第16話 コーンポタージュと苺ミルク

二つ並ぶ自動販売機の前にたどり着いた私は、端から端まで視線を移す。



えーと、無糖のコーヒー、あった、これか。ブラック。最上君のリクエストのものはあるかな。



500円玉を入れて1番下の右端のボタンを押そうとすれば、隣に誰かが立った。顔は上げずにちらっと横目を向けると、ポケットに手を突っ込んだ男の人が見える。



こっちの自販機を使いたいのかもしれないし、急がなきゃ!あっ、最上君が言ってたやつがどこにあるかチェックしてない!!あああだめだ焦る!どうしよう、ひとまずコーヒーだけは買うべきか!?



「あ、あのっ、すみません!お待たせしてしまいそうなので、お先にどうぞ!」



その時私はようやく隣の男の人をしっかりと視界に入れた。そして、固まった。薫君と同じくらいか、それよりも高い彼の背に驚いたわけではない。この人、もしかして。



ピッ。



「あっ」



ガコン。



慌てて目を逸らして自販機に向き直ろうとしたため、勢い余って無糖のコーヒーの隣のボタンを押してしまった。お釣りが落ちる音が無情にも響き渡る。



あああああ!!コーンポタージュ出てきちゃったよ!!どうしよう、ブラックコーヒー買って来いって言われたのにコーンポタージュなんて持って行ったら何て言われるか!!



……仕方ない、自分で飲もう。というか、これホットだ。今の季節にはちょっと熱すぎるよね。



泣く泣くコーンポタージュとお釣りを取り出す。



熱い。いいや、もう。ちょっと熱いけど、コーンポタージュ好きだし。ちょっと熱いけど。



すると、溜め息を漏らす私の横から突然にゅっと手が伸ばされた。



チャリンチャリンと小銭を投入し、可愛らしい紙パックの苺ミルクのボタンを選択する。


ゴトンと落ちてきたパックをしゃがんで取り出し口から抜いた彼は、「あ」と私を見上げた。目が合った瞬間、私は小さく声を上げかけた。



こちらをまっすぐ見つめる目は、吸い込まれそうな淡い青……いや、紫色?


か、カラコンかな?すごく綺麗で本物みたい。



立ち上がったために再び目線が逆転した彼は、自分に見惚れたまま考えを巡らせている変な女相手に嬉しそうにスミレ色の目を細めた。



「思い出したよ。あんた、昨日すっ転んだ新入生じゃろ」



うぐっ。



そう。サラリと漆黒の髪を揺らす彼は、昨日の入学式前にぶつかった私を助け起こしてくれた先輩だった。



「急に石になっちまったと思ったら、お前さんだったのか」



やっぱり。昨日は焦りながらお礼を言ったから、あまり自信は無かったけど。


唖然と私に見上げ続けられて私に居心地が悪くなったのか、彼が少しだけ眉をひそめた。



「……何か言ってくれるとありがたいんだが」

「す、すみません!」



やっぱり本物みたいだ、と彼の瞳を見つめていた私は慌てて目を逸らす。他人に凝視されてたら私だって嫌だもんな。



そのまま何を言えばいいのか本気で悩んでいれば、やがて彼が苦笑しながら口を開いた。



「……これは自前じゃ」

「えっ」

「おや、てっきり目の色が気になってんのかと思ったんだが。違ったか。俺は自意識過剰だったみたいじゃな」

「えっ、違います!あ、いや、違わないです!自意識過剰なんかじゃないです!」



弾かれたように必死の形相を上げた私に目を瞬いた後、先輩は「なかなか珍しいじゃろう?」と肩を揺らした。



「……エリザベス・テイラーみたいですね」

「え?」



思わずポツリと呟くと、彼はクスクス笑いを止めて私を見下ろす。ハッと我に返った私は、ぶわっと嫌な汗を背中に感じた。



「……エリザベス・テイラー、なぁ」

「その、あの、すみませんでした!ご存知ないと思いますが、女優さんでして、彼女がスミレ色の瞳で、」

「知ってるさ」


え。



ふむ、と顎に手を当てて頷く彼に全力でぺこぺこ頭を下げていた私は、恐る恐る顔を上げた。



「【クレオパトラ】の主演女優だろう?」


そ。


「そうです!そうですそうです!本当に知ってるなんて!あの映画すごいですよね!でも私はエリザベス・テイラーなら他の映画の方が、あ」



流れるように紡がれた言葉は今更口を噤んだところで無かったことには出来ない。


しまった。テンション上げすぎた。



「す、すみません」



頭の中でヤバイヤバイと繰り返しながら、もう一度頭を下げる。



自重しなくちゃ。私なら突然昔の外国の女優についてマシンガンの如く語られたらドン引きする。自分がされて嫌なことは人にしちゃいけませんよ、って保育園でも教わるのに!



