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 弊社は高層ビルのワンフロアが丸ごとオフィスとなっており、部門は一応島ごとに分別されてはいるものの、その仕切りはひどく曖昧。広報部は営業部と企画部に挟まれており、営業部と総務部が隣り合わせ。


「あやみおはよう、朝からあの圧力、なんだったの?」


 比較的近い島にデスクのある彩葉は、さきほど私が部長と立ち話していたのを見たらしい。


「おはよ。今日の会議に、枢木くるるぎさんの後任がいらっしゃるって話」

「ああ、ついにあの美人がいなくなるのね」

「目の保養だったのにね」

「旦那さんもめちゃくちゃかっこいいって話だよね」

「そりゃあれだけの美人を撃ち抜く人だからね」

「結局ルッキズムかあ」


 彩葉が落胆するけれど、枢木さんの場合、魅力は容姿だけじゃないって私は知っている。


 二年ほど前から“Queens”という海外を母店に、世界に発信を続けているスーパーブランドと共同開発を進めている。Queensは美容部門も例外なく海外に生産ラインを置いている。それが一部を弊社に任せるというのだ。一大プロジェクトでもある今回の企画は、さすがに上層部が力を入れているだけあって、メンバーは社内でも有名どころが名を連ねている。


 そこへ参戦した私のような小物。イコール、同期や先輩の僻みの対象の可能性にもなっておかしくはない事態だ。実際一昨年発表があった際はかなり白い目で見られもしたが、皮肉にも私に貼られた“結婚相手に逃げられた悲劇のヒロイン”の称号が味方し、周囲から「がんばれよ」「仕事に生きよう」「今度飲みにおごるわ」と、慰めにも似た激励をいただいている。


「結城さん、お久しぶり」


 会議が始まる少し前、オフィスに来客があった。


「枢木さん~! わぁ、おなか大きくなりましたね」

「ふふ、どうぞ触ってあげて」

「では……失礼します!おはようございます、ぴょん吉さん〜!」


 ぴょん吉さんとは枢木さんのお腹で健やかに育っている胎児名だ。お腹でぴょんぴょん動くからぴょん吉だと言う。ちなみに、一人目はぴょん子で、性別は男の子だったという。


「性別分かりました?」

「うん。主人念願の、女の子」


 美人確定だ……!!

 ぴょん吉が女の子だった、そんな嬉しい報告に頬が緩むのは当然。


 私の周囲に幸せが多い?

 幸せは多い方がぜったいに良い。


 枢木さんはQueensの社員で、年も近く好きなドラマの傾向も似ていて、共同会議の際に顔を合わせる度に親睦をふかめていった。産休に入られるのはやっぱり寂しいけれど、それ以上に応援したいと思える。


「あ、今日は私の後任連れてきたから。あとで挨拶させてね」

「はい。ではまた後で」


 枢木さんと別れるとスケジュール帳の栞を目印にページを開いた。お守り代わりに入れているミモザとユーカリの栞は、有馬のブーケから作った。複数枚出来たので同僚にプレゼントした。有馬にも送った。


 このミモザを見ると、どうしても奏叶さんのことを思い出す。


 ハンカチを返すのを忘れてしまった。有馬に聞けばすぐに繋がるだろうあの人の欠片。


 もしも有馬に失恋したのなら、有馬からの連絡を、奏叶さんは喜ぶだろうか。


 ――……それとも、


「結城、打ち合わせ始まるよ」

「はい。すぐ行きます」


 思い出にふけるより前に先輩から呼び戻され、栞をスケジュールに閉じ込めた。


 思い出は水溶性であるうちに、流した方がよいと思った。それなのに、あの花束が枯れてしまう前に閉じ込めたのはなぜか。


 軽い打ち合わせが終わると、山のような資料を渡された。会議の前に目を通すように指示されたのだ。


「ねえ、Queensにすっごいイケメンいたんだけど」

「え、うそ、見てみたい~」

「あんた彼氏持ちでしょ?」

「そうだけど、彼氏とイケメンは別腹じゃん。目の保養」

「わかる。あとで見に行こう」


 先方の営業部が到着したのだろう、オフィスが俄かに慌ただしくなる。


「結城さん、今度の企画、誰にお願いします?」


 しかし、私には談笑する時間はない。


「ああ、もうそんな時期か……検討するので前回のフィードバック、集約してください」

「分かりました。あと……」

「了解です。デスクにお願いしますします。後で目を通すね」

「お願いします」


 さらには新たな仕事が与えられた上に時間となってしまい、資料の入ったファイルとスケジュール帳を手に、慌てて席を立つ。


「(モデルの確保、と)」


 予定を書き込むためにスケジュール帳を開けると、雑に開いたせいか、はらはらと床に落ちたミモザの栞。髪を耳に掛け拾うために屈むと、私が手を伸ばすより先に、誰かの手が栞を覆う。


「あ、ありがとうございます!」


 見上げたその瞳が困惑。受け取るはずの身体は硬直し、思考回路も停止する。


「どうも」


 鼓膜にとける、低くて深い声色。困惑する視界に映る甘い笑顔を浮かべた男性。私に栞を渡すその人は、間違いなく奏叶さんだったのだ。

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