外も歩けない顔になる」

 1Wのメタルヘッドドライバーが、女の――リョウコの頬を冷やりと撫でた。なぜ彼女がこのような目に遭っているのか――話は一週間前に遡る。


 

 雪代は再生医療技術を応用した美容整形外科クリニック『スノウホワイトビューティークリニック』の院長であり、天才美容整形外科医としての地位と名声をほしいままにしていた。その日も彼女は『ハイキャリア女性のライフスタイル』を紹介するネット記事のインタビューを受けていた。

「雪代先生は、還暦を迎えられるということですが、大変お美しくていらっしゃいますね。肌なんて、私より倍はきめ細やかに見えます」

 三十歳くらいのインタビュワーがそういうのへ、雪代は聞き飽きたとでも言わんばかりに、無感動に微笑んだ。

「永遠に美しくあることは、すべての女性にとっての共通の課題であり喜びですわ。私はその課題を科学的にクリアしているに過ぎませんの。ただ、残酷ではありますが――」

「残酷……ですか?」

「ええ。残酷な現実ですが、『若さとは才能』です。どんなに美しい方でも、精神がそうあらねばそれを維持することはできませんわ。逆にいえば、そうした精神のあり方さえ若くあれば、女性はいつまでも美しくあることができる。当クリニックでは、外見についてそれをお手伝いすることができますが、精神はそういうわけにはいきませんもの」

「なるほど……では、その精神のあり方とはどんなものでしょう?」

「醜いことを罪と感じることです。コレを言うとルッキズムだなんてよくネットで叩かれますが、これはあくまで自らに課した戒めでしてよ。自ら美しくあることを至上とし、自ら醜くあることを憎む。明日からでもできる秘訣です。それでも難しいのなら、当クリニックがお手伝いいたしますわ」

 記事のゲラに目を通し終わり、雪代は秘書にオッケーを出して、自らの肌――手首をすっと指で撫でた。水分量がやはり落ちている。このインタビューで言ったとおり、確固たる精神の持ち様と、美容科学を尽くしたあらゆる技術を投じてもなお、老い自体を克服する方法はない。ため息が出る。

『院長。問診結果に目を通していただけますか?』

 PCにメッセージが入ったので、雪代はさっそく目を通し始めた。渡りに船だ。克服はできないが、寿命が尽きるまでの期間、アンチエイジングを維持する方法はある。

 IPS細胞による再生医療――それを美容分野に応用する。技術的には浸透してきた方法である。自家IPS細胞を利用した注射は、ここ以外のクリニックでも提供している。

 しかし、還暦を超えてくると、自家iPS細胞による再生力も陰りが見えてくる。そこで雪代が考えたのが、若い患者を使ったiPS細胞の抽出と、交換輸血の実施――そして、内臓や血管の移植だ。

 完全なる違法手術だが、雪代のクリニックでは若年層割引を行っているので患者には事欠かない。この問診では、死んでも家族が文句を言わなそうな者を探すのが目的だ。

 整形は、誤解を恐れず言えば『他人になりたい欲求』を満たす手段でもある。精神的に壊れてもなお、整形に取り憑かれている者も多い。そういう人間は、雪代にとっての格好のエサだった。

 問診に目を通している最中、内線電話が鳴った。

 受話器を持ち上げる。秘書ではない声がその先から響いた。

『雪代院長センセーだな?』

「……誰? 直通番号を教えた覚えはないわよ」

『三つ首なんて呼ばれてる、ケチなもんさ。清水萌香を覚えてるか?』

 覚えていた。

 半年前に、交換輸血とIPS細胞の抽出を実施した患者だ。その時の雪代の臓器は比較的健康だったので不要だったが、問診の結果が良かったので望むままの整形を施すついでに、雪代の持つネットワークで臓器をした。

