ニ十ニ通目 会議は踊る

 昼休み。各々が昼食を取ろうと話している間も、朝からずっと仕事を続けていた菊花の手が休まることはない。何度花冷が声をかけようと、視線も返さず、なんだ。と返事をするばかりで、取り付く島もない。

「菊花⋯…。おべんと、う。私の…⋯。」

 花冷が何も食べる気配がない菊花に自分の弁当を差し出す。普段の菊花ならば、拝啓の弁当を作ったついでに余った食材を自分の弁当箱に詰めて持ってきているはずだが、拝啓亡き今、恐らくそれはもう用意されていないのだろう。菊花が抑揚なく放つ、いらない。の言葉に花冷はまた眉をひそめる。

 そんなやり取りは、一週間も続いた。菊花の顔は目に見えて窶れ、花冷だけではなく、やっと現場に復帰した入梅も顔を顰めるほどだ。今まで皆が楽しんでいた菓子休憩に、菊花はいつも通り菓子を提供するが、そこに己の分はなく、あの入梅が自分の分を分けようとするほどだった。勿論、菊花は入梅の善意も受け取らず、ただずっと一人でできるデスクワークをこなしていた。


「作戦会議をしたい。」

 三伏が職員達に言う。それは晩夏のこと。あの強さに対する対抗手段、晩夏と晩夏の所属する集団の目的。ここまで来ても、分からないことだらけだ。拝啓がいなくなったからと言って、立ち止まっているわけにはいかない。少なくとも、三伏はそう考えている。三伏の声掛けで、彼等は会議室へと向かった。

「春風さん、議事録を。」

 三伏の目配せに春風はえぇ。と頷く。そうして、ガリガリとボールペンで議題を書き、議事録の準備を進めていた菊花から用紙を奪い取る。菊花の動きが鈍くなっているのか、春風が素早いのか、用紙はあっという間に春風の手中に収まった。花冷が仕事、しすぎです。と菊花にまた文句を言っている。


「結局のところ、俺達は晩夏の目的を知らないんです。」

 三伏が話を始める。晩夏は三伏に無言でQATを去った。三伏にすら話していないということは、他の誰も知るはずがない。三伏は共通認識を再確認する。拝啓は知っていたのかもしれないと向暑が意見を出すが、それならば拝啓が皆に説明せず沈黙を貫く理由がない。晩夏の目的を決定づけるには、あまりにも判断材料が足りない。ただそれは…⋯QAT、少なくとも拝啓の庇護下にいる存在では、決して成し得ないことだということはわかる。

「人殺しがしたかっただけやろ。」

嘲笑うように指摘した早々を三伏が睨みつける。三伏に睨まれようと、早々に悪びれる様子は一切なく呑気に煙草に火をつけている。

「人殺しが目的なら、それこそ関西支部貴方の支部に移動届けを出せばいいのではないですか。」

余寒が早々に反論する。理責め糞鶯。と早々が瞬時に暴言を吐く。険悪になりかけた空気を花冷が切り裂く。

「あの人、が。人を殺す…⋯のは、作業?に見えます、した。殺す、のは、よくない、です⋯…けど、が?仕方なく⋯…に見え、ます。」

三伏が、本当か。と反応する。花冷はその問いを肯定し頷く。晩夏の凶行を目の当たりにし、そしてそれが誰かのためだと気付いた花冷には自信があった。少なくとも、それは自分花冷ではない。自分花冷に似た誰かだと、花冷は感じた。


「どうせ動機がわかれへんのやったら、ちゃっちゃとどう殺すか話し合おか。ジブン、ワイに言うたやろ。ジブンが殺すて。」

 一本目を吸い終わった早々が、二本目の煙草に火を付ける。吐き出された煙に深緑が歳末の服の中へと隠れていく。

「せやけど、ジブンは負けて逃げ帰ってきたんやろ。なっさけない奴やな。」

ワイがやったるで。呆れたような嘲笑するような早々の言葉に三伏が俺が!と咄嗟に口を開く。ジブンが、なんや?有無を言わさず聞き返す早々に三伏が口ごもる。

「まぁええ。ワイは関東に協力するつもりはあらへん。ジブンで落とし前つけんかい。おい菊花。ジブンもや。」

早々が菊花を顎で指す。菊花はチラリと早々を見るが、また手元に視線を移す。どうやら自分のノートに議事録を記しているようで、それに気づいた花冷が没収しようとノートを引っ張っている。

