第5話 青年アタリ 4
煉瓦は白塗りの車を運転して駅に向かっていた。
時刻は午後五時三十分過ぎ。日は沈みかけており、帰宅している人々の頭上で街灯が明るく輝いていた。煉瓦は法定速度を十キロほどオーバーして車を走らせており、いち早く駅に到着しようと荒い運転をしていた。
彼は集合するはずの時間をとっくのとうに過ぎていた。やっとの思いで駅に着くと、彼の車を見かけて一人のスーツ姿の男性が近づいてきた。男性は車にキャリアケースを載せると続けて自分も乗り込んだ。
「お前さぁ」男性は席に着くなり不満げに言った。「そっちから呼んだくせに何遅刻してるんだよ。約束の時間ぐらい守れよ。社会人だろ?」
「ごめん兄ちゃん。でも途中で渋滞に遭ったからさ」
「まったく。せっかくの出張だからもう少し大阪を観光したかったっていうのによ」
「邪魔をしたのは本当に申し訳ないと思ってるよ。けど仕方なかったんだ。例の殺人事件がまた発生したからさ」
「そうかい」男性は関心を示さず言った。
「被害者は保険会社に勤めてるサラリーマンの中年男性。この人は午後過ぎに駅の線路に飛び降りて
「どうせ同じやつの犯行だろ。それがどうしたんだよ。そんなわかりきった話をするためだけに俺を呼んだわけじゃないだろ?」
「うん。実は僕、組の力になってくれそうな人を一人見つけたんだよ」
男性は依然として退屈そうにしていた。しかし煉瓦からのある一言を耳にした瞬間、その態度は一変することになった。
「そいつ、僕たちと同じ超能力者なんだよ」
男性は眉を上げ、体を前のめりにして煉瓦に尋ねた。
「どんなやつだ?」
「とにかく戦闘経験があって、僕たちの世界に向いている。けど本人は無職を自称していたから、どこかの組織に所属しているような人ではないと思う」
「違う。俺が聞きたいのは、そいつがどんな能力を持ってるかってことだよ」
「本人は隠し黙ってたけど、兄ちゃんと張り合える能力だってことはわかってる。あいつ、僕の行動を読めていたんだ。おそらく攻撃を予知できるとかそういう能力だと思う」
それを聞いて男性は笑みを浮かべた。
「あの人ならきっと組の力になって、そして事件の解決に役立つと思うんだ。そこでぜひとも協力を仰ぎたいんだけど……」
「そいつの実力がどれくらいかわからないから、俺に調べてほしいと。なるほどな、大まかな話はわかったぜ」
「やってくれるの?」
「当然だろ。組のためになるんだったら手を引く理由は無いし、何より可愛い弟からの頼み事だからな。それで、そいつの名前は何なんだ?」
「確か、日光アタリとかいう名前だったと思うけど」
煉瓦のその言葉を聞いて男性の笑みが消えた。
「ふざけてんのかお前、それは企業の名前だろ」
「本当なんだって。冗談みたいだけど、本人がそう言ってたんだ」
男性は疑心暗鬼で煉瓦のことを見つめていたが、しばらくして渋々納得したように言った。
「わかったよ。むしろそんな変な名前のほうが記憶に残りやすいからな。それで、俺はいつどこに行けばいい?」
「それはわからない。けどその人が現れた場所ならわかってる。運が良ければ今夜には会えるかも」
───
アタリは両手をポケットに入れ、
駅での出来事から数時間経った今でも、彼はしきりに自身の見た光景の真相を解明しようとしていた。現時点で説明がつかないのはわかっていた。しかしどうしても真相を知らないと納得がいかず、それゆえ彼は一日中気持ちが収まらないまま
結局彼はあの出来事の後に競馬場に行く気になれず、そのまま自宅に戻ってひたすら
時間帯はちょうど乱闘の時と同じ日没時で、相変わらず多くの人が行き交っていた。あまりの人数の多さに通行人同士がぶつかることも珍しくなく、アタリは前方からやってきた高校生グループと意図せず衝突してしまった。その勢いでアタリはスマホを落としてしまい、スマホは地面に叩きつけられて画面が割れてしまった。
