第39話 テストの次は…!?
7月中旬。せっかく梅雨が明けたというのに空はどんより曇っていて、遠くに雷の音が聞こえる。
とある一大学校行事を全て終えた放課後、ボランティア研究会の部室。誰が持ってきたのか分からない古い扇風機がカタカタとよく分からない音を立てながらも、涼しげな風を作り出す。
7月の学校行事といえば、夏休み。
の前に。
「はい、あんたら返却されたテスト並べな」
そう、中間テスト。
長い足を組んで座る鮎川先輩は、催促するようにテーブルを人差し指で叩く。
私たち1年生はお説教を待つ人のように背筋を曲げて、テーブルを挟んだ彼女の正面に座っていた。
あ、いや、気まずそうなのは私と稜汰君だけかもしれない。
保君は曇天の窓の外を見ているし、真澄君はストローを咥えて可愛らしく紙パックのカフェオレを飲んでいるし、薫君は無表情。
「深見ぃ!窓、閉めてよね。風が逃げる」
その様子を窓辺に肘をかけて見ていた深見先輩を鮎川先輩が睨みつけた。はいはい、と怠慢に窓を閉めながら、彼は「暑いなぁ」と呟いた。
「さっさと並べる!」
再び向けられた鋭い声に萎縮しながら、私はカバンを手に取った。
なんだか、今日の鮎川先輩はご機嫌斜め?
「じゃあ、保」
寄越しな、と手の平を保君に向けて指を自分の方にちょいちょいと曲げる鮎川先輩に、彼が嫌そうに舌打ちする。
「何で俺がテストの結果をあんたに教えなきゃならねぇんだ」
「いい質問だね。あたしが部長であんたが平部員だから」
面倒くさそうに答えた鮎川先輩は、保君の逆鱗に触れない程度に刺激を与えているみたいで。ただ、しっかり隣の保君の機嫌が急降下しつつ怒りが上昇していくのが、痛い程伝わってくる。
恐ろしくて俯くばかりの私の体に隠れるように背後に身を乗り出した稜汰君が「保!大人しく見せろよ」と囁いた。
腕組みしたままチラリと私を飛ばして稜汰君を横目で見た保君は、ふてくされたように鮎川先輩に向き直った。
「答案用紙はどっか行った。点数は英語と古文以外は90越えてる。これで文句ねぇだろ」
アイスティーを口にしていた鮎川先輩がむせた。申し訳ないけど、私も初めて聞いた時には同じようなリアクションとっちゃったな。
「まー、保は出席日数がヤバいから、テストで点数取らなきゃだもんね。あと厳密に言えば、世界史は再試だよね。遅刻して開始時間に間に合わなかったから」
「余計なこと言うんじゃねぇ!いつもの道が工事中だったから別の道通ったら、あれだ、ちょっと分からなくなっただけだボケ」
カフェオレの紙パックをたたみながら保君を一瞥した真澄君に、保君が噛みつく。
た、保君……。
「んじゃ、英語と古文はぁ?」
ぷいっとそっぽを向いた保君はボソリと「70点と42点」と呟いた。
「古文はもっとちゃんと勉強することぉ。まぁ見るからに苦手そうだけどね」
保君が隣の私にしか聞き取れないくらいの声量で「くそばばあ」と溢した。聞こえないふりに徹しよう。
「じゃ、次はあけび」
私はファイルから答案用紙を出して恐る恐る先輩に手渡した。ドキドキしながら審判を待っていると、目を通し終えた先輩が答案用紙をまとめながら顔を上げる。
「うん、化学頑張ったじゃん」
よ、よかった!!
