第5話 最上君とのど飴

「で、あの、4階まで上がったらすぐかと」



なぜ私は入学初日に、自分も学校説明会と受験と入学前オリエンテーションでしか入ったことのない校舎内の説明をしてるのか。



「上がったら右か?左か?目印はあんのか?わかんねぇな。方角で言うとどっちだ」

「方角ですか!?」

「あーもういい。やっぱり一緒に行けば済む話だろうが」



手をひらひらと振った彼は、ブレザーのポケットを漁り始めた。



「もちろんタダでとは言わねぇ。ほらこけし、手ぇ出せ」

「は、はい?」



ころん。思わず差し出してしまった両手に乗せられたのは、二つの飴。しかも。



「……のど飴?」

「なんかビラについてきたやつだ。やる。まさか嫌いだなんて言わねぇよな?」



ひっ。



「とんでもないです!大好物です!」



鋭い目を向けられ、小さな銀色の包装紙に入った飴を握り締めた。



我ながら、のど飴が大好物ってどういうことだろうと考える。のど飴はそういう感覚で食べるものじゃない。



「そうかよ」

「はいっ、もう3ヶ月に1回は食べてます!」



しまった。3ヶ月に1回は変だったかも。

そもそも少し辛いから私は、のど飴は苦手な部類だ。というか、のど飴ってのどの調子が悪い時に食べるものじゃないの?



「……ふーん」



無理矢理にこにこする私。彼はあぐらをかき膝に肘を乗せて頬杖をつきながら、しばらくこちらを眺めた後、すっと私の手の中を指差した。



「……食わねぇの?」



今っ!!?


ひくっと口元を引きつらせた私は、我に返って包装紙を開けた。



「い、いただきます!」



のど飴を口に放り込んでころころ転がすと、ほのかな甘さの後にツンとミントの刺激が来た。反射的に舌を飴から離す。



うわ、辛っ!



「……美味いか?」

「ひ、非常に美味しいです!!こんなに美味しい飴は食べたことがありません!!」



じっと私を見つめる彼の心境は全く分からない。私は壊れた首振り人形みたいにガクンガクン何度も頷いた。



「そうか、美味いか」



目を細めた彼は、実に満足げに見える。なんだか機嫌が良さそうで、ちょっぴり安心した矢先、私のポケットでスマホが振動する。



か、薫君だ。

他に連絡してくるような人いないし。

でも今は出られない。勇気がない。


いや、でもそういえば、薫君に何も言わずに離れちゃったんだ。



心の中で葛藤していれば、彼は私のポケットに視線を落とした。



「……お前のだろ。出ねぇの?」

「は、はい!ええ!その通りです!すみません失礼いたします!」

「いちいち面倒くせぇ」



眉根を寄せる彼に何度も頭を下げてから、ポケットから取り出したスマホの画面を人差し指でスライドする。



「もしもし?」

『どこにいる』


やっぱり薫君だ!



「ごめんね!ちょっとコブシが見たくて」

『……ああ、あれか。待ってるから早く来い』



うっ、行きたいけど、すぐには無理そう。

待ってもらうのも申し訳ない。


私は隣の彼を盗み見てから、内心溜め息を吐く。



「行ってていいよ。すぐ行くから」

『……分かった』



ただでさえ淡々と聞こえる薫君の喋りは電話を通せば、さらに無機質に聞こえるわけだけど、心配してくれていたのは伝わってきた。



ごめんね、ともう1度謝ってから通話を終了して向き直ると、ちょっと驚いたようにこちらを見る彼と目が合う。



「そのストラップ、」



これ?



私はストラップが見やすいように掲げたけど、彼は小首を傾げてから興味を失ったかのように目を逸らした。



「見覚えある気がしたんだけどよ、気のせいだったみてぇ。んな不細工なタヌキ、どこにでもいるよな」



だから、犬ですってば!


訂正したかったけど、怖いから諦めた。



「よし、こけし。来い」



彼は落ちていた枝を拾い上げるとキョロキョロ地面を見渡して、土が出ているところへ移動する。そして、何やら土に書き始めた彼のもとへ私も近寄った。


てっぺんに白い花を咲かせたコブシの枝が紡ぎ出す豪快な文字を覗き込む。



【最上 保】



「もがみ たもつ。俺の名前だ。覚えとけ」



……たもつ?



え、え、嘘だ。いや、でも、待て私。ただ同じ名前なだけかもしれないし。



「たもつ、君?」



脈打つ胸を押さえて思わずポツリと名前を零せば、彼は得意げに地面に向けていた顔をこちらに向けた。



「何だよ。馴れ馴れしいな」

「えっ、ごめんなさい。最上君」



居心地悪そうに「……あー……いや、別に良いけどよ」と片眉を吊り上げて呟いた最上君は、「お前の番」と私の足元に枝を放った。



書け、ってことだよね。



恐る恐るそれを手に取り、彼の大きな文字の隣の地面を引っ掻く。



こじんまりと【姫後】と書いて、最上君の表情を横目で窺いながら「ひご、って読みます」と軽く頭を下げた。



何か反応はあるかな。小さな期待と恐怖心を抱いていると、しばらく字を見つめていた彼は「ふーん」と唸った。



「珍しいな。聞いたことねぇ」



ああ、そうだよね。

残念なようなホッとしたような。



ちょっとだけ肩を落とすと、「で?」と先を促された。



「え?」



立ち上がって制服についた草を払いながら、私を見下ろす最上君。



「名前は?」

「あ、あけびです。姫後 あけび」



最上君はニッと歯を見せて笑うと、私の腕をぐいっと引っ張った。勢いのまま立たされた私は、薫君とお父さん以外の男の人に触られたのなんて小学校以来で、目を白黒させる。



「あけび、な。よし、行くぜこけし」



……私自己紹介した意味!!



同じクラスじゃありませんように、と内心祈りながら歩き出した私の後ろで最上君が「……あけび?どっかで聞いた気もする名前なんだよな」と呟いたことには気がつかなかった。



加えて、【最上 保】という名前を2組のクラス表示で発見するまで残り3分を切っていた。



「おいこけし、俺が怖いか?」

「め、めめめ滅相もございませんですはい!!」

「ふん」



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