十三通目 虹始見

 己の正面と背後で兄弟の妙なやり取りが行われているとは露も知らない拝啓は、立っているのもなんですし。と藤花達をソファへと誘導しようとする。そこへ更に扉が開き、新たな人物がやってきた。

「なんで拝啓が帰ってきてん。」

 その人物は早々だった。その第一声で早速、拝啓に吐き捨てるように文句を放つ。それにより、菊花の眉間のシワが更に濃くなった。

 一方、藤花はというと、今まででは考えられないほどの満面の笑みとなり、ボス!と早々に駆け寄った。その様子はよく懐いた猫のようだ。だが、早々は即座に寄ってきた藤花の頬を殴りつける。そのまま倒れ込んだ藤花を蹴り上げようとした早々の脚を、瞬時に拝啓が横から蹴ることでその暴行を止める。

「早々くん。ここは関東。おれの管轄です。暴力はやめてくださいねー。」

 穏やかだが有無を言わさない声音。拝啓に蹴り飛ばされ痛む自身の脚をチラリと見てから、早々は舌打ちをし、共用のソファにドカリと座る。

「ほんま、帰ってこんでええっちゅうに。」

早々がグチグチと文句を垂れる。それを他所に白露が、早々に殴られた倒れた藤花を手当てしようとした。が、藤花は白露を押し退けるように起き上がると、白露を無視し嬉しそうな表情で早々の座るソファの横に座った。

 菊花は、藤花のその様子を見ながら、どれだけ彼奴のことが好きなんだ。と呆れた目を向けた。

「キミ達に確認をしたいんですが、今回異常異能者集団との繋がりの件。彼は無関係という認識で良いですかー?」

 拝啓の真面目な問い。当たり前やろ。と早々は拝啓を煽るように言い放つ。お前の慧眼も鈍ったものだと言いたげな声音だが、拝啓は早々の煽りを全く相手にしない。極めて冷静に。わかりました。と一言告げる。

「念の為ですが、敬具くん。」

 ムスッとした様子で、名前を呼ばれた敬具が拝啓の元へやってくる。彼等が嘘を言っていないか、確認をお願いします。拝啓の言葉で敬具は不服そうに眼鏡を外す。敬具の黄色い目が藤花と早々を射抜く。


 『虹始見にじはじめてあらわる』それは人の心を見抜く異能。それにより、敬具には如何なる嘘や隠し事も通用しない。だが、普段の敬具は眼鏡を着用し、その異能を抑えている。見えすぎることに良いことなどないと、敬具はよく知っているからだ。無論。他の異能と同様にギフトに通用する異能ではない。故にギフトの思考などは読めず、敬具自身はもっと戦闘に特化した異能が欲しかったと常々考えている。

「彼等の言葉に嘘はありません。そもそも、拷問もはじめから俺にやらせればいいんじゃないですか。」

手柄を立てたい敬具が、眼鏡を着用し直しながらそう零す。駄目です。即座に拝啓が拒否する。その言葉に敬具が不機嫌そうに拝啓を睨んだ。

「俺が心配なのかなんなのか知りませんけど、そうやって、中途半端に身内面するのやめていただけますか、叔父さん。」

 叔父。そう、敬具は拝啓の姉の子息であり、幼い頃から拝啓のことは姉から聞いていた。正義に生きるが、何処か空っぽな男だと。強い力を持った機械的な善良は冷たく恐ろしい。敬具の母は、いつも拝啓のいい話をしなかった。母の嫌悪と例え異能を用いても拝啓の心の内が読めないことが相まって、敬具は拝啓を酷く嫌っていた。早々が来てからは、拝啓を生温いと称し、より一層嫌悪が深まったように感じる。

「いいえ。敬具くん。キミでは役不足なだけですよー。」

呑気な顔をした拝啓。敬具の顔が一段と険しくなる。こういう歯に衣着せぬところも気に食わない。いいや、歯に衣着せられようが気に食わない。結局、どうしようと敬具は拝啓を嫌っている。