「あ、ごめんなさい!」アタリとぶつかった学生が言った。
アタリは無言でスマホを拾い上げ、そして高校生グループを
ただひたすら気分が悪かった。このやりきれない思いをどこに発散させればいいのかわからず、アタリはただ苛立っていた。そして彼の抑えきれない感情を爆発させる出来事が、ついに起こってしまった。
突然、どこからともなく空き缶が飛び出し、そのままアタリの頭に直撃した。勢いがそこまで強くなかったものだから幸い怪我は無かったが、アタリは一瞬にして頭に血が上り、缶の飛んできた方向を振り向いた。
空き缶は路地裏から来たものだった。それもただの路地裏なんかではなく、偶然にも数日前に乱闘をした場所と同じところからだったのだ。もしやと思い彼が足を踏み入れると、そこには彼の予想通りの光景があった。そこにいたのは、互いに殴り合いをしている五人の男性であった。
この馬鹿どもが、彼は思った。どうしてこいつらは毎日飽きずに馬鹿なことができるんだ。もはや生まれてこなかったほうがこいつらにとって良かったんじゃねぇのか。
アタリは怒りのまま怒鳴り声を上げ、一人の男性に向かって跳び蹴りをくらわせた。男性たちはアタリの襲撃に気づくとすぐさま端に逃げ、その場にはアタリとスーツ姿の男性だけが残された。
「よう、日光アタリ君。初めましてだな」突然男性が言った。
「誰だよお前。何で俺のこと知ってんだよ」
「お、名前合ってたか? 馬鹿はわかりやすくていいな」
「あ?」
「それよりアタリ君。ちょっと俺から提案があるんだけどさぁ、聞くつもりとかってある?」
何なんだこいつは、アタリは思った。いきなり喧嘩が中断されたと思えば急に話しかけてきて、それで俺の名前を知ってるだと?
「言ってみろ」男性の正体が何にせよ、アタリは一応彼の提案というものを聞いてみることにした。
「ちょっと俺とタイマン張らねぇ?」
「……タイマン?」
「そう、タイマン。意味は知ってるだろ? まだ死語じゃないから通じると思うが」
「何でそんなことしなきゃいけねぇんだよ。てかタイマンしようぜ、とか言ってその誘いに乗るやつがいるわけねぇじゃん。馬鹿じゃねぇの」
「とか言っておきながら、さっきは喧嘩する気満々だったじゃねぇか。お前も消化不良で気持ち悪いだろ? だったら今ここで思い切りやろうぜ?」
アタリは黙って男性の顔を凝視した。男性はまるでこの状況を楽しんでいるかのように笑顔を浮かべており、指の関節を鳴らしてアタリを見ていた。その表情から言葉の意図はまったく
「せめてルールは決めとこう」男性は有無も言わせず口を切った。「互いに殺すつもりでやる、この一つだけだ。質問はないな?」
最初から最後まで、アタリは男性のことについて何も理解できなかった。突然決闘をやると言い始め、そしてそのルールは殺すつもりで取りかかる、という物騒なものと来た。質問したいことは山ほどあったが、どこから質問すればいいのかわからなかった。アタリがそう戸惑っていると、突然スーツの男性は彼に向かって拳を振り始めた。
アタリは反応に一手遅れ、その拳を顎にまともに食らってしまった。その瞬間、彼は男性に対してある違和感を抱いた。男性の力が並外れだったのだ。殴りかかってきた時の速度といい、この男性は今まで喧嘩をしてきた人間と何かが違っていた。
アタリは自身の能力を発動させて二秒前に戻り、男性の攻撃を回避した。それから隙を見て脇腹めがけて拳を突いたが、男性は片手でそれを叩いてアタリの腹に反撃を入れた。
強い、アタリは思った。おそらく俺より喧嘩慣れしていて、俺より戦い方を熟知している。どこの部分をどのタイミングで叩けばいいのかも知っているし、俺の攻撃も読めている。多分俺は、こいつにまともに勝てない。
そんな並外れた体力を持っている男性から、アタリは一瞬だけ逃げることを考えた。今まで喧嘩してきた中で──能力使用の有無を合わせて──彼は一度も敗北というものを味わったことがなかった。大人数を相手にしようと凶器を持ち出されようと、彼は必ず喧嘩に勝利してきた。もしここで逃げれば、彼はここで初めて自身の戦績に傷をつけることになる。