返してもらった束に目を落としてホッと一安心する。
全体的には6〜7割くらいだけど、化学は特に頑張ったから80点ちょうど!まさに真澄君のお蔭。
チラリと真澄君を見れば、彼もまた私の方を向いてふわりと微笑んだ。
か、可愛すぎて眩しい。
「じゃ、稜汰」
名前を呼ばれた彼は、にっこり笑った。
「将来数学系統の世界を担ってくれる素晴らしい人材はたくさんいるから、俺が数学を頑張る必要は特に無いかなって」
「屁理屈はいらないわぁ」
聞き間違いであってほしいけど、恐らくは確実に舌打ちした鮎川先輩に、稜汰君は「仕方ねぇなぁ」と指折り数える。
「現文92、古文90、世界史88、英語98、化学47……数学39かな」
高得点の羅列と、それとは対照的な赤点ギリギリの数学に鮎川先輩はこめかみを揉んだ。
「……あんた、数学だけ目でも瞑って解いたわけぇ?」
「Ma va!俺が目ぇ閉じて数学解いたら間違いなく0点どころかマイナスだな」
い、いやいや稜汰君。みんなそうだよ。マイナスは考えにくいけど、0点は確実。
「とにかく、赤点だけは許さないからぁ。はい最後は薫ね」
念を押した鮎川先輩は、稜汰君の隣の真澄君を抜かして薫君に目を向けた。
あれ、順番通りに聞くんじゃないのかな?
「おい、真澄はどうした。小せぇからって流すんじゃねぇよ」
た、保君……!!
私同様、疑問に思ったのか彼が首を傾げれば、真澄君が不快そうに眉を跳ね上げる。
「僕はもう報告済みなんだよ。たまたま朝、先輩に会ったから」
うんうん頷く先輩に視線を移した稜汰君は「へぇ、それで?」と興味ありげな表情で少しだけ身を乗り出した。彼女はサラサラの髪を指にくるくる巻きつけながら、実に満足げな顔をする。
「握手を交わしたわぁ」
握手。
「すごい奴なんだなぁ、真澄」と笑いながら真澄君の頭を撫でる稜汰君。すぐに手を払われる。
というか1クラスにこんなに成績優秀者がかたまってていいのかな。
「んー、なんだぁ。皆いびりがいのない成績でストレス解消できそうもないわぁ。深見、肩もんで」
薫君の答案用紙にも一通り目を通した彼女は、それを返しながら溜め息を吐く。
「今度な」
「今度って毎回答えるくせに、やってくれたことないじゃなぁい」
「やる気が無いってことをそろそろ悟ったらどうじゃ」
肩に手を乗せて首を傾ける鮎川先輩を、コメにエサをやっていた深見先輩が呆れたように振り返った。保君が心底馬鹿馬鹿しそうに唸る。
「んだよ、そのためにテスト持って来いって言ったのか」
手のひらをこちらに向けて気怠げに自身の爪を見つめる鮎川先輩。
「まぁねぇ。あんたらが赤点取って部活出れないなんてことになる以外なら、ホントは別に何点でもいいからさぁ」
ひくり。保君の口元がやや引きつった。
「せんぱーい。俺でよければ、マッサージするけど。足つぼ」
「……や、足はいいわぁ」
人当たり良さそうな稜汰君の笑顔に少しだけ頬を染めた先輩は、複雑そうな顔で首を横に振る。
「残念。イライラが解消できるぜ?」
たいして残念じゃなさそうに紡がれた稜汰君の言葉に、こちらに戻ってきた深見先輩が「そうだな。いつまでもイライラされてちゃあ、迷惑じゃ。やってもらえ」と鮎川先輩の隣のパイプイスに腰かけた。
や、やっぱり、鮎川先輩、ご機嫌ななめだったのか。
う、と言葉に詰まった彼女は、深見先輩をギロリと睨みつける。
「そりゃそうだけどぉ。深見は悔しくないわけぇ!?」
「言うまでもなく、じゃ」
「何かあったの?」
今まで興味無さそうにストローの袋を弄んでいた真澄君が、顔を上げて長いまつ毛を瞬いた。
「よくぞ聞いた真澄ぃ!あんたらにも関係あるんだからね!」
ばんっ!!
目を三角にした先輩に両手で叩かれたテーブルが揺れて、アイスティーのペットボトルが転がる。な、何事。
「テスト明けに毎年参加してるボランティアを今年も予定していたんだが、急に先方から断りの連絡が入ってな」
なぁ鮎川、と肩をすくめる深見先輩の隣で鮎川先輩が息巻く。
「何年もあたしらが担当していたボランティアなのに、今年はその枠を白蓮にとられたってわけぇ」
鮎川先輩がテーブルに伏せて、くぐもった声で独り言のように呟いた。
「あんのハゲオヤジめ。6年間の付き合いなのに、こんな簡単に裏切るとかふざけてる」
「鮎川。差場さんはハゲてはいないぞ」
「でもあれ絶対ヅラだからぁ」
散々な言われようのサバさん、たぶん責任者なんだろうな。
……うーん、6年も参加していたボランティアの枠を他の団体にとられちゃうっていうのは、確かに悔しいし切ないかも。
って、呑気に考えてる場合じゃないんだ!このままだと廃部かもしれないんだもんね!?
