愛しき満月の夜に
舞季
第1夜
暗い夜道をカタカタと下駄が駆ける音が聞こえていた。
「なんで、なんで私があの人に!」
家まではあと少しのはずなのに、遠く感じる。
今夜は満月。人の通りも多いはずなのにどれだけ走っても誰ともすれ違わない。
「お願い、誰か!」
そんな悲痛な声も今となっては誰にも聞こえなかった。
「!」
その声は黒い影に包まれてしまった。
「切り裂き事件?」
「切り裂き事件って、小梅何も知らないの?」
呑気な声で聞く小梅に、穂波はため息をついた。
ここは江戸の少し端にある昔ながらの団子屋。そこの一人娘である小梅はここの看板娘である。少し頭が足りないが、明るく愛嬌のある笑顔で客に人気だ。
「だって夜は父さんと将棋して、早くに寝てしまったし・・・・。」
「千秋が来ない日だからでしょ?」
「!そ、そそ、そんな事より、切り裂き事件の話だったじゃない!」
慌てる小梅をニヤニヤしながら見ているのは同じ団子屋で働く穂波。
小梅よりひとつ年下であるが、おっちょこちょいの小梅がいるため、しっかりせざる終えない性格である。
「最近満月の夜にだけ現れる切り裂き魔がいるの。犯行している所も誰にも見られず。喉元をひと突き。」
「喉元を・・・・・。」
「昨日満月だったでしょ。少し先の軒下で一人の芸者が倒れていたのを朝発見されたの。その死体も喉元をひと突き。何らかの指紋も何も残されて居なかったそうよ。残されたのは、薔薇の花びらだけ。」
淡々と話し終え、横を向くと怯えきった顔で穂波を見つめる千秋と目が合った。
「女性しか狙われないからなるべく一人で夜歩かなければ大丈夫だとは思うけどね。」
「そ、そそ、そうだよね!まあ、私は狙われる関係性もないし!」
「まあ、こんな団子屋のドジっ子は私でも狙わないから。」
「それって、喜んで良いのか分からないじゃない・・・・・。」
「小梅、これ店先の席に持ってっとくれ。」
「はい!」
父さんから渡された団子のお盆を持って歩いていく小梅を穂波は悪戯に笑いながら見つめていた。
「お待たせしました、って千秋!」
店先の席には綺麗な女性が手を振って座っていた。
団子屋の先には、毎晩賑わっている花街がある。
そこでも一番大きいお茶屋で人気を持っているのが千秋である。
小梅とは幼なじみで、よくこの団子屋に時間があると顔を出してくれる。
あまり感情を出さないが、その凛とした様子が舞妓としては人気らしい。
「今日時間空いたの?」
「ええ。明日は詰め詰めなんだけどね。小梅の顔見にね。」
「!あ、そっか・・・。」
「店、大丈夫そうなら一緒にどう?」
後ろを向くと、穂波が息をつき、しっしと手を払う様子が見えた。
「舞妓の仕事、忙しい?」
「そうね。なかなか良い経験をさせてもらってるわ。」
「そっか。千秋の舞妓姿、すっごく綺麗だもんね。幼なじみとしても鼻高々だよ。」
嬉しそうに話し団子を頬張る小梅を、千秋は優しい眼差しで見つめ、お茶を飲んだ。
「そう言えば穂波から聞いたんだけど、切り裂き事件があったって。」
「ああ、ここでも噂になっているか。昨日の事よね。その被害者、私のお茶屋で働いていた芸者の人だから。」
「え、そうなの!?」
「ええ。最近入って来た人だけど。すごく愛嬌があって、すごく気の効く良い人だったから。どうしてとは思うけど。」
「そうなんだ・・・。」
少し俯き不安そうにしている小梅を見ると、千秋は小梅の頭を優しく撫でた。
「しばらく夜は一人で出ちゃいけないわ。誰が狙われるか分からないから。」
「それは、千秋もそうだよ!一番危ない場所で働いてるんだし。私、千秋に何かあったら」
勢いよく顔を上げると、千秋の澄んだ瞳と小梅の目が合った。
吸い込まれそうな黒い瞳に薄い唇。
この顔に何人の客が虜になっているのか、とぼーっと考えていると、あまり笑わない千秋がくすっと笑みを溢した。
「心配ありがとう。また、時間に空いたらちゃんと会いに来るから。私はこうして小梅と一緒にいるのが一番幸せなんだから。だから、夜道は用心すること。分かった?」
「う、うん・・・・。」
こくりと小梅が頷いたのを見ると安心したように千秋はまた小梅の頭を撫で、立ち上がった。
小梅は千秋が立ち上がった先を見ると、柳の下に一人の女性が立っていた。
「千秋?」
「迎えが来ちゃったから、また来るわ。またね。」
小梅をポンポンと頭を撫で代金を渡すと、千秋は柳の下にいる女性の方へ歩いていき、一緒に歩いていってしまった。
「あの人・・。」
「ここ一番の舞妓、義美さんね。」
ぼーっと二人を見ていた小梅に後ろから穂波が声をかけた。
「わ!ビックリさせないでよ!」
「せっかく久しぶりに会えたのにね~。あの義美さんに迎えに来られてたんじゃ、無視も出来ないだろうし。」
「義美さん・・・。」
千秋の働いているお茶屋で最も人気を泊している義美。あまり舞妓の業界を知らない小梅にも義美の事は知っているくらいだ。絶世の美女というのはあの人の事をいうんじゃないかと小梅も思っている。
寂しそうにしている小梅の髪を穂波がわしゃわしゃと撫で回した。
「な、や、やめてよ!」
「本当、小梅ってすぐ顔に出るから面白いと思って。お皿貯まってますから洗ってください。」
「一応、私穂波ちゃんより年上なんだけど・・・・。」
小梅はしょんぼりしながら洗い場に向かった。
「気持ちバレバレなんだから。あなたは。」
穂波の少し寂しそうに呟く声は、小梅には届かなかった。
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