第34話 誘い

図書委員会開始10分前であるにも関わらず、講義室にはまだ全体の半分くらいしか集まっていないようだった。


講義室の前側から入る勇気なんてない私は、後方の入り口から足を踏み入れる。



あっ。



飛び出しかけた声を慌てて飲み込むと、目をこちらに向けた私の視線の先の人は「お」と唇を小さく開いた。



深見先輩も図書委員だったんだ!!知ってる人がいるって、なんて心強いんだろう!!



手を軽く挙げてくれた先輩に頭を下げてから、入り口に1番近い空席にカバンを置く。



この机を二つくっつける並べ方が苦手なんだよね。知らない人が隣に来るってことだもんね。



溜め息を我慢しながら腰を下ろして再び顔を上げると、苦笑いを浮かべる深見先輩が今だにこちらを見ていた。



ん?



よく分からないままもう1度頭を下げると、深見先輩に手招きされた。



え、私だよね?


違っていたら相当恥ずかしい……と注意深く前後左右を確認してから立ち上がり、そろそろと彼に歩み寄る。



「よぉ、姫さん。まさかあそこに座るなんて思わなかったぞ」

「えっ。駄目なんですか、あそこ!カバン避けなきゃ!!」



ギョッとして座っていた席を振り返れば「違う違う」と楽しげな否定の声。向き直ると、くすくすと笑いながら私を見上げる先輩が隣の机を指先で叩いた。



「てっきり、隣に来てくれるもんだと思ったんじゃが」



よければどうぞ、と彼が引いてくれたイスを凝視する。先輩を直視出来ないから代わりにイスを見るしかないという状況。



「お、邪魔します」

「とんでもない」



ぎくしゃく鈍い動きで席につく。先輩は満足そうに背もたれに寄りかかった。



ち、近い。


何か話さなきゃ!



「ふ、深見先輩も図書委員だったんですね」

「ああ。くじで決められちまってな。本は好きだが、 俺は部活で手一杯じゃ。お前さんは立候補かい?」



はい、と頷くと、「偉いな」と微笑まれた。駄目だ頭がショートしそう。



「俺のくじ運も馬鹿に出来ねぇな」



え?



それはどういう意味だろう、と首を傾げている間に委員会が始まった。内容は、今後の活動について。本の貸し出しや図書当番、本紹介の作り方などなど。



じっとしていたら左の先輩を意識してしまい失神しそうで、とにかく聞いた話を全て書き留めることに専念した。書記並に働いた気がする。



頬杖をついて委員長の話に耳を傾ける先輩との距離が近すぎて、ペンを走らせる拍子に腕が触れそうになった時は口から心臓が飛び出そうになった。




「では、みなさんお疲れ様でした」



そんなわけで、委員会が思ったよりも早く終了した頃には私は燃え尽きて真っ白だった。



「お、お疲れ様でした……」

「やけに疲れてねぇか?大丈夫かい?」



あー終わった終わったと伸びをしていた深見先輩が、不思議そうに私の顔を覗き込む。



だから、この距離感がっ!!



不自然にならない程度に少し身を引きながら「大丈夫です」と力無く笑う。



「帰るとするか」



席を立ってショルダーバッグをかけていた先輩が「あ、そうじゃ。忘れてた」と私を見下ろしたため、同様に立ち上がる。




「古い映画は、好きか?」




え、突然どうしたんだろう。

というか古いってどれくらいかな。




「えーと、好きです。流石にサイレント映画まで遡ると、あまり観たことはないですけど」




うんうんと先輩に頷かれるも、私は首を傾げるしかない。なおも続けられる質問。




「1日に何本も映画館で観たことは?」

「1回だけあります。3本観ました」




2年前の夏休みに薫君とチャレンジした。でも、4本目は精神的にも金銭的にも薫君に申し訳ないから断念して帰ったんだよね。



「そうか。なぁ、姫さん」



満足げにポケットに手を突っ込んだ彼は、2枚の長方形の紙を取り出す。あ、チケットかな?