 理想の姿を手に入れた清水萌香は、幸福の絶頂で、金持ちの代替臓器パーツに変わった。今は別の戸籍で処理され、火葬されている――。

「患者のことはお答えできません」

『あ、そう。じゃあ勝手に話すけどいいよな? 単刀直入に言おう。あたしはそのカルテを持ってる。顔の整形と豊胸、脂肪吸引――まあそこまでは当人の自由だが、偽造された臓器提供同意書に親権者のサイン、移植コーディネーターによるお膳立てまで用意してあるのはどうなんだろうな。おっと、コーディネーターの悪口は言うなよ。ヤツは暴力に弱くて口が軽かっただけなんだ』

 雪代はスマホでSNSに接続し、移植コーディネーターのアカウントを探したが、ブロックされていた。何かあったのだ。背中が冷えたような気がした。

「……交渉のつもり?」

『コーディネーターは暴力に弱いって言ったな。あたしは集合体恐怖症なんだ。偉そうな昔の連中が描かれたぺらぺらの紙が何千枚も集まるともうたまらなくなって喋れなくなる。記憶も飛んじまう。今は何つったかな? 渋谷? 原宿? なんかそんな感じの名前のオッサンが描かれてたらもう駄目だ』

「なるほどね。カルテを買いましょう。渋沢栄一を五千人用意する」

『ほう? あんたなかなか話が分かるな。ま、みんなそこまではんだ。受け渡しについては後日連絡する』



「とまあ、ざっとこんなもんよ」

 スノウホワイトビューティークリニックの入った池袋のビル、その部屋のカーテンが敷かれたのを双眼鏡越しに見ながら、江藤リョウコは通話を切った。

 ここはちょうどクリニックが覗ける向かい側のビルの屋上だ。立ち入り禁止のその場所に、パラソルがひとつ開いている。

 肩まである黒髪を大きな赤いリボンで括り、前髪には赤いメッシュが一房揺れている。双眼鏡を外すと、鋭い目が青空の先を睨んでいた。黒スーツには暑い季節になってきたので、上着は省略。ノースリーブのシャツに赤いネクタイが揺れている。死にそうな夏の日差しを、パラソルに携帯クーラーで凌ぎながら、優雅に氷入りのアイスティーのコップを揺らす。

 これで雪代も半分カタにハマった。

『後は受け取りだな。妙に素直なのが気になるが』

 脳内にアオイの声が響く。それに続けて、ミオは少し眠そうに言葉を挟んだ。

『素直なら話が早いからラクでいーじゃん』

 三者三様――しかしこの屋上にはリョウコ一人しかいない。強請屋三つ首には、思いもよらぬ秘密が隠されている。

 リョウコ、アオイ、ミオの三人は、理由あって一つの体に合体している。

 理由を話すと長くなるため省略するが、消費カロリーが単純に三倍になるため、とにかくなんでもやって金を稼ぎ、食わねばならない。

 そういうわけで、ラクな仕事は大歓迎だ。金になるなら尚更だ。三つ首にとって強請りはリッチに生きるための手段である。そこに美学は存在しない。

「上手くいったら、新大久保行こうぜ。アジアの味全制覇コースだ」

『カライのは苦手なんだがな』

『アオちゃん、甘いのはどう? あーしトゥンカロン食べたい。前から行ってみたかったお店あんの。超カワイイよ』

『食うんだからカワイイも何も無いだろ』

「ま、いいことは寝て待て的な言葉あったろ。金が入りゃ、いくらでも候補は出てくるさ……」

 リョウコはアイスティーを飲み干すと、パラソルを閉じた。楽勝の仕事のはずだった。

 しかし、彼女らは珍しくヘマをしたのだった。



「同じ女だから油断したのかしらねえ。だとしても腹立つわねえ。小娘の分際で、この私を脅そうなんて、ねッ!」

 フルスイング。

 風切り音と共に、リョウコの肌をドライバーがわずかに撫でた。首まで埋められているこの状況下では、何もできない――文字どおりの手も足も出ない彼女には、恐怖を感じる他無かった。