「だが、転んでもただでは起きないのがウチの方針じゃろ?」
「は?」
がばっと顔を上げた鮎川先輩に、紫の目を細めた深見先輩がポケットから出した四つ折りの水色の紙を差し出す。
何かな?
受け取った紙を開き、文字を追って左から右へ目を動かした鮎川先輩がやがてにっこり笑った。
「よくやった深見ぃ!!!」
先程とは打って変わって元気で嬉しそうな鮎川先輩は、興奮気味に深見先輩の背中をバシバシ叩く。
え、え、何?
彼女は満面の笑みで、紙をこちらにも見えるように向けてくれた。
「海!!」
【夏休み海ボランティア】
そんなタイトルが、折り目のついたA4の紙の1番上に大きな文字で書いてある。軽く全体に目を走らせれば、人で賑わう海の写真を背景に申し込み方法や活動詳細。
鮎川先輩がそのうちの1文を指差した。
「しかも、近くのホテルで朝食夕食付き2泊3日の有償ボランティア」
と、泊まりがけ!!?
ぎょっとして目を剥く私に、深見先輩が「募集人数はそんなに多くないが、今回の件をダシにして紹介文書いて貰ったから、ほぼ確実に参加出来るぞ」と補足してくれた。
いえ、あの、すみません。そういう心配をしたわけじゃなくてですね。
真澄君が稜汰君を越えて私の顔を覗き込む。
「あけびちゃん、泳げないの?」
「え?泳げる、けど」
「じゃあ海に落ちても大丈夫だね。そんなに心配することないよ」
「う、ん、そうだね……」
海に落ちることは心配していない。
「具体的には何すんだ」
「読めば?」
保君と鮎川先輩の会話に何で私がいつもいつもハラハラしなきゃならないんだろう……!
「海の家の手伝いに、見回り。あ、休憩とは別に自由時間もあるのか。楽しそうだな!」
稜汰君が感心しながら紙を手に取り、覗き込むように私たちも目を落とす。
海なんて、何年ぶりかな!!
胸が弾む。
けど、お泊まりかぁ。
それだけが不安要素。
旅館って1人1部屋であるわけがないし、鮎川先輩と2人ならまだしも他のボランティアの人たちと共同部屋だったら緊張で心臓が破裂しちゃうかも……!かも、というか間違いなく。
「これ、白蓮も来るんじゃねぇの?」
「ま、そうじゃろうな」
保君の質問に、鮎川先輩の顔色を窺いながら頷く深見先輩。でも当の彼女のご機嫌はだいぶ回復したのか、楽しそうというか余裕そうに肩をすくめる。
「豊条が【深見様とお泊り!】って、歓声上げてるだろうねぇ」
「やめてくれ」
鮎川先輩の冷やかしに、今度は深見先輩が眉根を寄せる番だった。
「とにかくっ。このボランティアでは白蓮よりも仕事が出来るとこを見せて、ついでに夏休みも満喫するってことでぇ」
立ち上がってポスターを壁に貼った鮎川先輩は、振り返って不敵に笑った。
友達とか先輩と海に行くなんてこと、今までの私の人生経験から考えれば、信じられない夢みたいな快挙。
遊びに行くのがメインじゃないことは分かってるけど、楽しみだし、何より、緊張するかも。
それでもきっと、今の私の顔は生き生きとしてるに違いない。
「どうかしたぁ?あけび。顔色悪いけど」
「え」
なんで!!?
鮎川先輩が心配そうに私を見つめるので、思わず間抜けな声が出た。
い、今まで気づかなかったけど、もしかして私の顔って、わくわくしたり緊張すると紅潮じゃなくて紫とか青に変わってたのかも……!
そりゃあ友達できるわけないよね!
「あけびちゃん、ビビることないってば。海に落ちたら僕が助けてあげてもいいよ」
やっぱり海に落ちる前提だし、そこは心配してないよ真澄君!!
ともあれテストが終わった今、夏休みのボランティアまでは波乱も無く過ごせるだろう。
と、思っていた私が甘かった。
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