しかし、彼はその考えをすぐに捨て去った。相手を前にして逃げ出すという行為は自身のプライドが許さず、彼は逃げるという行動自体を選択肢の中から抹消した。
アタリは何度も能力を使用して時を戻し、目の前の男性に何とか攻撃を当てようと試行錯誤した。何度防がれようとも彼の顔に、首に、腹に攻撃を入れようと諦めずに両手両足を突き出した。
そんな状況が何分も続いた頃、アタリは息切れを覚え始めた。彼の呼吸はいつの間にかたどたどしいものになっており、その額には大粒の汗が浮かんでいた。そんな彼とは対照的にスーツの男性は顔色を一切変えておらず、それどころか発汗すらもしていなかった。男性に腹を蹴られるとアタリはその場に尻もちをつき、そして肩で呼吸したまま彼を見上げた。
「もう終わりか、アタリ君?」男性は言った。「俺はお前に期待していたんだがな。まあ、少しは楽しめたぜ」
何なんだこの野郎は、アタリは思った。こいつもあれだけ激しく動いたというのに、何であんなに
アタリには男性が無敵であるかのように思えた。しかし彼は戦闘中に、男性にある弱点が備わっていることに気づいた。確かにこいつは強い、彼は思った。だがこいつは力で押しているだけで、他のことには一切目を向けていない。言ってしまえば、こいつは脳筋なんだ。
スーツの男性はゆっくりとアタリに近づいていった。来いよ、アタリは心の中で言った。十分近づいて、お前の
「お前には眠ってもらう。俺たちのことは忘れろよ」男性はそう言って拳を握り、それを勢いよくアタリの顔面に突き出した。
アタリは今がチャンスとばかりに目を見開き、拳を避けて地面に転がっていたあるものを手にした。それはビールの空き瓶だった。アタリは瓶を掴んだまま立ち上がるとそれを大きく振り、続けて男性の頭に勢いよく振りかざした。
男性は予想外の反撃によって反応に遅れてしまい、瓶の衝撃を頭に直接食らってしまった。彼はうめき声を上げて頭を押さえ、それに構わずアタリは瓶の割れた部分を彼に突き刺そうとした。
「
不意に背後から別の男性の声が聞こえ、アタリは思わず動作を止めた。見ると、そこには似たようなスーツを着た男性が立っており、彼はアタリに銃口を向けると迷わず引き金に指をかけた。アタリは飛んできた銃弾をものともせずに回避し、銃弾はそのまま真っ直ぐ男性のほうに飛んでいった。
そしてその弾が男の顔面に当たる寸でのところで、男性はそれを右手で受け止めてしまった。手のひらに穴が開き、そこから勢いよく血が
「もう十分だ」七星と呼ばれた男性は言った。「お前の実力と性格、全てが完璧だ。どうやら俺はお前を見くびっていたらしい」それから彼は血だらけの手を差し出して、「俺たちの下で働かないか、アタリ?」
アタリは警戒したまま何も言わずに七星の顔をじっと見つめた。先ほどまで殴り合いをしていた相手が突然謎の勧誘を始めたことで、アタリは困惑をしていた。
「
七星が言うと、大樹という男性は渋々言われた通り銃をしまった。それから七星は続けて言った。
「それでどうだ、アタリ? 俺たちと働く気はあるか?」
「働くって言っても、まずお前誰だよ。ていうか何で俺の名前知ってんだよ」
「おい」大樹が言った。「お前は敬語の使い方すらも知らねぇのか? 初対面の人間にタメ口使ってんじゃねぇ、失礼だろうが」
それはお前もだろ、アタリは思った。
「まあまあ」七星は言った。「確かにこいつの言うことも一理ある。じゃあまずは自己紹介させてくれ。俺は
超能力者。その言葉を耳にするなりアタリは目を丸めた。それに構わず七星はアタリの手を握り、そこでもまたアタリは驚いた。先ほどまで七星の手にあったはずの穴がいつの間にか消えており、それだけでなく瓶による殴打の傷すらも残っていなかったのだ。
