第20話 いきなり色々距離が近いんだ

「かっ、河瀬っ……」

 名前を唱えてみると何だか恥ずかしい。

 顔が熱い。

「良く出来ました」

 そう言って河瀬さんは俺の頭を撫でた。

 そうされるとドキドキしてしまう。

「あっ、河瀬。恥ずかしいからっ……やっ、だ」

 これ以上されたら何かがいけない気がする。

 河瀬さんは、「ごめんなさい」と言って俺の頭から手を放す。

「一ノ瀬君が可愛くてつい」と河瀬さんは言う。

「かかかっ、可愛いって。からかわないで下さい」

「からかって無いよ。本当に一ノ瀬君は可愛いです」と河瀬さんはニコリ。

「ううっ。あ、河瀬。河瀬も敬語、気を付けて。ため口でって言っただろ」

 その場の恥ずかしい空気を誤魔化す為にそんな事を言ってみる。

「あ、ごめん。つい、本当に癖で。気を付けるね」

 河瀬さんがチャーミングに笑う。

「お、俺も、出来るだけ名前とため口、気を付けるから」

 そう言うと、河瀬さんは、「うん。お互い少しずつ、だね」と言う。

 俺は、うん、と頷いた。

 河瀬さんはいつから手に持っていたのか、眼帯を付け始めた。

「あ、河瀬。かっこいいから眼帯しない方が。そのままの方が良い」

 金の目の河瀬さんはとびきり美しい。

 正に人間離れした美しさだ。

 そんな河瀬さんをもっと見ていたい。

「眼帯を付けていないと吸血鬼の本質がもろに出るんです。血が欲しくて仕方なくなるし。明るい所もダメだから」

 諭すように言う河瀬さん。

「それに、吸血鬼である自分が嫌いなんだ」

 そう悲しい台詞を言いながらも河瀬さんは笑顔を作る。

 それが何だか胸に痛く響いた。

 こんな河瀬さんを俺は見ていられない。

 凄く切ない。

「吸血鬼でも、好きだから」と言った後で焦って「勿論、友達として」と付け加える。

「ありがとう」

 河瀬さんが微笑んだ。

 さっきの笑顔とは違い、まるで花が咲いた様だ。

 ほっとした。

 河瀬さんは眼帯を付けると部屋の電気を付けた。

 眩しい。

 俺は瞬きをした。

 目が明るさに慣れてくると、部屋の中がはっきりと見えた。

 壁に四角い時計が掛かっている。

 その時計の示す時間を見て俺は驚いた。

 随分と遅くまで河瀬さんの部屋にお邪魔していた様だ。

 め、迷惑だったよな。

 こんな時間まで。

 そう考えたら居ても立っても居られない感じがした。

「あの。俺、もう帰ります。遅くまでありがとうございました」

 さっと、河瀬さんに頭を下げる。

 河瀬さんは慌てた様子で、「そんな。こっちこそ遅くまでありがとう。ごめんね。色々」と言う。

 俺は首を振った。

「じゃあ、帰る」

 俺はソファーから立ち上がる。

「あ、待って」と河瀬さん。

 何だろう、と思っていると「一ノ瀬君は今、スマホ持ってる?」と河瀬さんが訊いて来た。

 それならパンツのポケットに入っている。

「はい」と俺は答えた。

「良かったら、何だけど、連絡先、交換しないかな?」

「え」

 俺は驚く。

 家族以外の誰かと連絡先の交換何てした事が無かったから。

「あっ、あ……河瀬が良いならっ」

 パンツのポケットからスマートフォンを取りだしてそれを握りしめる。

 河瀬さんは笑って「今、僕のスマホ持って来ます」そう言った。




 無事に河瀬さんと連絡先を交換できた。

 凄く、凄く嬉しい。

 俺は明日死んでも良いかも知れない。

 にんまりとしている俺に河瀬さんは言う。

「もし良かったら、だけど。これから一ノ瀬君の夕飯、僕が作ってもいいかな」

 びっくりした。

 そんな事言ってくれる何て思ってもみなくて。

 俺は、ただただもじもじとしていた。

「今まで一ノ瀬君に料理を作ってもらってたからお礼もしたいし。僕に出来る事と言えば料理くらいだし。それに一ノ瀬君にはちゃんと栄養取ってもらわないと。一ノ瀬君が健康じゃ無かったら僕は一ノ瀬君の血を吸えないから」

 そう河瀬さんは言う。

 俺は引っ越しの片付けの時に頂いた河瀬さんのパスタを思い出した。

 あれはほんとに美味しかった。

 あんな料理が毎日食べられたら。

 それも、美しい河瀬さんの手によって作られた物だ。

 俺は唾を飲み込んだ。

「そういう事なら……お言葉に甘えようかな」そう俺が言うと河瀬さんは、にこりとして、「じゃあ、これももし良かったら何だけど。これからは夕飯、一緒に食べましょうか」と誘う。

「え、いいの?」

 俺は大きく目を見開いて河瀬さんを見る。

「はい」と河瀬さんは、こくりとする。

「よ、よろしくお願いします」

 嬉し過ぎる。

 河瀬さんと一緒に食事だなんて。

 この人と食べる料理はさぞ美味しいに違いない。

 いや、人じゃないのか。

 そんな事はどうでもいい。

 家族以外の誰かと食事何て。

 まだ、大学では友達がいないからそんなリア充、すっかり諦めていた。

 そんな俺に、こんな日が訪れる何て。

 ああ、神様はどうやら本当に存在するらしい。




 河瀬さんに見送られて俺は自分の部屋へ帰った。

 部屋に入ると俺は直ぐに寝室に向かい、ベッドにダイブする。

 そして今日の河瀬さんとの出来事を思い出す。


 何だか色々凄い事になったな。

 けど、河瀬さんに近付けた感じがして良かった。


 じんわりと幸せを噛みしめる。

 深いため息を吐いたその時。

 パンツの中のスマートフォンが着信を告げた。

 誰だろう、とスマートフォンの画面を覗くと河瀬さんだった。

 急いで電話に出た。

「こんばんは」と言う河瀬さんの声。

 俺は、「こ、こんばんは」と焦りの見える声で答えた。

 電話の向こうから河瀬さんが、ふふふっ、と笑う声が聞こえる。


 ああっ。

 至福。

 河瀬さんは、やっぱり声も良いな。


「今日は色々、本当にありがとう。また明日ね。秋君」

「え」

 下の名前、呼ばれた。

 俺が返答にまごついていると、「じゃあね」と言って河瀬さんは電話を切った。

 スマートフォンを耳に当てたままフリーズする事数分。

 俺は、ガバッと布団の中に潜り込んだ。

 そして、そっと目を閉じる。

 そうしてつい笑った。

 そのまましばらくニヤニヤしていた。

「はぁっ……」

 何だか急に凄く眠たい。

 まだ今日の大学の課題をやっていない。

 でも。

 ちょっとだけ。

 少しだけ眠りたい。

 

 気のせいか、耳元で河瀬さんの声が聞こえた気がした。

 俺の名前を呼ぶ声。


 秋君。


 そう呼ぶ声。


 ああ、幸せ。


 俺の口元は緩むのだった。





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