税の在り方
kasatatete
税の在り方についての一考
税は必要かどうか?
お金のやり取りをするとき、この疑問が頭をよぎる人は少なくないだろう。
現代日本に生きている限り、ほとんどの人が税を納めている。消費税をはじめ、所得税、法人税、酒税、たばこ税、自動車重量税、住民税。消費税なら、商品を売買するとき、所得税なら労働の金銭的対価が支払われるとき、住民税なら地域に住んでいれば納めなければならない……。
税を納める立場になってみれば、支払うばかりでその恩恵はない(少なくともあまり感じられない)。少し感情的になれば、「搾取するばかりで良いことなど何もないじゃないか!」と思わずにはいられないだろう。
ではそもそもなぜ税はあるのか?
まず、税制の歴史的背景から、その設立意義を探ってみよう。
歴史的に見れば、古代ローマやイスラム王朝で人頭税が導入されているし、現代社会においても税制を導入していない国や地域の方が珍しい。近代国家が生まれる前……極端に言えば「人権」の概念が生まれる前からあったのが「税制」なのだ。
※ちなみに人権というのは、人間が人間であるゆえに持つ普遍的な権利のことだ。これがあるおかげで、日本においては生存権をはじめ、人間らしい生活ができている。
歴史的に見れば、個人の尊重は、税制よりも誕生が遅い。このことから何が言えるのか? これまでの権力者においては、税は個人の権利よりも成立が優先されたということだ。もちろん、現代社会において、人権はなによりも優先されるものであるから、税制が優位に立つということは普通あり得ない。
では時の権力者は、個人ではなく何を重視していたのか?
私腹を肥やすこと、自分に近い者の優遇制度、保身……。もちろん、そういうことを考える人もいただろう。しかし、最も重視していたのはそういったものではない。国家の維持だ。
土地を増やし、食糧を増やし、人口を増やし、国家を強くする。これが国および支配者の基本的な考えだ。例えば、飢饉に供えて作物を少しずつ備蓄する。あるいは、戦争中に兵士へ支給する食料を農村から集めておく。もしくは、戦争で夫を亡くした未亡人が生きていけるだけの補償をするため……など、国家の統治をスムーズにするために税は用いられてきた。
近代以降になると、苛烈化する自由主義的な資本主義において、経済格差の拡大がより一層顕著になった。経済格差は、治安の悪化と関係があることが多い。富めるものと貧しいものが固定化されてしまうと、その不満は爆発し、革命に繋がる恐れすらある。近代国家では、民衆の留飲を下げるために各国で様々な制度が作られた。そのうちの一つとして導入されたのが所得税などの累進課税だ。
富が一つのところに集まらないよう、豊かな人から税を多く徴収し、貧しい人へ配る。つまり、税の役割は「富の再分配」ということだ。
税の意義について簡単にまとめるとこうなるだろう。
・前近代的な価値観で言えば、国家を維持するため。
・近代以降の価値観ならば、富を再分配し、広く国民の権利と生活を守るため。
では実際に、今我々が生きている社会において、再分配はされているのだろうか?
私はこの問いに対して「再分配はされているが、明らかではない」という返答をする。なんとも曖昧な回答だが、結局はそういうことだ。誰かしら恩恵を受けているものの、その使い方が分からないという政策の不透明性および不信任から、税制そのものへの批判に通じているのだ。
では、行政はどうすべきだろうか。それは明らかである。税金の使い道を明らかにするのだ。税収がいくらであり、それぞれどのような内訳で得たものか。歳出はいくらで、どれに使われたか。――ご存じの方も多いと思うが、これらは既に明らかにされているのだ。
では、何故国民は政策に不透明性を感じるのか。これは行政に限らず、民間企業でも同じことが行われているのが実態だと思うが、費目(「このお金はこれに使いました」という項目)を厳密にするのは非常に難しいことなのだ。もちろん、全くのウソを並べているわけではないが、「この交通費は事業Aに」「この人件費は事業Bに」と綺麗にスッパリ分けることは、少なくとも現時点の日本では技術的に厳しい。
民間であれば社員の問題でしかないが、行政となれば国民全体の問題となるため、なるべく厳密にやらなくてはならない。そのために監査委員が置かれている。だが、度重なる政治とカネの問題によって、国民からの信頼度は下がる一方だ。当然、税制そのものへの信頼度も下がっている。
国(行政)としてできることは、予算案および会計報告の説明責任を果たすこと、そして監査委員等によって税制の暗部を無くすことだ。
資本主義社会(特に新自由主義的な資本主義)においては、貧困層は「自業自得」として救済されず、貧困層として終わる。次世代においても、貧困層の子はより一層の貧困層として生きていくことが多い。これは新自由主義においては、世代間移動がうまく行われず、社会階層が固定化されてしまう傾向が強いからだ。
資本主義の良い点は、頑張れば頑張った分だけ成果が得られる点だ。想像しやすいのはアメリカン・ドリームだろう。しかし新自由主義においては、頑張っても格差が埋まることはない。むしろ、「頑張ったはずなのに何も得られなかった」という感覚(相対的はく奪という)が残り、頑張らない方が良かったとさえ思わせてしまう。
資本主義について批判しているが、とはいえ社会主義的な体制を手放しで褒めることもできない。例えばベーシックインカムへの批判を代表するように、全員に同じように支援すると、それに満足して成長を望まない人間が現れるだろう。つまり、正しい制度というのは未だ発見されていないのだ。
私には今までの制度をひっくり返すようなアイデアは持ち合わせていないが、しいて言うならば、税の根幹である「富の再分配」を改めて意識した政策等が広がれば幸いである。なおかつ、政策が公正に行われているかを各個人が判断できるだけの透明性を担保されることを願っている。
有名な言葉に「日本は歴史上唯一、成功した社会主義国家だ」というものがある。この言葉をどのように評価するかは、個人に委ねられているが、資本主義と社会主義のおいしいとこ取りができれば良いのだろうかと、考えあぐねている。
税の在り方 kasatatete @kasatatete
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