Dグループ

標的

「お疲れさまでした~」

「あ、本間ほんまさん、今日チームで飲み会どうかって話してたんだけど、来られる?」

「え、あーっと……」

 

 いつ、話していたのだろう。

 どうして帰りしなに誘うのだろう。

 もっと早い時間に、今夜飲み会がある可能性だけでも伝えていてくれればいいのに。


 そんな言葉たちを吞み込んで、私は笑ってイエスと答える。

 行きたくもない飲み会ではあるけれど、今後の就労環境のことを考えたら出席するほかないだろう。

 参加メンバー全員の仕事が終わるまで、もう一度パソコンを立ち上げて細々とした作業で暇つぶしをする。

 明日は絶対に定時で帰るのだと、そんなことを思った。

 

 彼氏もいない、一人暮らし。

 別に、何か他の予定があるわけでもない。帰宅途中に寄ったコンビニで夕食を買い、適当に流れてくる動画を流し見するだけの生活。

 それでも、だからこそ、仕事の時間が終わってからもよそ行きの顔をし続けなくてはならないことがしんどいのだ。

 社会人としての仮面などさっさと脱ぎ捨てたい。


 なのに。


「いや〜、悪いねぇ」

「いえ、どうぞどうぞ」


 女というだけでしゃくをさせられ、大皿料理の取り分けをさせられ、無礼講ぶれいこうだと言われながらも自分の身を守るために気楽に酒を飲むことさえできない。

 自分のグラスからは目を離さず、上司の機嫌を損ねないように思ってもない言葉を連ねながら、ちっとも楽しくない飲み会は進んでいくのだった。


「二次会、ホントに行かないの?」

「はい、終電もうすぐなんです。すみません……」

「そっか~、じゃあまた明日ね~」


 ひらひらと手を振った同僚は、次の瞬間にはうちのチームで一番の美人へ目を向けている。


 綺麗に巻かれた明るい髪に、すらりと伸びる手足。飲み会の途中に何度も直していたメイクは今も可愛い顔面を保っていて、私には眩しすぎるほどの、オンナノコ。


 帰るための口実に使っただけで、終電の時間まではまだそれなりに余裕があった。

 私はのんびりした足取りで最寄り駅に向かう。

 ネオンに彩られた街の中にいても、私は光らず埋もれていて、誰にも気付かれないみたいに、孤独だった。


 改札を抜け、階段を降りてホームに続く道を歩く。

 カツンカツンとヒールが鳴り響く中、タイルの敷き詰められた壁に寄り掛かるようにしてぐったりしゃがみこむ男がいた。


 一瞬視界に入れた後、すぐに視線を逸らして俯き歩く。

 ホームレスには見えないけれど、酔っ払いだろうか。具合が、悪いのだろうか。


 駅員を呼んだ方がいいのかもしれないと思う自分と、関わり合いにならない方がいいと思う自分がいる。

 女でなければ、何も考えずに声を掛けるのに。

 飲み会だって、二次会だろうが三次会だろうが参加したのに。


 苦しそうではないから、きっと大丈夫。

 私が何かしなくても、誰かが助けてくれるはず。

 駅員の見回りだってあるだろう。


 男の横を通り過ぎ、そのままホームに続く階段を目指した。

 私の足音だけが響く、夜。

 

 気を紛らわせるために取り出したスマホの画面には、終電の一本前に乗れそうなくらいの時刻が表示されている。


 ダメだ。

 やっぱり駅員を呼ぼう。

 

 だって今なら、もしかしたら少し休んで終電に間に合うかもしれない。最寄り駅に着いたところで力尽きたのだとしたら、日付が変わる前に家に帰れるかもしれない。


 そう決めて振り返ると、男の姿はどこにもなかった。


「は?」


 意味が分からない。

 だって足音なんかしなかったし、物音だって。

 どうして、誰もいないのか。


 目の前の光景が理解できない私の背後に、何かの気配がした。

 

 振り向きたくない。

 振り向きたくない。

 

 そうだ。まだ終電には余裕があるのだから、一度改札口に戻って誰か来た時に一緒にホームへ行こう。


 ふぅ……


 耳に、吐息が、掛かった。

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