 ああ、くそ。メシ食ってから来るべきだった。

 ゴルフ場の前で受け取るだけ、というところまで来ていたし、大した歓迎もないはずだ、と油断していたのがマズかった。ミオやアオイの並列思考を維持できず、リョウコ単体でことに当たるハメになり、頭をぶん殴られて気絶させられてこのザマだ。

「クソッ! やめろ!」

 口だけは達者なリョウコとはいえ、恐怖心が欠けているわけではない。ドライバーがそばを通り抜けていくごとに、心をじりじり火をつけられているみたいだった。

「やめてください、でしょ!」

 バンカーからボールを出すアプローチみたいに、リョウコの顎をドライバーで打った。耐えきれないほどの痛みでない――それがまた恐怖だった。手足が自由でさえあればこんな恐怖なんて感じないのに、それがまた悔しかった。

「わ、わかった。あたしは手を引く。勘弁してくれ。カルテはタダでいい……」

 情けないやら悔しいやらで、リョウコは自然と涙を流してさえいた。雪代は取り巻きのボディガードに向かってバカ笑いを始め、リョウコの顔をドライバーで小突いた。

「このガキ、泣いてるじゃないの! いやあねえ、私、メスガキが泣いたくらいじゃ信用しないのよね。心から謝罪してもらわないと。ホラ『申し訳ありませんでした、二度と逆らいません』って、その悪口ばかりの汚らしい口から謝罪の言葉を吐きなさいよ」

 そう言うと、雪代はゴルフシューズをリョウコの口にねじ込みながら彼女を苛み続けた。やめてくれとも、反撃も叶わず、雪代たちによる拷問はとっくり夜になるまで続き、意識が朦朧とする中、リョウコが解放されたのは、明け方の渋谷ハチ公像の前であった。

 後ろ手に縛られ、頭には『悪人』と書かれた紙袋を被せられている。そんな格好で地べたに正座させられた土まみれの女がいる、というのは相当なインパクトであったらしく、警察が来るまでリョウコはさんざん事情を知らない連中に撮影され、SNSを賑わせる羽目になった。顔を晒されなかったのが奇跡だった――。




 アオイとミオが脳の奥から意識を起こしたのは、それから三日も経ったころだった。全身の痛み、リョウコの心に開いた穴――二人は彼女に『何か』があったことを知った。

『アオちゃん……』

『……我々は完璧な人間じゃない。いつも百点満点ってわけにはいかない。どんなに不様でも生きていればなんとかなる』

 リョウコは何も答えなかった。

 彼女の住むアパート――親のいない彼女は一人暮らしだ――には、簡素なベッドと教科書が乱雑に置かれた机、そしていつもは見ない大きなテレビが壁に設置されている。

 ベッドに腰掛けて、二人の発言にも反応しない。日曜日。昼を過ぎ、二時を過ぎ――三時を過ぎた頃、テレビはゴルフ中継を流し始めた。ミオもアオイも、リョウコの視界に広がる中継を固唾を飲んで見守る他ない状況が何十分も続き――その時は訪れた。

