第30話 形勢逆転?

しゃがんだ鮎川先輩は、ヨーヨーの絡まる糸をほどきながら言葉を続ける。



「ま、ウチが過疎ってる理由は金魚とかヨーヨー云々じゃないよねぇ」



え?



「ね、真澄」



ええ?


ああ、と薫君と稜汰君と深見先輩は意味ありげに頷いた。真澄君は髪を耳にかけながら拗ねたように唇を尖らせる。



「結婚してって言われたから【僕は男なんてお断り】って答えただけよ」


えっ。


「おまっ、真澄!結婚申し込まれたのかよ!本性バレる前にもらわれちまった方がいいんじゃねぇの!?」



吹き出した保君が、そのまま爆笑し始めた。真澄君は保君に歩み寄り睨みあげる。



「僕はもらわれる方じゃなくて、もらう方なんだけど。だよね、あけびちゃん」

「えっ、いや別に、うん。そうですね!」



突然のご指名に飛び上がる。今の時代は色々な夫婦の形があるし、もらうとかもらわれるとかっていうのも違うんじゃ。という考えが瞬時に巡ったけど、彼の鋭い目に慌てて首を縦に振った。



「だいたい今日はスカート履いてないのに、何なのさ。僕、そんなに女の子みたいかな」



顔じゃないかな、と言いかけた稜汰君のお腹に薫君が無表情で肘を入れた。げほげほ咳き込む稜汰君を真澄君が怪訝そうに一瞥したけど、どうやら薫君の口止めは功を奏したようで。



「いつも女みてぇな格好してんのに、そりゃ今更すぎる疑問じゃね?つか、どうせ小学生だろ相手は。応対がお子ちゃまだな」

「いい歳して自分の家にも帰れないアホに言われたくないね。てかさ、中学3年らしいんだよ彼。ゾッとしたよ」



火花が散り始めた2人の後ろで鮎川先輩が「あれでよく10年も付き合ってるよねぇ」と深見先輩を見上げ、彼も「ケンカする程仲がいいってやつじゃねぇか?」と彼女を見下ろした。



「俺らみたいなもんじゃろ」

「ウチらは仲良くないでしょお」

「それもそうか」


え、ええ……。



頷き合うお2人の会話がよく分からなかったけど、きっと他人には理解し難い絆があるのだろう。むしろ、あってほしい。



「ちゅ、中3かよ!ぎゃはははは!馬鹿だな!あ、でも惜しかったじゃねぇか!お前に告白した男の最高年齢記録越えられなかったな!駄目だ腹いてぇ!」



保君のあまりの爆笑ぶりに再び意識をそちらに戻せば、真澄君の目が据わっていて思わず後ずさる。



「やっぱ嫁にでも行っちまえよ!祝福してやっからよ」

「うっさいな。……ちょっと何逃げてんの」


ひっ。


じりじりと距離をとっていた私の腕が真澄君に素早く掴まれた。そのまま勢いよく引っ張られバランスを崩す。


転ぶ!酷い、私は何もしてないのに……!



「ぐふっ」

「あれ、意外と重いね」



地面とこんにちはする覚悟を決めようとしていた私のお腹に細い腕が食い込んで、女子とは思えない声が出た。胃が出るかと思った。口から。


よいしょ、とどこにそんな力があるか分からないその腕を私のお腹に巻きつけたまま体制を立て直させてくれた真澄君は、右手はそのままに腕を掴んでいた左手を今度はなんと私の首に回す。


ねぇ、何この人質みたいな感じ!!!



「ま、真澄君!離し」

「ちょっとうるさいかな」

「ごめんなさい」


ギブギブギブ!!


首に回る彼の腕を申し訳程度にポンポン叩くと更に力が込められる。


まずい、五臓六腑が!!!


いたずらっぽく笑う真澄君が、私の耳元で囁いた。



「あけびちゃんのお嫁さんになら、なってあげてもいいけどね」



な、な、な、何!!?


彼の言葉を混乱する頭の中で繰り返し、ようやくその意味を理解する。急激に顔が熱くなり、特に真澄君が触れるお腹と首と肩は発火しそう。火だるま。


首に回されていた腕が外され、代わりに火照る頬に触れられて飛び上がる。



「あれ、あけびちゃん。顔が赤いけど風邪?」



それは真面目におっしゃっているのですか!?



やばい、鼻血が先か失神が先か。

くらくら目眩がする。


すでに精神ダメージは計り知れないレベルだけれども、鼻血よりは失神の方がまだ尊厳を守れる気がするな。でも失神ってどうやったら出来るんだろう!?いまだかつて気を失ったことがないから方法が分からない!