「何を謝っとる?頭、上げな」



先輩の顔色を窺いながら顔を上げれば、楽しげに小首を傾げていた。



「今まで褒めてくれる人にも何度か会ったことはあるが、エリザベス・テイラーに喩えられたのは初めてじゃ」



彼は切れ長のスミレ色を細めて、頭を下げすぎて乱れまくっている私の髪をさらっと直した。



「俺の好きな女優だ」



う、うわっ。



先輩の手は一瞬で離れたのに、触れられたところあたりが熱い気がする。倒れないように、しっかり足に力を入れておかなくちゃ!!



「で?」

「はい?」



今日の天気を尋ねるかのように、実に他愛もなく先輩が首を傾げた。



「お前さん、名前は?」

「えっ、あっ、姫後 あけび、です」

「おお、肥後か。肥後って熊本だろう?俺のじいさんが住んでたんじゃ」



嬉しそうに微笑む先輩は、たぶん熊本とおじいさんが本当に好きなんだろう。でも、違うんです。



「その漢字じゃないんです。姫の後ろって書くんです」



嫌だなぁ、苗字の漢字の説明……。徐々に小さくなっていく私の言葉に何かを感じとったのか、彼は静かに頷いた。



「姫さん、か」

「はい!?」

「不満かい?苗字に姫ってつくんだろう?ちょうどいい」


ちょうどよくないです!



ぎょっとして思わず先輩をまじまじと見つめれば、「いい感じじゃ。姫さん」と口角で三日月を描く彼。



そ、それは、ただでさえ私には不釣り合いなのに、更に私のコンプレックスに突き刺さるあだ名なのですが!




「可愛らしいし、ぴったりじゃ」




か、可愛い!!?

せせせ先輩の目は節穴なんじゃないの!?



それに、それに、それに……。



脳裏に今となってはだいぶ薄まってしまった、ツツジを背景にした少年の笑顔がよぎる。



……【姫さん】だなんて、たもつ君にしか呼ばれたことない。




「顔、真っ赤じゃ。照れてるのかい?」




図星どころじゃない。頬が火照る。手の中のコーンポタージュよりもずっと熱い。



にこにこしながら自販機に小銭を入れる先輩を直視出来ず、彼の指の動きだけを目で追う。ボタンが押されて落ちてきたのは、ブラックコーヒー。



あ、私も買わなくちゃ。



そう思いながら見ていると、不意に先輩が私に向き直った。



「悪いな」


え?


「間違えちまった。よければ、変えてくれねぇか?」



私のコーンスープを指差しながら、缶コーヒーを差し出してくる先輩。



「えっ」

「あれ、これじゃなかったかい?いまいち格好つかねぇな」



ちょっと気恥ずかしそうに彼は頬を掻いた。


もしかして間違えて買ったこと、バレてる?



「大丈夫ですっ!買い直すので!」



ぶんぶん首を横に振ってから気づく。しまった!【私はコーンポタージュが飲みたかったんですよ】って言うべきだった! 私の馬鹿!



「だから、ちょうどいい。お互い無駄な出費は控えようや」

「あっ」



ひょいと私の手からコーンポタージュを抜き取った先輩がコーヒーを軽く放ったので、慌ててキャッチする。



「あの、ありがとうございます。今、差額を」



さっきポケットに入れた小銭を掴み出し、そこから10円玉を2枚差し出せば、「細かいな」と苦笑された。



「それくらい構わねぇさ」

「駄目です!……20円を笑う者は20円に泣きますよ」



上手い言葉が見つからない。でも至って真剣な私を紫の瞳に映した先輩が小さく吹き出した。



「別に笑ってはいねぇよ。んじゃ、まぁ、貰っておくか」



わっ。



お金を渡す時に大きな手が一瞬触れ、思わず自分の手を引く。



「ごっ、ごめんなさい!」



自分の手から先輩に視線を戻し、慌てて謝ってから唇を噛み締めた。


驚いて、つい。不快にさせちゃったかな。


目を瞬いた彼は、「いや、こちらこそ」と首を傾ける。



「……ところで、お前さん。見かけに寄らず格好のいいもの飲むんじゃな」



向けられた先輩の指先には、ブラックコーヒー。



「あ、これは頼まれて、」



へぇ、と頷いた先輩に唐突に「甘いものは好きか?」と尋ねられ、「え、まぁ」と可愛くない返事をしまった。



「おつかいの邪魔して悪かったな。詫びの品はこれで勘弁してくれ」

「えっ」



持っていた白と薄いピンク色の紙パックを押しつけられ、私は目を白黒させる。



「お前さんとは、気が合いそうじゃ」



先輩は穏やかに微笑み、私に軽く手を振った。



「またな、姫さん」



私は苺ミルクを握り締め、遠ざかる彼の背中を唖然としながら見つめているしかなかった。



……あ。名前聞いてない。

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