第二話 再会

 目的地をスマホで調べたあと、ふと、美燈とのトーク画面を開いていた。

 数年ぶりに、通話ボタンを押す。


 コール音が数回鳴ったのち、聞き慣れた声が応答した。


「久しぶりだね、急にどうしたの?」


 出てくれたことに驚きつつ、少しだけ動揺しながら話す。


「お、おう。久しぶり。……実は今から地元に帰ろうと思ってさ」


「今から? 惟遠くんのとこからだと、着くの夜でしょ? もうバスもないよ?」


「それで……悪いんだけど、駅まで迎えに来てくれない? 19時に着く予定なんだ」


 電話越しに、小さくため息が聞こえる。


「久々の連絡がこれって、なんかずるいね。……まあ、いいよ。行く」


「助かる、マジでありがとう!」


 通話を切ると、思わず肩の力が抜けた。

 何年もまともに話していなかったのに、不思議と昔の感覚に戻れた気がした。


 その時、スマホに通知が届いた。

 内容は、いつものような飲み会の誘い。


 画面を見つめたまま、ふと思い立つ。SNSを開いて、飲み会の誘いにこう打ち込む。


『退屈だから行かない。もっと面白そうなの見つけたから』


 送信ボタンを押すと、スマホの電源を切って、紙袋と一緒にコインロッカーへ放り込む。

 そして鍵を回し、改札へと向かった。


 ——だが、新幹線が走り出してすぐ、重大なミスに気づいた。


「あ……美燈に連絡取れないじゃん」


 俺、暁見 惟遠の人生でも、かなり上位に食い込む愚行だった。


 頭を抱えるが、すぐにひとつの案が浮かぶ。

 そうだ、美燈の実家の電話番号——十代の頃、何度もかけたあの番号は、今でも覚えている。


 そう思ってホッとした瞬間、無意識にポケットを探ってしまう。

 だがスマホは、もうロッカーの中だ。


「俺、スマホない時って……何してたっけ」


 新幹線の車窓をぼんやり眺めながら、考える。

 けど、昔の暇つぶしなんて思い出せなかった。


 なんとなく胸ポケットに手を伸ばし、手紙を取り出す。

 この令和の時代に置き去りにされた、最後の異物みたいな便箋。

 改めて眺めると、曽祖父の存在が急に遠く感じた。


 いや、そもそも俺は——親のことも、祖父母のことも、ろくに知らない。

 誰かを知ろうとしてこなかった。

 逆に、誰のことならよく知ってるっていうんだろう。


 考えて、思い出すのは、美燈が「小説好き」だったことくらい。


 ロッカーに突っ込んだスマホが、もう恋しくなってきていた。

 あいつを触っていれば、余計なことなんか考えずに済んだのに。


 次第に眠気に襲われ、気づけば乗り換え駅のアナウンスが流れていた。

 閉まりかけた扉を抜け、私鉄に乗り換える。


 都会の人混みとは違い、地方のホームはがらんとしていた。

 車内にも人はおらず、俺は一番端の座席に一人で腰を下ろす。


 再び目を閉じると、脳裏に浮かぶのは美燈の顔だった。


「会ったら……何を話せばいいんだろう」


 電車が地元の駅に着いた頃には、外はすっかり夜になっていた。

 ホームに吹く風が冷たく、10月の空気が肌を刺す。


 「こんなに……暗かったっけ」


 駅前には、数本の街灯と一台の車。

 車のライトがチカチカと点滅し、俺に気づいた合図のように思えた。


 車に近づくと、助手席の窓から顔が覗いた。


 肩まで伸びた艶やかな黒髪。

 整った眉に涼しげな目元。

 どこか冷めたような、大人びた表情。


 「久しぶり、惟遠くん」


 窓越しに、美燈が微笑んだ。

 その笑みはどこか、仮面のようにも見えた。


 白いカーディガンを羽織った華奢な姿。

 細く整えられた指先。昔、原稿をめくる姿が綺麗だったのを思い出す。


「迎えに来てくれて助かった」


 俺がそう言うと、美燈は小さくうなずき、静かに視線をフロントガラスの先へ向けた。

 遠くを見るような瞳。その奥に、昔とは違う光が宿っている。


「乗って」


 車のロックが外れ、静かなエンジン音とともに車が動き出す。


「……静かだな」


 ぽつりと漏れた言葉に、美燈が答える。


「夜の田舎道だもん。君の住んでる街とは違うよ」


「変わってないな、このあたり」


「そうだね。人が減ったくらいかな」


「それだけ聞くと、怖い話だな」


 美燈は小さく笑ったが、その笑みもやはり、どこか遠かった。


「美燈は? 変わったか?」


「……どうだろう。変わったような、変わってないような」


「なんだそれ」


「自分じゃ分かんないの」


 車は緩やかなカーブを曲がり、街灯のない道へ入る。

 ヘッドライトだけが、闇を切り裂いて進んでいく。


「惟遠くんは?」


「俺? ……変わってない。相変わらず暇つぶしに生きてるよ」


「ふふ、それは知ってる」


「なんだよそれ」


「昔からそうだった。私の小説だって、暇つぶしに読んでただけでしょ?」


「まあ……否定はできないな」


「でもね。読んでくれる人がいたの、嬉しかったよ」


 美燈の言葉が、妙に引っかかる。

 “いた”って、過去形なのが気になった。


「今も、書いてるのか?」


 一瞬の沈黙の後、美燈は静かに答える。


「……さあ、どうだろうね」


 その横顔は、どこか遠い世界を見ていた。


「ごめん、惟遠くんの実家に向かってたんだけど……それで合ってる?」


 実家という言葉に少し動揺するが、思い出して口を開く。


「ああ……ちょっと寄りたい場所があるんだ。止めてくれる?」


 車を停め、車内灯が灯る。

 俺は胸ポケットから、あの手紙を取り出した。


「この住所に、行ってみたくて」


 手紙を受け取った美燈が、ナビに住所を打ち込む。


「……なにこれ、いつの時代?」


「曽祖父の手紙らしい。明治か、そのくらい?」


 怪訝そうな目を向けられ、俺はこれまでの経緯を手短に話す。


「……惟遠くん、変わったかもね。

 スマホ置いて来るなんて、大胆なことする人じゃなかったのに」


 目が線になるほど、美燈が笑った。


「悪いかよ。でも、お前の家の番号、覚えてたから連絡できるって思ってさ」


「覚えてたんだ……うん、まだ実家にいるから」


「アレだけかければな。お前も覚えてるだろ?」


「うん」


 その返事に、なぜか少し安心する自分がいた。


 しばらくの静けさのあと、美燈が言った。


「じゃあ——紅暮荘に、行こうか」

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