紅暮怪異譚

終うずら

第一夜 再訪ノ怪

第一話 金がない

「金がない」


 薄くなった長財布を開きながら、暁見 惟遠(あかつきみ これとお)はつぶやいた。

 昨日のパチンコで負けたのが痛かった。財布の中には小銭が数枚。

 卓上の電子時計を見ると、日付は10月9日。次の仕送り日までは、まだまだ遠い。


 財布になければ、とスマホを取り出して口座を確認する。

 しかし、残高を見た瞬間、ため息とともに電源ボタンを押した。

 そろそろバイトを探さないと、まずいかもしれない。


 真っ黒な画面に映った自分を、惟遠はじっと見つめた。

 少し伸びた髪。整った目鼻立ち。だらしなく開いた襟元。

 まるで遊び慣れたホストみたいだ、と自嘲する。


 「かっこいいね」と女から言われることはある。

 でも、それが嬉しかったことなんて、一度もない。

 この顔のせいで、軽薄に見られるのが嫌だった。


 スポーツも得意じゃない。絵がうまいわけでも、話が上手なわけでもない。

 なのに、この見た目だけで面白いと勘違いされる。

 そんな自分に、友達と呼べる人間はほとんどいなかった。


 呼ばれるのは、いつも酒の席だけ。

 そこでさえ、「女にばっかチヤホヤされて楽でいいよな」なんて嫌味を言われる。


——そんなこと、望んだことなんか一度もないのに。


 スマホを開くと、何件かメッセージが届いていた。


『久しぶり! また飲もうよ。最近、彼氏と別れたからさー』


 いつもの調子だ。

 適当な返事をして、次のメッセージを開く。


 機械的に通知を処理していると、年明けの挨拶で止まったトークが目についた。

 名前は——朧 美燈(おぼろ みと)。


 地元の数少ない友人だった。中学生まではよく一緒にいた。

 彼女の書いた小説を俺が読んで、ひたすら感想を伝える。

 ただ、それだけを永遠に繰り返していた。


 でも、いつの間にか、距離ができた。


 「なんか……帰りてぇな」


 つぶやいたとき、部屋の隅に置かれた古い本の束が目に入った。

 曽祖父の遺品。親父が処分に困っていたやつだ。


 古書店に持っていけば、いくらかにはなるだろう。

 紙袋に詰め込み、自転車のかごに放り込んで家を出た。





「しゃせー」


 やる気のなさそうな店員の声を聞き流し、カウンターに紙袋を置く。


「あの、売りたいんですけど」


 返事は素っ気ない。店員は袋の中から一冊ずつ手に取って査定を始めた。

 その様子をぼんやりと見ていると、一冊の本の間から何かがひらりと落ちた。


——それは、古びた手紙だった。


 黄ばんだ便箋。細かい皺に、焦げたような黒ずみ。

 なんとなく拾い上げて広げると、墨の筆跡で短い言葉が書かれていた。


「……ざるとも、我が……まず」


 ……なんだ、これ。


 差出人も、宛名もない。

 ただその下に、旧字体で書かれた住所だけが添えられている。


 店員がちらりと手紙を見て、口を開いた。


「この本、手紙が挟まってたってことは、中身をちゃんと見てないんですよね?

 一度確認したほうがいいですよ」


 そう言って、その本だけは返却された。


 残りの本でいくらかの現金を受け取ると、店の外へ出る。

 手紙を取り出し、書かれていた住所をスマホで検索した。


 「地元の……割と近くだな」


 表示されたのは、「紅暮荘(くれぐれそう)」という旅館の名前だった。

 古くからあるらしく、ネットに上がっている写真も年季を感じさせる。


 妙に気になった。


 「……まあ、暇だし。行ってみるか」


 そんな軽い気持ちで、俺は紅暮荘へ向かうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る