「俺と、新記録に挑戦してみねぇか?」




……それは、お言葉通りの意味ですよね?え?私が、先輩と、まさか2人で?



かちんと固まった私をよそに、先輩はそれはそれは嬉しそうに説明を続ける。



「駅前の映画館で最近再上映されるようになった、昔の映画だけが対象なんだけどな。このチケットで1日見放題になるんじゃ」



抽選で当てたから無料だぞ、と私の顔色を窺うように屈む。



「あ、あの。せっかくのチケットなんですから私よりも別の方を誘った方が、」

「こういう趣味が合うのは俺の周りでは姫さんだけだからな。興味無いことに無理矢理付き合わせるのは酷ってもんじゃ」



そ、うですよね。



ちょうど私の思い出に突き刺さるようなお言葉に、口元が引きつりかけた。



「ああ、無理にとは言わん。だが1人で行くよりも、どうせなら誰かと行った方が楽しいと思ってな。あ、もしかしてお前さん」



おずおず顔を上げれば、む、と何やら神妙な面持ちの先輩が眉尻を下げた。




「俺と2人は嫌かい?」




ち、違っ、あ、いや、あんまり違わないけど、先輩と2人が嫌だというわけじゃなくて、男の人と2人で出かけたことなんて薫君としか経験ないからといいますか……!



えーと、付き合ってるわけでもないのに男女2人で映画館に行くのはなんだか……って、私の頭が固すぎるのかもしれないけど!



目を白黒させながら冷や汗を浮かべる私を見下ろす深見先輩。



「うーん、何を考えてるかだいたい分かるな。そうだなぁ、じゃあこうしよう」



ぴら、と先輩が私の目の前にチケットを提示し、もったいぶるように咳払いをひとつ。



「俺のために休日を1日くれないか?ま、もし嫌だというのなら2枚とも姫さんに譲ろう。俺は一人では行かん」



えええええ。



「なんでそうなるんですか!?」

「どうせ無駄になるなら、楽しんでくれる姫さんに譲った方がよっぽど良いだろう。それともいっそのこと捨ててしまおうか」

「わあああたしで良ければ!!よろしくお願いします!!」



そのチケット、いつか私も買おうと思ってたんですけど1枚3000円くらいしますよね!?2枚貰って私が誰かと行くのも破ってしまうのも罰当たりすぎる!!



私は勢いのまま、千切れそうな程首を激しく何度も縦にぶんぶん振った。深見先輩はスミレ色を穏やかに細める。



「ん、こちらこそ」



肩を落とす私に、彼は「約束」と立てた小指を差し出してきた。



ゆ、ゆゆ指切りげんまん!?これはまさか指切りげんまんですか!?



小指と先輩の顔を交互に見やり、痙攣レベルで震えながら自分の右手をゆっくり上げていく。小指を情けなくちょっとだけ立てて差し出しつつも、思い直して引っ込めようとする。


が。



「うわっ!?」

「指切りげんまん、じゃ」



ぎゅ、と捕まえるように小指を絡め取られて、鼻と口から血が出るかと思った!!



口をパクパクさせる私に気づいているのかいないのか分からないけど、彼は「嘘ついたら、うーん、コメのエサやりを1週間頼もう」と私の小指を引っかけたまま軽く揺らした。


ちなみにコメとは子ども縁日で豊条さんからいただいた金魚で、現在は部室のアロエの隣で泳いでいる。



「帰ろうぜー、深見」



のんびりした声に勢いよく振り返れば、講義室の入り口でスマホを片手にこちらを見つめる男の人。



「では詳細は後日、な。楽しみにしてる」



そのままするりと指が離れ、先輩はひらひらと手を振った。



「おせぇよー」

「悪い悪い。行くか」



私は先輩たちが廊下の先の階段を降りて姿が見えなくなるまで、足が縫い付けられたみたいにその場を動くことが出来なかった。

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