「その辺にしておけよ、こけしの血管が切れそうだぜ」



ちょっと自分でも何を考えてるか理解不能になってきたその時、呆れたような声と共に左腕を引っ張られた。



「た、保く痛い痛い痛い!お願いだから離してください!出る!内臓が!痛い痛い!」



お、おかしい!

この状況はとてもおかしいよ!



ぐいぐい私の腕を保君が引けば引く程、私のお腹に意地でも離さないとでもいうように回る真澄君の腕が食い込む。


少女マンガだったら引っ張ってくれた相手の胸にダイブとかいう胸キュンな展開だよね!?いや別に保君に抱き着きたいとかじゃないけど!


ここで私の口からモザイク処理が必要なものとか出たらホラーに!なる!!



「は、な、せ、や。こけしが女にあるまじき顔してんぞ」

「女じゃないもん王子だもん。だから大丈夫。保こそ離しなよ!」



待って、分かりかねます。あなた方の言い分が分かりかねます!!!



かたくなにお互い譲ろうとはせず、さらにはどんどん力が強まっていて。


駄目だもう千切れる!こんな公衆の面前で!……ん?公衆の、いや、子どもの、前で?



継続するというか激化する痛みの中でも、冷水を浴びせられたかのように思考がクリアになる。


少し離れたところから数人の小学生くらいの子どもたちが、確かに興味深そうにこちらを見つめていることに気がついたからだ。


そして直後、弾けた。



「や、やめて!!!きょ、教育に悪いから!!」



大きな(あくまで私からすれば、だけど)声を絞り出した私は保君の手を払おうと腕を振り、真澄君の腕から逃れようと身を捩った。


が。



「……何してんの、あけびちゃん」

「無様だぞ、こけし」



到底彼らの力に叶うはずもなく、もがき苦しみながら腕をブンブン振るという醜態を晒しただけだった。


終わりかけのネズミ花火を見るような目で私を見下ろす2人は、しばらくしてから溜め息を吐いて解放してくれた。私は、よろよろと荒い呼吸をしながら屋台テントの柱にしがみつく。


し、死ぬかと思った……!


マラソン直後みたいな心拍数をなんとか安定させようと深呼吸を繰り返していると、薫君と目が合った。



「か、薫君。なんでパイプイス構えてるの?」

「……いや、助けてやろうと思って」



どうやって!?……まさかパイプイスで殴ろうとした?いやいや、プロレスじゃあるまいし。



「……驚いた」

「え、なんで?」



正直、驚いたのは私なんだけども。


戸惑うような表情を珍しく浮かべる薫君に尋ねれば「あけびの口から【やめて】なんてセリフが、そこそこデカい声で出るなんて思わなかったからな」という返答。



あ、ああっ、そうだ、やばい。私はなんて身の程知らずなことを!!もしも不愉快に思われたら、嫌われたら、どうしよう。



これに頭を打ちつけたいと考えながら、柱をぎゅっと握り締めてがたがた震える。



あああ謝らなきゃ!!土下座解禁する!?

なんだかんだ言って、まだ人生で2回しかやったことないけど!



「あ、あの、」



抱きつくように柱にしがみつきながら、へっぴり腰で振り返ると。


あれ。


私のことなんか全く気にせず睨み合う真澄君と保君。気にせずっていうか、空気?


「あ、あの、ちょっと、」と勇気を出して声をかけると「口を挟むな」と見向きもせずに言われた。空気は生きるために必要不可欠だから、むしろ私って空気以下なのかもしれない。



「あけびちゃんに何したか、詳しく話してもらうからね。アホ保」

「んな筋合いねぇよ、クソ真澄」



腕組みして挑発的に口元を歪める真澄君。額に青筋を立てて見下ろす保君。言い合いの詳細は分からないし悪口も通常運転だけど、なんでいつもより険悪な雰囲気なの?



そ、そうだ、そろそろ稜汰君が止めに入ってくれる筈……って、いない!?



テントの中を見回しても、我関せず状態で釣り糸を作成中の深見先輩とヨーヨーを指でつつく鮎川先輩、パイプイスを元の場所に戻している薫君だけ。


それから火花を散らし中の真澄君と保君。冷んやりしていたのに、私のせいでぬるくなってしまったアルミの柱からゆっくり手を離す。


か、かくなる上は私が……!



「まぁ、今聞いてあげてもいいよ?どうせ暇だし」

「どっから目線で言ってんだよ。そもそもお前が大人げねぇ態度取るから他の奴らもビビッて来ねぇんだろうが!」



むむむ無理!まるでお話にならない!