「ほな、二人でどうにかせぇや。あの糞女厳冬呼び戻して稽古つけるでもええ。糞鶯余寒に殺ってもらうでもええ。無策で死んでもワイは知らん。」

 そう言って早々は席を立つ。それについて、藤花や敬具といった早々を慕う面々も会議室を出ていく。

「一度締めますか。あまり、早々さんの言葉を受け止めすぎないように。」

腕時計を確認しながら言う余寒の言葉に、三伏は納得が渋々頷く。作戦会議を開き、晩夏をどうにかしたい。しかし、あの強さの前では自分ができることは何もないのではないかと、錯覚してしまう。そのせいで打開策は見つからず、早々の言った通りの体たらくだ。三伏の表情には悔しさが滲み出る。


 喪失との別離。それは時間が解決するのを待つしかない。⋯本当にそう思う?

 会議の後、菊花は一人階段を登っていた。資料を倉庫へと届ける。それだけの為に。瞬間、ぐらりと揺れる視界。体を酷使しすぎた代償がついに出たのか。ぐらついた視界によって、菊花は足を踏み外す。今は何段目だろうか。もう少しで踊り場だったはず。ならば相当高い位置だ。菊花はぼんやりそう思う。空中に投げ出された体が、迫りくる痛みすらも諦める。

「危ない!」

 痛みが菊花を襲うことはなかった。気をつけなよ、全く。階段から放り投げだされたはずの自分を抱えているのは、前略だった。先程まで菊花は一人で歩いていたはずだ。何故背後に前略が。いつの間に?そうした疑問すら持てないほどに、疲れ切った菊花の瞳はゆっくりと閉じられた。穏やかではない寝息を聞きながら、前略は寝てるだけか⋯…。と安堵の息を零す。

 前略は微笑むように目を細める。それは、自分の腕の中に落ちてきた菊花に向けられている。よかった。前略は心の底から安堵していた。それは、

「おい。今すぐその子から手を離せ。」

背後から、酷くドスの効いた女の声がする。前略が振り向けば、そこに立っているのは白い髪の女。赤い瞳は前略を睨みつけている。

「深緑、誤解してる?」

ボクは転んだ菊花を助けただけだよ。前略は、この女に深緑と声をかけた。深緑は異能の蛇。異能の蛇は、人の姿を持っている。深緑と親しい、ごく僅かしか知り得ない情報を前略は知っていた。しかし、深緑にはそんなことは今どうでもいいようだった。あるいは、その理由を知っているのか。

「いいから菊花を離せ。」

怒りの籠もった深緑の瞳に睨まれようと、前略は余裕そうな薄ら笑いを浮かべている。嫌だと言ったら?

「全力で奪い返す。」

一歩、しっかりと歩み寄ってくる深緑に前略は乾いた笑いをする。きみにそんな権利ある?

「黙れ。オレは菊花の母親だぞ!」

伸ばされた深緑の腕は力強く、前略から奪い返した菊花を大切に抱き締める。乱暴だなぁ。菊花が起きたらどうするんだい。前略のその言葉を無視し、深緑は階段を駆け下りると、仮眠室のある方向へと早歩きで去っていく。

「はは、無視かよ。」

 深緑にやられたのだろうか、たった今前略腕にできた引っ掻き傷から血が滴り落ちる。その血を舐め取り、前略は不敵に微笑む。そうして、菊花が倒れた際に落とした資料を拾い上げ、前略はゆっくりと倉庫へ続く階段を登って行った。

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