第廿七話 鬼人路(前)
「戻りました」
紅暮荘の玄関から中に入る。
そういえば、従業員用の出入り口を使わなくていいのだろうか?
あとで、聞いてみよう。
相変わらず、日中なのに異様な静けさが館内を満たしている。
そのため、俺の声も良く響いたのだろう、美燈が廊下の方から顔を出す。
「おかえりー。もしかして何かあった?」
何故分かるのだろうか。
「なんか、変なライターさんに会ったよ」
俺は、思ったことをそのまま口にした。
美燈には、昔からどうにも嘘が通じない。
「何かそれも、すごく気になるけど……」
そこまでいうと、一度咳払いをしてから、美燈が続けた。
「今日は掃除とかはいいって燈代さんが言ってたよ」
「別に大丈夫なのに」
やはり、痣のことで燈代さんに大分心配をかけてしまっているようだ。
あとで少し話をしたほうが良いかもしれない。
「とりあえず分かった。そしたら2階を見に行こう」
俺の言葉に、美燈はわずかに眉をひそめた。
「昨日あんなことがあったのに、また行くの?」
正直、俺もそう思っていた。
しかし、昨日見た光景がやはり気になる。
「昨日また、変な……夢みたいなものを見たんだ」
少し迷いながらそう伝えると、美燈は数秒だけ黙り込む。
「……仕方ないね。付き合うよ」
美燈は小さくため息をついて、目をそらした。それが了承の合図だった。
「そういえば、一つだけ分かったことがあるんだ」
「何?」
懐中時計を取り出して、刻まれたイニシャルに目を落とす。
T・A――それは、単純に暁見 冬陽のイニシャルだった。
秋房 冬至と同じイニシャルだったせいで、俺はずっと二人を同一人物だと誤解していたのだ。
「……ってわけで勘違いしてたみたいだ」
「なるほどね」
ふと、預けていた本のことを思い出した。
タイトルは確か『鬼人路』だったか。
「そういえば、あの本はどうだった?」
「ごめんまだ、途中までしか読めてなくて。今のところこんな感じかな」
そういうと美燈が語り始めた。
とある貧しい山村に暮らす兄妹。
生活は苦しくとも、兄の支えによって、妹は辛うじて日々を生きていた。
村の外れには、「鬼人路(きじんろ)」と呼ばれる、誰も通らぬ古い山道がある。そこへ行けば“どんな願いも叶う”とされていたが、その代償として「大切なものを失う」と語り継がれていた。
ある日、妹は兄のため、禁忌を犯して鬼人路へ足を踏み入れる。
そして、“莫大な金”を持ち帰るが、村に戻った彼女を待っていたのは、畏怖と拒絶の視線だった。
その姿は、もはや“人”ではなく、異形の“鬼”になっていたのだ。
最も愛していた兄の目にすら、恐怖と拒絶の色が浮かぶ。
妹は金を捨て、村を去った。
以後、彼女の行方を知る者はいない。
「今のところこんな感じ。読んでて、胸が締め付けられるよね……」
美燈の表情は、どこか自分のことのように沈んでいた。
「確かに、書店に山積みになるような内容ではないな……」
俺の言葉に、美燈が「何のこと?」と首を傾げる。
これは、飛琴さんの言葉だったか。
廊下を抜け、別館へと向かう途中。山の端には、夕陽がゆっくりと沈みかけていた。
夕焼けの光が胸の奥を照らすたびに、奥底の不安がじわじわと浮かび上がってくる気がした。
「急ごう」
「……うん」
俺たちは、言葉少なに、早足で二階へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます