お隣さんと、頼まれ事と

「ふっ、じゃあ俺が入れますね。楼人君は緑茶で良いですか」


「うん、ありがとう」



 さすが上留さん。小さい頃からの付き合いだから俺の好みも知り尽くしている。

 ポットで沸かしてあったお湯で、慣れた手付きで急須を扱う。


 しなやかで繊細だけど、大人の男の人だけあってよく見るとしっかり節々が際立っている手。美しい所作の上留さんを眺めるのが好きだった。



「あまり見つめられると恥ずかしいのですが」


「上留さんっていつも動きに無駄がなくて綺麗だから、ついつい見ちゃうんだよね」


「……ありがとうございます」



 照れ臭そうに笑うと、すでにテーブルに座っていた俺の前に緑茶を置いてくれる。お礼を言ってさっそく湯飲みに手をかける。



「……美味い。やっぱり緑茶は日本の心だよね」


「はは。楼人君はたまに年齢に似合わない言葉を言いますよね」


「じじいって言いたいんでしょ?」


「いえ、素敵だな……って事です」



 うっそだー! 絶対じじいって思ってる。こらえきれないくらい口元緩んでるし。

 なんとなく上留さんが作業していた部屋へ視線を向ければ、大きめの段ボールが三つほど詰み上がっていた。



「上留さん、もしかして……どこか引っ越しちゃうんですか?」


「え、どうして?」


「いや何か……段ボールが沢山あるから」


「あぁ――これですか」



 そんな話しなんて今まで一度も聞いたことがなかったから、それならショックだ。小さい頃から家族みたいに一緒に居たのに、相談もなくどこかへ行ってしまうつもりだったのかと。

 でも上留さんは、ふわっと笑みを浮かべてそれを否定した。



「これは……しばらく遠征しなきゃいけなくなるかもしれないから、必要な物を詰めて持っていこうと思ってるんですよ」


「出張、長引きそうなの?」



 それは寂しくなるな。下手すれば親よりも一緒にいる時間が長い、頼れる相談役でもある上留さんと会えなくなるのは、二十歳で成人した今でも心細くなる。



「うーん、その件についてなんですが。楼人くんにお願いがあるんです」


「あ、そうか。今日何か頼みがあるっていう話だったね。頼みって何です?」


「……ちょっとここでは難しいので、場所を移しても良いでしょうか」


「……? 良いけど」




 今は大学も夏休みだ。まだ二年生だし、やらなきゃいけないこともほとんどない。大好きな上留お兄様と長く居られるなんてラッキーだ。

 でも、普段見たことないくらい元気のない表情を見せた上留さんに少しだけ不安になる。



「これって、何処に向かってるの?」


「……うーん、山?」


「山? ハイキング?」



 上留さんの運転する車の助手席から見える景色が、段々と田舎っぽくなってきていたので、山というのは冗談ではなさそうだ。

 夏の暑い日に海なら分かるけど、まさかの山に行くとは……上留さんて山男だったのか。



「うわぁ……いい空気。涼しいし」


「この辺りは川や木々も多くて、気温も他よりも低いんですよね」



 思ったより悪くないな、山。空気も美味しいし、自然に吹いてくる風が気持ちいい。

 車から降りて十五分ほど、山道をかきわけて登っていた。


 キャンプ場としては機能はしてなさそうな獣道が続く場所だからか、人の気配は俺達以外には感じられない。

 迷うことなく目指す場所があるのか、上留さんがどんどん森の中へと進んでいくので、必死にその背を追いかけるようにして付いていく。一体上留さんはどこを目指しているんだろうか。



「あ、の……上、留さん」


「――着きました」


「えっ、凄い……」



 上り坂に息切れし、そろそろ体力の限界がきて声を掛けようとした時、上留さんが笑顔で振り返ってそう言った。鬱蒼うっそうとした山道を抜けて開けた先には、美しい花畑が広がっていた。



「なんだこりゃあ……綺麗!」



 夢見る乙女ではないが、この壮大な花の絨毯じゅうたんにはさすがに感動を覚える。赤白黄色、青ピンクオレンジ等、色とりどりの花が風に揺られて楽しそうに踊っていた。

 上留さんてロマンチストだったんだ。てか、男の俺に花畑を見せるためにわざわざ連れてきたってことは無いよね?



「実は……お願い、の話なのですが」


「あ、うん。この場所で叶えられるお願いなんですか?」



 良かった、やはり何か他にもあったようだ。わざわざここに来る事により叶えられるお願いって何なのだろうか。



「楼人君は、もし……この世界とは別の世界があると言われたら、信じてくれますか?」


「別の世界――異世界的な?」


「はい、そんなものです」



 んー、ゲームとかは人並みにやってたから、勇者の冒険物とかファンタジーな話とかは慣れてるっちゃ、慣れてる。

 友達に見せて貰った異世界転生ものの漫画とかもたまに読んでたけど、現実では有り得ない感じの非日常感が面白かった記憶がある。

 でも、それはあくまでリアルにはないからであって、もしも現実にあると言われると。



「あるなら、面白いだろうけど……どうしたの上留さん。どこかで頭でも打った?」



 普段、あまりジョーク等を口にしない彼からは珍しく、現実離れした言葉に戸惑った。

 冗談めかしてそう言った俺の言葉に、笑い返す事もなく真剣なその表情を向けてくる上留さんのまなしに、俺の心はざわついた。



 ……なに、どうしたの上留さん。



「その、別の世界の事で力を貸して欲しい……とお願いしたら、引き受けて下さいますか」



 かなり大真面目に言っているらしい。複雑そうな彼の表情から真意を見出だすのは難しそうだ。

 別の世界があったとして、そこで力を貸して欲しいって……本当に漫画みたいな展開だな。

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