 表情がどんどんと険しくなっていく敬具に対し、歳末だけが自席からわかる…と言いたげな視線を送っている。拝啓の元相棒である歳末もまた、拝啓の正義とは相反するをよく知っていた。


「和気藹々としてるとこ悪いんだけどさ。」

 拝啓達のやり取りを静かに聞いていた前略が口を挟む。全員の視線が前略へと向く。前略は、周囲の視線を集めたことを理解し、高らかに宣言する。

「結局この話ってさ。晩夏くんを追うしかないってことだよね?」

オフィス内、特に三伏に緊張が走る。前略がそうだよね?と言いたげに三伏を見る。三伏は意を決したような顔をして、拝啓を呼びかける。呼びかけようとした。のだが、その言葉は、拝啓がパンパン!と手を鳴らしたことにより遮られた。

「おやつ休憩を取りましょうか。」

 拝啓の言葉で菊花が勢いよく動き出す。いくら異能で治したとは言え、病み上がりだというのにその動きには一切の疲労が見えない。敬愛する拝啓の為ならば何でもする。それが菊花の原動力となっている。一方、話を遮られた前略は一瞬だけつまらなそうな表情をする。だがしかし、すぐにいつもの笑みに戻ると、今日は早々さん兄貴について行っちゃおうかな。と甘い香りから逃げるようにオフィスを出る早々達の後を追った。

「今日はいい時間ですから、これが終わったら帰りましょうかー。報告書は後でください。」

 拝啓が全体に、特に三伏を諭すように優しく声を掛ける。三伏は静かにわかりました。と頷いた。

 そのタイミングで、苺がふんだんに使われたタルトを二つ持った菊花が戻って来る。片方は丁寧に人数分に切り分けられ、もう片方は丸ごと拝啓の分として皿に移す。姿に迷いはない。極度の甘党で大食いの拝啓はそれを何の疑問もなく受け取る。

「そう言えば、拝啓。これ……。」

 歳末がこっそりと拝啓に一枚のレシートを差し出す。それはいつぞやの高級ケーキ。結局。このケーキを拝啓が食べることはなかったが、歳末はあの時、向暑と話していたようにこのケーキの代金は絶対に拝啓に請求する気でいた。拝啓がレシートを受け取り、その内容を読む。これは?という問いに歳末は菊花に聞こえないように事情を説明する。

「嫌ですよ、おれ食べてないですからー。」

正論だ。歳末は言葉に詰まる。しかしすぐ、でも菊花の自腹になるところだったんだよ!と小声で拝啓の説得を続ける。菊花をそんなことをするような子に育てた拝啓にもいくらか責任があるんじゃないかと言いたげなジトッとした視線。だが、拝啓は全く動じない。

「で、このケーキは美味しかったですかー?」

拝啓はレシートを手放し、のらりくらりと歳末の説得を躱す。それどころか。中年になり、体重が気になりはじめてきた歳末のお腹を人差し指でぷにぷにと突く。ちょっと!やめてよ!歳末が跳び上がる。そのやり取りに、流石に向暑や入梅が何をしているんだと言いたげな顔を向ける。

「キミも鍛えたほうがいいですよ。」

拝啓が楽しげに歳末をからかう。ぼくはもう前線で戦わないからいいの!と歳末が逃げるように拝啓から距離をとった。拝啓がどうですかねー?と不敵に悪う。

「またおれの隣で戦ってもらうことがあるかもしれませんよー?」

意地悪な声。歳末が反射的に無理!と言葉を放つ。

 歳末と組んでいた時の拝啓の戦闘スタイルは、民間人に多くの被害が出かねないほど強烈だった。そのため、若かりし頃の拝啓は歳末の結界を張る異能に目をつけた。拝啓が歳末を相棒としていたのは、自分の異能が民間人を傷つけないようにという理由。そのため当時の歳末は散々、拝啓に振り回された。そんな過去を思い出し、歳末は身震いする。

「だいたい、もうぼくら四十二なんだから引退しようよ!」

歳末の悲痛な叫びがオフィスに反響した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る