『あ~これはいけませんね。フェアウェイを外れてバンカーへ』

『これはダメですね。ヘッドに当てすぎです。油断があったのかも知れません』

 些細な解説者の言葉。ブツリ。

 何かがキレた音が、脳内に鳴り響いた。

 リョウコはジャージ姿のまま立ち上がると、アパートを飛び出していって、近所にある立ち食いステーキの店に飛び込むと、店員に向かって唸るように言った。

「注文いいか」

 あまりの形相に、店員がマスクの下で戸惑っているのが見て取れた。

「……ステーキ。レアで五百だ。ライスはいらねえ」

「あのう、サイドでサラダとドリンクをお付けできますが」

 リョウコの有無を言わさぬ視線がぎらりと光り、掌がカウンターを叩いた。その下には、一万円札が三枚敷かれている。

「釣りはいらねえ。肉だけ一番いいのを出してくれ。三人前な」

 数分後、望み通りのレアステーキが運ばれてくると、リョウコは無言でそれにナイフを入れ、フォークでかぶりついた。肉汁と共にレア部分から血が滴り落ちる。

 脳内のミオとアオイは、肉と共に、活力と怒り――そして復讐心が彼女の中に滾り始めるのを感じ取っていた。

 止めようがない。そうも感じていた。

 相手の死と、自分が受けた以上の屈辱を返す他に、この復讐を果たす方法はない。肉が詰め込まれるたびに、憎悪という名の弾丸が胃に装填されるみたいだ。

 一時間後、リョウコはステーキ皿を三つ重ねて、振り返りもせずに退店した。自販機でホットコーヒーを胃に流し込む。空になった缶を握りつぶして、ごみ箱にたたき込んだ。

 殺してやる。あの日このあたしに不様で惨めな思いをさせた連中を、全員ブチ殺してやる。



 スノウホワイトビューティークリニックからボディガードと雪代が車で出てきたのは、夜八時の事だった。今日は銀座で会食を控えている彼女は、首都高に入ったのを確かめ、スマホから顔を上げた。

 眠らないビル群が星の如く瞬く。等間隔に後ろへすっ飛んでいくライトの上に、彼女は人影を見た気がした。

 次の瞬間、車が何かに衝突し、エアバッグが飛び出し、視界が一気に暗転した。

 一瞬か、何秒か、それとも数分か――雪代が次に目を覚ました時には、自分が首都高の脇、安全地帯のアスファルトに転がっていることを自覚した。そして、彼女に何が起こったのかを、ぼんやりとした頭でなんとか飲み込んだ。

 斧だ。

 アスファルトに突き刺さっている斧が、信じられないことに車を縫い止め、急停止させたのだ。運転席と助手席、そして彼女の隣に座っていたボディガード達は、血まみれのまま車から出火した炎に舐め取られていた。自分だけが助かったのだ。

「お前はな……」

 シルクのようだ、と自負している髪が掴まれたのは、その直後のことだった。声には聞き覚えがあった。あの小娘だ。後ろに立って見下ろしている。

「お前だけはな……楽に殺すわけにゃあいかないんだ。なんつったテメェ? もう二度と逆らいませんって言えっつったか? このあたしにか?」

「や、やめ……」

 口を開いた瞬間、鋭いボディブローが容赦なく雪代をぶち抜いて、彼女を苦悶させた。もぞもぞと地面を蠢く様は、まるで虫だ。

「やめねえよ、ボケ! てめえこのあたしによくもあんな真似しくさったな。お陰で有名人になれたぜ。お礼は倍返しがあたしの信条だ。今からそいつを証明してやる」



 雪代の視界は狭かった。

 何せあの直後、妙にゴム臭いなにかを頭に被せられ、衣服を剥ぎ取られ――どうやらスクランブル交差点近くに放り出されたらしい。

 声は出せない。マスクの下に布を詰め込まれている。引っ張っても全く取れない。皮膚ごとちぎれそうだ。

「何あれ? AVの撮影?」

「スケスケじゃんあのワンピ。ヤバ。痴女じゃん」

「あれアメリカの大統領の顔? マスクちゃっちい」

 好き勝手にそう嘯く若者達。カシャ、とスマホで撮影する音やら、「変態を見つけたんで緊急で動画回してます」とか、どうやら彼女はとんでもない格好で自分が放置された挙句、晒し者になっていることが分かった。

 呼吸が苦しい。

 それは単に口をふさがれているだけではなかっただろう。

 見るな。私を見るな! お前ら貧乏人が直視していい身体なんかじゃない! お前らの見世物にするために作り上げたものじゃない!

 言葉は何一つ発せられず、雪代はふらふらと後ろへ下がる。わずかな視界の先で、下卑た好奇に満ちた視線から逃れようとさらに後ろへ。

 けたたましいクラクションと、悲鳴と、撮影音がまぜこぜになって――まるで最期の祝福のように、雪代の全身に浴びせかけられた。




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