どどどどうしよう!!


上げかけた手は、保君の舌打ちを合図に素早く私の背中に回った。


こんなんじゃ、お客さんが来るとか来ないとかいう以前の問題。



「あああ、もう、薫君!どうしよう!」



彼の袖を引っ張って見上げると、薫君は「大丈夫そうだぞ」とだけ答えた。


意味分かんないよ……。

俯いて溜め息を吐こうとした瞬間。



「おいおい、俺がいなくて寂しかったからって怒鳴るなよー。お姫様たちが怖がるだろうが」



呆れ半分の飄々とした、この声は。



「稜汰く、うわっ、えっ!?」



帰ってきてくれたの、という言葉の代わりになんとも情けない声が出た。


勢いよく顔を上げると目の前には、ざっと15人程の幼児から高校生くらいまで幅広い年齢層の女の子に囲まれる稜汰君。


こ、心なしか、皆さんお顔が赤いような……!



「ケンカー?」



稜汰君と手を繋いでいた可愛らしい小さな女の子が不安げにくりくりした瞳で彼を見上げた。それに気づいた稜汰君は、にっこり笑いながらしゃがんで彼女と目の高さを合わせる。 



「俺がキミに目を奪われていたから、彼らはヤキモチをやいたんだよ。心配しないで。キミには指1本触れさせないさ、お姫様」



う、うわあ。


こんな恥ずかしいセリフを一切寒さを感じさせることなく(小学生?に)言えるのは、絶対一種の才能だ。


女の子の頭を、オレンジ色のリボンでまとめられたツインテールが崩れないように注意を払いながら稜汰君が撫でる。彼女は頬をバラ色に染めて俯いた。


真澄君と保君が顔を引きつらせたけど、深見先輩が「しばらく我慢してろ」と囁く。



「おおっと、キミは可愛らしい唇を尖らせて俺をどうしたいの?言ってくれなきゃ分からないぜ」



立ち上がった稜汰君が今度は後ろの中学生くらいの女の子に眉尻を下げて話しかける。



「え、別に、ほのかはっ、」

「ああ、ほのかちゃんっていうの。俺としたことが名前を聞き忘れていたよ。名前なんてどうでもよくなるくらいキミに見惚れちゃってたんだ、ごめんね。名前はこれからお互いを知るのにとても大切なことなのにね」



突然話しかけられて動揺しながら首をぶんぶん横に振っていた彼女は、彼の言葉にこれまた心配になるくらい顔を真っ赤に染め上げた。



「何あれ、鳥肌が立つ。ね、あけびちゃん」と私を振り返った真澄君は口をポカンと開ける。



「な、な、なんで顔赤くしてるのさ!」

「えっ嘘!?たぶん、その、免疫が無くて」



目を三角にする真澄君に私は頬を押さえて誤魔化し笑いを浮かべた。


パン、と手を叩く音に真澄君と私もそちらに向き直る。稜汰君は、太陽の光を受けて輝くヒマワリ色の髪に負けないくらいの眩しい笑顔を浮かべていた。



「さぁてみんな、来てくれてありがとう。俺さ、ここの店番やってるんだよね。よければ挑戦してみない?上手くいけば綺麗な色の水ヨーヨーだけじゃなくて、いいもの、当たるかも」



1回200円とはいえどもお金は取るわけだし、それはちょっと無茶なんじゃ「やる!」「あたしも!」「やりたい!」ええええ!!?


「釣るやつください!」

「私も」

「早く!!」


頬を染めながら殺到する女の子たちに深見先輩と鮎川先輩が少しばかり体を引く。


「ただいま、あけび。あの、先輩」


テントの下に戻ってきて先輩たちを手招きした稜汰君。声を落としつつ人差し指を立てて唇に当てた。



「釣り糸っていうのかな、彼女たちのあれ、1回サービスって言って無料にしてあげて」



えっ。


目を丸くした後、鮎川先輩は肩をすくめた。



「って言ってもぉ、稜汰。店の用意したのは運営側だし収益は全部納めなきゃならないんだけど」

「だから、それは俺が後で負担するんで」



な、な、な、何それ。

気のせいかな、なんか、かっこいい。



「普通こんなの1回やりゃあ十分だろ。お前、負担し損だぜ」



腕組みして割り込んできた保君に「心配してくれんのか、保」と稜汰君が嬉しそうに微笑んだ。



「いいのいいの。俺が誘ってきたんだから。何人かはまた挑戦してくれるだろうし、女の子たちに楽しんでいただければ幸いってやつだ。賑わってれば、他のお客さんたちも来てくれるはず」



