第二話 


「ソラちゃん、何読んでたの?」


 私は、ソラちゃんのおじいちゃんが、持ってきてくれたカステラを一つ頬張る。カステラの下の部分についているザラメが口の中でじゃりじゃり、いった。


「『ドグラ・マグラ』」


 知らない本だった。


「ふーん……」


「自分で訊いておいて何よ? 夢野久作くらい知っておきなさい」


 ソラちゃんが、呆れたような顔をしながら言った。そして、カステラを頬張る。


 一瞬目を輝かせて、すぐに、もう一つと手を伸ばしそうになっていた。


 きっと、好きなやつなんだろうなあ。私は微笑ましく思いながら、ソラちゃんを見る。


 私の視線に気がついたのか、ソラちゃんが手を引っ込めた。


「どうしたの?」


「別に……」


 私がお姉さんっぽいとか言ったせいではない、と思うけれども。そのことで変に意識させてしまっているのならなんだか申し訳なくなってくる。


「そのカステラ好きなの?」


 私が訊くと、ソラちゃんは、少し俯きがちに頷いた。


 なんだ、この子。


 可愛いが過ぎるんだけど。


「食べないの?」


 少しの間の後。


「食べる」


 ソラちゃんは、ひとこと言い、手をそろそろ、と出して、カステラを一つ取った。


「私も、もう一つ食べていい?」


「もちろん」


 じゃあ、お言葉に甘えて。


 私は、カステラをもう一つ取って、かじりついた。


 食べながら、私は、ソラちゃんが、最後の一つとなったカステラを見ていることに気がついた。


 もしかして、私に譲るべきなのか、悩んでいるのだろうか。


「ソラちゃんが好きなやつだし、食べなよ」


「こういうのは、お客様に……」


 お客様。


 その表現に少しむっとなる。


「お客様じゃなくて、お友達だよ」


「お友達……。そうね……」


 少しソラちゃんの頬が綻んだ。


 こんな表情を知っているのは、今のところ学校では私だけ。


 優越感で心が満たされる。


「それじゃあ、お友達の栞ちゃんに訊くけれども、いいかしら?」


 名前を初めて呼ばれたことに少しどきり、とする。


「あんまり進んで訊こうとは思わなかったけれども、お友達なら放っておかない、と思うから訊くわ」


「なあに?」


 私は、笑顔を浮かべて返す。


「あなた……」


 ソラちゃんが本の文字を追っているとき、と同じ目で私の瞳を見てきた。虹彩まで見透かされているような気がして、背中に鳥肌が立つ。


「どうして、笑ってるの?」


「え?」


 私は、首を傾げた。


「いやだなあ、ソラちゃん、私は、いつもニコニコ元気いっぱいだよ!」


 頬に両手の人差し指を当てて、にまー、と笑ってみせた。そんな、私をソラちゃんは、真っすぐに見てくる。


「嘘ね」


「嘘じゃないよ。ほら」


 私は、スマイルスマイル、と自分の頬をもう一度、人差し指でぷにぷにしてみた。


「そういうのが、胡散臭いのよ」


 ため息をつくソラちゃん。


「あなたが本当に笑っているときは、こう笑うのよ」


 ソラちゃんは、口を前歯が歯茎まで剥き出しになるまで開いた。


 その顔は、ただの変顔にしか見えなくて、私は、思わず吹き出してしまう。


「わ……私、そんな笑い方しないって!」


「してるわよ」


 ソラちゃんが、罰の悪そうな顔を浮かべる。


「とにかく! 今日、あなた……栞ちゃんが浮かべていた笑顔は、不自然だったのよ!」


 私は、ソラちゃんがあまりにも大きな声を出すから驚いてしまった。


「そんなことない、と思うけどなあ……」


「そんなことあるわよ。泣きたいなら泣けばいいじゃない。私たち、人間は、感情に嘘をつけるほど器用にできていないわ」


 そう言われた瞬間。


 私の両目が熱を帯びる。


 ソラちゃんに心配をかけたくなくて。


 重たい友達だと思われたくなくて。


 嘘をついていた。


「私、嘘をつかれるのが大嫌いなの。覚えておいて」


 私の頭を撫でながら、ソラちゃんが慈愛に満ちた表情で私を見つめてくれた。


 ソラちゃんが私のもとへと、這い寄ってくる。


 私は、ソラちゃんの胸に顔をうずめ、声を上げて泣いた。


 そんな私を、ソラちゃんは、私が泣き止むまで優しく抱きしめてくれた。


 私は、このとき、生まれて初めて、打算じゃない人の優しさというものを知った気がした。

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