四つ腕の鬼に抱かれ、生贄の花嫁は愛をことほぐ

(私は、この鬼を殺さなくてはいけない)


 ――誰もが寝静まった、夜の最中さなか

 そっと布団から身を起こした千鶴は、自らの使命をあらためて自分に言い聞かせていた。


 すぐ横で眠る男の顔をこっそりと窺う。

 先ほど夫となったばかりの彼は千鶴の決意など知る由もなく、仰向けに横たわったまま静かな寝息を立てていた。

 武人のように引き締まった体躯に、ととのったかんばせ。その姿は、状況も忘れて千鶴が思わず見とれてしまうほどに美しい。枕元に広がる真っ黒な髪は、わずかな月明かりの下で艶やかに輝きを見せる。


 ――だが、彼の姿の中でもっとも人の目を引くのは、その額に生えた二本のツノであろう。抜き身の剣のように冷ややかな殺気を纏い、白くそびえるこの世ならざる鬼のツノ。

 彼女の視線は、そこから自然と彼の肩へと移る。そこにある、。常人の倍の腕を持つ猛々たけだけしいその姿に、村人たちが彼を「異形の鬼」とおそれたことは記憶に新しい。


 躊躇ためらう気持ちを押しのけて、震える手で髪に刺していたかんざしをするりと抜いた。

 息を整えて、それを頭上に振りかざす。その先が狙うのは、ゆっくりと上下する彼の白い喉仏だ。

 先端が細く研ぎ澄まされたその簪には、一滴で熊をも殺すと言われている強い毒が塗りつけられている……らしい。


「お前を鬼にやる訳にはいかぬ。……果たすべきお役目は、わかっておるな」


 そう言ってこの簪を渡したのは、この村の長だ。高圧的で、千鶴の行動を抑圧し縛りつけていた男。しかしそんな彼も、鬼の襲来という思いも寄らぬ事態にすっかり老け込んでしまっていた。

 とはいえその目の奥底にはギラリとした油断ならぬ光が潜んでおり、鋭い視線は相変わらず千鶴の有用性を値踏みし続けていたのだが。


 千鶴はそっと目を伏せ、そんな視線に耐えつつ落ち着いて答える。


「無論、弁えております。余所者よそものである私がここまで生きて来られたのは、水神様の生贄いけにえに選ばれたからこそ。村の皆様には感謝しております」

「よろしい。目標は、頭領ただ一人。彼奴きゃつさえ死ねば、あとは水神様が対処してくださるそうだ。首尾よく仕留めて、村に戻って来なさい。なに、お前には水神様の加護がついている。心配は無用だろう」


 長との会話を思い返しつつ、汗の滲む手で暗器を握り締める。そのじっとりとした重さが、彼女の決心を鈍らせる。

 先程まで、千鶴はこのお役目を果たすことに迷いなどなかったのに。


(本当にこの鬼を……タケルさまを殺すことが正しいの……?)


 祝言しゅうげんの後に彼から告げられたが、耳から離れない。

 ――今まではずっと、他人から言われたとおりに振る舞う人生であった。自分で考えることなど許されず、流されるままに生贄いけにえとして生きてきた日々。

 だからこそ、「自分が選択しなければならない」という今の状況に、千鶴は半ば混乱に陥ってしまう。


 チリリと、れたように腕に痺れのような痛みが走り抜けた。ハッと反射的に目線を落とせば、普段は包帯によって隠されているアザが目に飛び込む。

 腕に巻き付く蛇のような、そのカタチ。執拗しつように何重にも巻き付いたその跡は、まるで蛇の所有と執着を示すかのようであった。


 実際、その通りであるのだろう。蛇を依代よりしろとしたこの村の水神様はかつてないほどに千鶴にこだわり、十八になった彼女が生贄として訪れるのを待ち詫びているのだから。


 アザに沿って走るその痛みが、選択に迷う千鶴をもとのへと引き戻していく。


 ――ああ、そうだ。自分は生贄として果たすべき責務をこなさねば。


 大きく息を吸う。それだけで、彼女の最後の覚悟は決まった。

 無防備にさらされる首筋を冷静に見据え、手の中の簪を勢いよく振り下ろす。


 ざくりという音は、彼女の耳には届かなかった。

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