第23話 子供とバレエ
桜木君の冬の忙しい季節を私は横目で見ながら、彼との生活を楽しんだ。裏切りという影が私の愛されたい欲を潜めさせ、側に居られる幸せを享受出来た。その度につくづく、私は自分が愚かだと感じる。
桜木君がいない夜も多かったが、私は毎日、ご飯を作り、部屋を片付け、花を飾った。
ただそれだけを繰り返すことがどれだけありがたいことか、底まで堕ちなければ分からなかった。
瓢箪から駒という言葉のように私はエラの子供が通う幼稚園でバレエを教えることになった。ごく僅かな収入だが、何よりキラキラした目の子供達が可愛くて仕方がない。私は自身で子供を持つことができないけど、これでいいと思えるようになった。
裏切りが刻んだ跡が消えることなく、繰り返す日常の痛みと切望する想いが薄れていく。
「楽しそうだね」といつの間にか鼻歌を歌っていたのか、桜木君に言われた。
「あ、そうなの。今、子供たちに教えてるバレエの曲で…」
「チャイコフスキーの…葦笛の踊り?」
「そうそう。すごくかわいいの」と私が思い出して笑うと、桜木君が切なそうに微笑んだ。
その意味をわかっているから、私はわざとおどけて背筋を伸ばした。
「私、意外と先生向いてたみたい」
「意外でもないよ」
そんなに辛そうな顔見たくなくて、私はピアノ伴奏をおねだりした。
「子供たちが踊ってるの、再現してあげる」
手をパタパタと一生懸命振っている子供を表現する。優雅ではないが愛らしい。
私は桜木君とでなくても、自分の体の問題で、子どもは望めないだろう。でもバレエをしていたおかげでこんなにも子どもたちと触れ合うことができる。
優雅な微笑みじゃなくて、必死に爪先立ちする子どもの顔も、エトワールにはなれなかったけど、プルミエールダンスーズのアラサー元バレリーナが再現するから、桜木君は我慢ができずに吹き出した。
「ね? かわいいでしょ?」
「大変…か…わいいと思います」と桜木君が震える声で言うから、私も笑ってしまう。
彼の笑顔を見ながら、私が望まなければ幸せになることを知った。
そうして穏やかに冬を越して、桜木君に旅行に誘われた。
「夏にクロアチアのドブロブニクというところで公演があるんだけど…紫帆さん、一緒に行かない? 公演の後、二日ほど休みを取ったから」
「ドブロブニク?」
「海の向こうはイタリアで、綺麗なところなんだ。…たまには二人で海に行ってもいいかなって」
恥ずかしそうに言うから、意味がわからなくて首を傾けた。
「新婚旅行も…まだだったし」
そう続ける桜木君の言葉を聞いて、私はそうだったと思った。結婚式もあげてない。ばたばたと書類を提出して、写真を撮っただけだ。その写真もウェディングドレスでなく私の好きなブルーグレーのワンピースに桜木君は燕尾服だった。どうしてその写真を撮ったのかも記憶が薄い。結婚ではなくて、コンサートのついでに取った気がしないでもない。その写真は一度も飾られることなく、棚にしまわれている。
「あ…そうね」と私まで何だか恥ずかしくなった。
「ごめんね。遅くなって」
「ううん。嬉しい。楽しみ」
夏が待ち遠しいと思ったのは生まれて初めてだった。季節が変わって、日差しが柔らかくなっている。
私は可愛い子どもたちとバレエを踊って、スープを作り、桜木君には何か美味しいものを作ろうと日々頑張った。代り映えのない温かな時間を愛しく思いながら――。
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