保君は顔を歪めて「お前、寒いセリフどこで駆使してんだよ。ホストにもなれねぇな」と呟いた。



「ずいぶんとかっこいいじゃねぇか、稜汰。そういうことなら話は早い」



感心したように頷いた深見先輩はスミレ色の目を穏やかに細める。



「ただし、半分は俺の負担じゃ。それくらいは協力させてもらう」

「えっ」



目を瞬く稜汰君ににっこりと笑いかけた先輩は、急かす女の子たちの方へと行ってしまった。



「んー、俺からすれば、深見先輩の方がよっぽどかっこいいけどな」



首を傾げた稜汰君に、心の中で【稜汰君もかっこいいと思うよ】と言っておく。ちょっと口には出せそうもない。うん。


私と稜汰君の間に入ってきた真澄君が目をすがめる。



「てかさ、稜汰。一体どこからこんなに女の子連れてきたわけ?幼児とか、まさか誘拐?」

「Ma va!ちゃんと親御さんにも話をつけたに決まってるだろ。ほら、向こうでこっち見てる人たち」



参ったな、と彼は広場の中央の噴水に腰掛ける女の人たちに笑顔で手を振った。全然参ってなさそうだ。彼女たちも頬に手を当てて微笑む。


あ、あんな年上にまで……!



「もちろん忠告はしたぜ?【これからは王子様みたいな男に声かけられてもついて行っちゃ駄目だよ。俺だけにしてね】って」

「ツッコミ所満載だなぁ、おい」



俺って親切心の塊だよな、と満足げに頷く稜汰君を冷ややかな目で見つめる保君。


ああそうだ、とこちらを向いた稜汰君に「どうしたの」と返す間もなく手を掬われた。



「お望みであれば、俺の愛の3分の2は他の女の子たちにあげるけど、残りの3分の1はあけびに捧げるよ」



い、い。


「いぎいぃいいいい!!」

「だからその妖怪みたいな悲鳴やめない?俺も傷つ痛いっ!」


えっ。


複雑そうな表情を浮かべた稜汰君は、突然頭に落とされた拳に悶えながら崩れ落ちた。すぐに立ち上がり、殴られた部分をさすりながら恨めしげに振り返る。



「真澄、今の膝かっくん何?お前膝でやってないだろ、普通に蹴り入れたろ」

「さぁ」

「てか保も!俺は悲しい!愛しの幼馴染みの頭そこそこ本気で殴るか普通!?」

「愛しくはねぇな」



つんとそっぽを向く真澄君と保君に苦笑いを浮かべた彼は、私の頭を撫でる。お蔭でちっぽけな心臓が跳ねた。



「いやぁ、モテモテで羨ましいかぎりだな、あけび」



全然モテてないし、それだけは稜汰君に言われたくないよ。



「モテてねぇ!」



うん、その通りなんだけどね、保君。そんなに力いっぱい言わなくても大丈夫だよ。



「酷いよなぁ、保も真澄も」



ちょっとだけ拗ねたように眉をひそめた稜汰君は、ねぇ、と私を見て首を傾けた。



「俺、少しはかっこよかったと思わない?」



「かっ」

「か?」

「かっこよかったよ!少しじゃなくて!すごくすごく!!」



もう勢いのまま首を横に振ることしか出来ない私を彼が得意げに見下ろす。



「Grazie!お姫様にそう言っていただけて光栄だよ。あれ、あけび?なんか顔が真っ赤で、目も潤んでる、ぜ……」



自信に満ち溢れていた稜汰君の笑顔が固まり、ゆるゆる上がっていた口角が下がる。眉尻もほんの少し下がってきて。



「ほ、ホントにかっこよかったと思うよ……稜汰君」



自分でも燃えるように熱い顔がりんご色なのは百も承知。そのまま力無く笑えば、私から目を逸らして右上に視線を固定した稜汰君は、ピアスを弄り始める。



「あ、えと、はは、そう、かな」

「う、うん。そうだよ」

「ほ、ホント?嬉し、あ、いや、うん、なるほどね」



なんなんだ、この状況。顔を真っ赤にしてカクカク頷く私と、向かい合う頬をほんのり桃色に染めて忙しなくピアスに触れる稜汰君。



「じ、じゃあ、俺、お客さん集めてくるわ」

「わ、わ、私も、裏方とか、手伝うね」

「よ、よし、頑張ろうぜ」



ぎこちなく手を振りあってから、お互いに背を向ける。



が、頑張るぞ!!!

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