2.入学式前の出来事

 入学式が始まる直前まで、結局リリスが拾った万年筆の落とし主は見つからなかった。まだ落としたことに気づいていない可能性もあるので、放課後にまた探してみるのも良いだろう。


 王立アルバロサ魔術学園の入学式では、式典の間の前にある受付で生徒の証であるブローチを渡されると共にどの席に座れば良いかの案内がある。


「リリス・カークランドです」

「……はい、確認が取れました。入学おめでとうございます、カークランドさん。こちらのお席に座ってお待ちください」


 受付の女性が生徒名簿からリリスの名前を見つけたのだろう、微笑みと共に祝いの言葉とブローチ、そして席番号が記されている掌大のカードが渡された。


 それに従って上質な椅子の合間を進むと、リリスの席番号である二の文字が座面に浮いている席が見つかる。背面の上部にある四角い凹みにカードを差し込むと、浮いていた番号がふっと消えたので、そこへと腰を下ろした。


 席へと辿り着く間にさっと見た限りでは、まだ生徒の大半が到着していないようで、恐らく入学式ギリギリが一番混むのだろうと推察出来る。それ故にリリスは早く家を出たのだ。


 そんな彼女へと視線が集まって来るのを肌で感じながらも、それを気にすることもなく手元へ転移魔術で本を呼び出して栞を挟んでいたページを開く。


 お気に入りの作家の新作推理小説なので、本当は部屋でのんびりと読みたいものではあるのだが、現状リリスの手持ちで読み終わっていない本はこの一冊しかなかったので、仕方なしに開いているとも言える。


 ゆっくりと、静かに彼女の意識は本の中へと誘われて行き、ページを捲る手も次第に早まる。しかし、山場というところで隣からの視線がリリスを刺した。


 そうして一度途切れてしまった集中力は暫しの間するにすることを彼女は知っているので、残念に思いながらまた栞を挟み込んでから本を閉じ、送還する。


 すると、隣から「あっ」という少女の声が聞こえて来たので、ちらりと視線をそちらに向ければ、三番の席へ座っていたのはあの時門でリリスを追い抜いた女の子だった。


「あら、あなた、門を急いで潜り抜けていた……?」

「あ、は、はいっ! あの、申し訳ございません……私の視線、お邪魔でした、よね?」


 こちらを伺うように俯きがちな顔で視線だけを向けて来る、薄いピンク色の髪をした少女。その髪よりも濃い瞳には不安が滲んでおり、けれどもリリスと話すことというよりもこの入学式自体に緊張しているようにも感じられる。


「お気になさらず。けれど、あまり強い視線を向けるものではないわ。無礼になってしまいますから、見るのなら、そっと、気づかれない程度に……ね?」

「っ、は、はい……!」


 語尾を潜めたリリスに、少女の体がびくんと揺れる。だがそのピンクの瞳に映るのは感激の色であり、貴族としての振る舞いに慣れていない姿にもしやとある家名が思い当たる。


 平民となっていた傍系の血筋から二人の養子を迎え入れたという、伯爵家のことだ。男児と女児の双子ということで、家督は兄である男児に譲ることになるのだろうという話を聞いていた。


「わたくしは、リリス・カークランド。あなた、お名前は?」


 薔薇の王国シュラブローズでは、身分の下の者が先に名乗ることは許されない。それは貴族でも、否、貴族だからこそ厳格であり、この場合侯爵家の令嬢であるリリスに、伯爵家の令嬢である少女が名乗ることは出来ないのだ。


「あ、えっと、カークランドさま。お名前を頂戴致しまして、幸甚の至りでございます。私はイヴ・ネイサンと申します。どうぞお見知りおきください」

「そう、イヴ。わたくしをリリスと呼ぶ許しを与えましょう」

「はっ、はい、リリスさま。光栄です」


 氷のように固くなりながら、そして所々つっかえながらも確りと挨拶を返して来たイヴ。リリスが聞いた話では、一年前に伯爵家へ迎え入れられたというのだから、ここまで相当な努力をして来たのだろう。


 そのことを褒めるように、リリスが微笑む。するとイヴの顔はみるみるうちに赤く染まるので、つい、彼女は口元を扇で隠して笑ってしまった。


 尚、淑女が歯を見せて笑うのははしたないことなので、微笑み以外はこうして隠さねばならないのだ。


「ああ、そうそう。イヴ、もしかしてこの万年筆はあなたのものかしら」


 そう言ってリリスがスカートのポケットからハンカチに包んだ万年筆を取り出すと、イヴの目が大きく開かれる。それから自分の制服のポケットを全て確認し、更に鞄の中も確りと見たところでなくなっていたのを理解したのだろう。


 リリスからの問いかけに何度も頷くイヴの右手の甲に、リリスの黒いレースに覆われた指先がそうっと触れる。優しく、薔薇の花弁に触れるように彼女の手の甲へとリリスの掌が重なると、ひく、とイヴの体が小さく揺れ動いた。


 リリスの膝の上に乗せられたハンカチの、その真ん中。丈の長いスカートの丁度太腿の境へ収まっていた万年筆を、掌の真ん中へ横向きに乗せてやる。


 そして、もう片手の指先をイヴの指先に重ねたリリスはゆっくりと手を閉じてやった。それからするり、手の甲へと重ねていた掌を抜き取れば、目を細めて囁きかける。


「その様子だと、大切なものみたいね。もう、落としてはいけないわ」

「ひゃっ、は、はいぃ……!」


 まるで小動物のように体を震わせながら、顔を真っ赤に染め、瞳には涙の膜さえも張ってしまいそうな様子のイヴに、リリスはゆったりと首を傾げる。


 男に好かれる体をしているとの自覚、そして褒め称えられるほどの美貌を持っていることへの理解はあれども、同性からこういった反応を受けた経験はなかった。


 最も、貴族の淑女たれと、感情を素直に表へ出す令嬢はリリスの周りではほとんどいなかったせいかもしれないが。それでも、何だかその様子が可笑しくて、彼女は微かな笑い声を吐息に混ぜてこぼす。


 そんなリリスをぽやんとした瞳でみつめながら、イヴが手を動かさないので、上から優しく右手を重ねて膝の上に下ろしてやる。すると彼女もはっと思考を取り戻したように動き出し、万年筆を宝物のようにそうっと鞄から取り出したケースへとしまい込んだ。


「ねえ、イヴ。午後は予定があるのかしら」

「えっ!? いえ、ありません」

「なら、お茶会でもどうかしら。わたくし、あなたともっとお話がしてみたいの」

「っぜ、是非……!」


 リリスの誘いに頷くイヴ。もしかしたらこの学園で最初の友人になれるかもしれないと、リリスの頬も自然と緩む。この小動物のような可愛い女子生徒と、学園で、願わくばその先も仲の良い友人となれれば良い。


 そんなやり取りを二人がしている間に、どんどん席が埋まって行っていた。入学式の席順は入試成績によるものなので、男女入り乱れての並びとなる。


 リリスはその中で上から二番目、イヴは三番目での学園合格であるということだ。そして二人を抑えて一番良い成績を収めたのは、薔薇の王国シュラブローズ第二王子。忖度なく、第二王子自身の学力による一位の座である。


「そろそろ式が始まりそうね。イヴ、また後でお話をしましょう」

「喜んで、リリスさま」


 小声でそうやり取りした二人は、最後にそっと笑みを交わしてから前を向く。リリスの左隣に座る第二王子の視線がイヴへ注がれていようとも、それは彼女の知ったことではないのだ。

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