「どうなってんだ」アタリは言った。「お前の怪我、何で治ってるんだ」
「あ? お前、超能力について何も知らねぇのか?」
「そもそも超能力ってなんだよ。まさか俺が持ってる力みたいなこと言ってんのか?」
「そのまさかだよ。信じられんな。能力を持ってるくせに今までそんなことも知らずに生きてきたのか?」
その言い草が気に入らなかったのか、アタリは
「まぁいいや。それで何でお前の名前を知ってるかというとな……そもそもお前、柚組が何か知ってるか?」
「当たり前だろ」
柚組は関東で勢力を増している暴力団のことを指す。戦後間もなく正式に設立されたにもかかわらず、柚組という組織は関東のどの暴力団と比較しても権力と知名度、そして実力を兼ね備えていた。過去に何度も暴力沙汰や抗争を起こしていたために、全国ニュースでその名が報道されることもしばしばあった。
「それでその柚組なんだが」七星は続ける。「実は俺に弟がいてよ。そいつ笠木煉瓦っていうんだが、先日のお前の喧嘩っぷりを見て
「じゃあさっきの殴り合いは……」
「その通り。お前がどれほど喧嘩慣れしてるか、どれほど強いか、そしてどれほどヤクザ向きの性格をしているのかというのを調べさせてもらったんだ。いきなり襲いかかって悪かったな」
「いや別にそれはいいんだけどさ。俺はヤクザに入る気なんかねぇぞ。第一ヤクザって反社会勢力だろ? 何で俺がわざわざそんなやつらの仲間入りをしなくちゃならねぇんだよ。しかも
「言い方が悪かったな。仲間入りと言っても正式に加入するんじゃなく、俺たちと一緒に仕事をしてもらうだけだ。いわばアルバイトだな」
「闇バイトか?」
「この際嘘は無しにする、闇バイトだ。と言っても詐欺とか出し子とかそんなんじゃなく、お前のその超能力を使ったバイトだ。待遇はいいぞ、一回の仕事につき最低百万だ」
金額を耳にするなりアタリは胸を
「百万か……」
「それでどうする? 俺としてはオッケーを出してほしいが──」
みなまで言わせずアタリは言った。「やるわ、俺」
それを聞いて七星は満足げに頷き、声を上げた。
「お前ら! 今日から俺たちと一緒に働く日光アタリだ! こっちに来て挨拶しろ!」
七星の言葉に大樹を含むスーツ姿の男性が四人現れ、一斉にアタリに向かって頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
大樹は周りに合わせてそう言ったが、心の中では、何で俺たちがこんなガキに頭を下げなくちゃならねぇんだ、と不満を漏らした。
「ところでアタリ、お前一人暮らしか?」七星が訊いた。
「そうだけど、それが?」
「なら都合がいい。明日お前に柚組の本部に来てもらうが、その送り迎えとして
「は⁉ 何で俺なんすか!」大樹は言った。
「お前ももう三年目だろ。そろそろ後輩を持ってもいい時期じゃねぇか」
「だからって俺は後輩のために運転なんかしたくないんですけど! ていうか本来は逆でしょうが!」
「お前の兄貴分からのお願いなんだぜ? 頼むよ」
大樹は不満そうに七星を見つめていたが、やがて諦めたように言った。
「わかりましたよ。けど俺はドライバー以外ではこいつの世話をしませんからね」
「それは勝手にしろ。最終的にこいつをどう面倒見るかは組長が決めることだからな。じゃあ早速アタリを家まで送り届けてくれ」
大樹は頷き、それからアタリのほうを振り向いて言った。
「よし、行くぞガキ。車は近くの駐車場に止めてあるから、そこまで来い」
「待て、その前にあの七星っていうやつに一つ聞きたい」アタリは振り返り、「最初に俺に空き缶を投げつけたのは誰だ?」
「そいつは確か大樹の仕業だったと思うが」
それを聞いてアタリは笑みを浮かべ、手を挙げて大樹と共に路地裏を後にした。
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