十四通目 黒い封筒
*
薄暗い部屋。コンテナのようなトタンの壁は、長年の劣化で錆びついている。隙間から漏れ出る光は、外が昼間だということを示している。
そこに一人。椅子に縛られた青年が座っている。深く目を閉じ、眠っていた青年の目が覚めた。青年も見知らぬ異様な景色。縛られているという異常な状態に、不安げに表情を曇らせる。
「あぁ、目が覚めたかい。」
コンテナの扉が、ギィィと恐怖に震えるように軋み開く。青年の視線の先には、上等なスーツに身を包んだ男が立っている。育ちが良いのか、その立ち振る舞いは美しい。男は青年の視線に気づき、にこりと微笑みを向ける。
「ごきげんよう。俺は…いや、名乗るのは止そう。君が俺を知る必要はないから。」
さぁ、これを見たまえ。男がスーツの胸ポケットから取り出したのは黒い封筒。ペーパーナイフで丁寧にその封を破ると、封筒と同じように黒い厚紙が一枚出てくる。青年は、瞬時にそれを見てはいけない危険なものだと認識した。縛られている中、体全体で精一杯、顔を背ける。だが、しかし。男は乱暴に青年の顎を掴み、青年の自由を奪う。顔の目の前に差し出された黒い紙。目を瞑るよりも早く。黒を飾る金色の文字が、青年の頭に入り込む。青年の頭を強烈な頭痛が襲う。苦悶の表情を浮かべた青年から、消え入りそうな嗚咽が溢れた。
「た……けて……た、……み」
*
「皆さん揃いましたかねー。」
拝啓の間延びした声。広い会議室には関東支部のほとんどが集まっている。厳冬くんは別の仕事があるので、いませんよー。そう言いながら全員の顔を一瞥する拝啓は、ふと目を細める。
「花冷くんもいませんね。」
花冷。それは数年前に拝啓が連れてきた男性職員だ。拝啓曰く、記憶喪失で、本人は己の本当の名前も素性もわからないという。善人である拝啓はそういった花冷を見捨てることなく、関東支部で職員として引き取り保護していた。
「れ、連絡は来ていません……。」
花冷と同じく事務を務めるかしこが拝啓に言う。てっきり拝啓は欠勤の理由を聞いていると思っていたと言わんばかりの顔だ。かしこの言葉に頷いた拝啓がら花冷くんのことを知っている人はいませんかー?と周囲に問う。誰もが顔を見合わせるが、やがて知らないと言う風に各々が首を振る。
「異常異能者の不審死は深刻な問題です。それに伴い、異常異能者集団が暴走しているとしたら止めるのがおれ達の仕事です。」
ですが。拝啓は言葉を続ける。
「大切な仲間が行方不明な今。それを見捨てることもできません。」
一同が深刻そうな顔で拝啓を見ている。その中で敬具が手を挙げ発言をする。
「では、集団を追う班と、花冷さんを探す班。二手に分かれるということで良いですか。」
それなら俺は集団を追う班に……敬具がそこまで言いかけたところで、拝啓がいいえ。とそれを否定する。常に薄く微笑んでいる表情の真意は読めない。敬具は眼鏡を二回直しながら、眉間にシワを寄せ拝啓を睨む。何故です?その声には怒気が混ざっている。
「花冷くんを探すのが最優先です。ただし。非常事態に備え、早々くんと藤花くんは残ってください。」
拝啓は、早々と、いつの間にか関東支部に馴染んでいる藤花に視線を向ける。早々は不服そうな顔をしているが、反対や文句を垂れず黙ってそれを聞き入れた。藤花も同様に、早々が良ければ良いというスタンスで、特に拝啓に突っかかることはない。
「おれも花冷くんを探します。春風くん、花冷くんの行きそうな場所を洗い出してください。余寒くんは、一応花冷くんの自宅の確認を。」
拝啓がテキパキと指示を出す。一同がその指示で動き、会議室から出ていく。
早々が共に行こうとした藤花を先に会議室から追い出す。部屋は、拝啓と早々の二人きりになる。ピリついた静寂。交わらない視線。早々がそれを切り裂く。
「ちゃっちゃといてこましたほうがええんとちゃう。」
低く、脅すような声音。拝啓は怖気づくことなく、早々を見る。黒く、全てを吸い込むような瞳に早々の顔が反射する。拝啓は、一度口を開きかけ、閉じる。そうしてまた一度。決意したように口を開く。
「あと少し、待ってください。」
そう言うて、五年や。早々が低く言い返す。拝啓の視線が下に落ちる。その様子を見た早々は、チッと大きな舌打ちをし、部屋を出ていく。拝啓は一人、暗い部屋に立っている。
「彼を、失うわけには……。」
小さな呟きは、静寂に飲み込まれて消える。
*
「驚いた。これは本当に想定外だった。」
男が青年、花冷の髪を乱暴に掴みながら言う。花冷からはうめき声が溢れる。男の片手には黒い封筒が握られている。その封筒は、いつか晩夏が藤花に差し出した異常異能者集団のものと同じだ。
「まさか君が本当に……何も知らないとは。」
集団の一員である、男の目的は唯一つだった。即ち。関東支部の職員を誘拐し、その職員に情報を吐かせること。事務員ならば、ある程度の内部情報を握っている。それに加え、代表である拝啓のことも探れれば上々。男はそんなふうに考えていたのだが。花冷は記憶喪失だ。自分のこともままならない花冷は、関東支部の重要な情報など何一つ任せられていなかった。同じ事務員のかしこなら別だろうが、男が拐ったのはよりによって花冷だった。
「君は記憶喪失で、おまけに新人。彼にどやされてしまうね。」
男はつまらなそうに黒い封筒をひらひらと揺らす。私、後に…新秋さん…。花冷が辿々しい日本語で、自分の後輩として新秋が入ってきていることを零す。そんなどうでもいいことを今更。呆れたように目を細める男が再び封筒を揺らす。
その黒い封筒は、この男の異能。中の手紙を読んだものを服従させる力がある。集団は、それを異常異能者集団のネットワークへのアクセスコードと偽り、異常異能者達にばら撒いている。全ては、
故に、本来ならばこれを読ませれば、容易に
男は考える。今からでも、もう一人の
「しかし、あの女には何かありそうだ。」
男は再び考える。そもそも、男は最初からかしこを狙うつもりだった。明らかにひ弱そうな女。一目でわかる非力さは、悪い輩には格好の餌食だろう。だからこそ、部下達に失敗したと伝えられた時、違和感を感じた。彼等は理由を深く話さず、ただ失敗したとだけ繰り返し、以降は口を閉ざした。
「たす、けて。こわい、」
花冷の嗚咽に男が視線を向ける。騒がれても面倒なだけだ。殺しておくか。男が花冷の首に優しく両手をかける。
*
「は、はい……。わかっています。お父様……。」
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