💫❄️4🎅💫

 バイト終わりにスーパーで買い物してアパートに戻ると、珍しくアキオが先に帰っていた。台所から居間をのぞくと、アキオはテーブルで頬杖をついて、何もせずただぼんやりと窓の方を見つめている。


「おかえり。今日、早かったんだね」


「おう」


 扉越しに話しかけると、朝と同じぶっきらぼうな返事が返ってきた。

 気まずいなぁ。

 心の隅っこでそう思いつつ、買ってきた食品を冷蔵庫に詰めながら話しかけ続ける。


「今日ね、新人の男の子からお菓子もらったんだ。高級なケーキ、なのかな。個包装されてるし絶対高いと思うんだけど全員にどうぞって配ってたんだよ。しかも僕、お世話になってるからって二つもらってきちゃって。アキオも一緒に食べよ」


「おう」


「そう言えばその男の子、僕の一つ下なんだって。おとなしい子なんだけど仕事もできるし礼儀正しい子でさー」


「……おう」


「しかもその子、パソコン使えるの! イマドキ珍しいよねー。僕なんてキーボードとか全然触れないのに、その子ブラインドタッチ? だっけ。前日のお店の売上表、ぱぱっと作っちゃうんだよ。一ヶ月センパイなのにすぐ抜かされちゃいそうでちょっとこわいなぁ……。ね、アキオ?」


 アキオの返事が、急に聞こえなくなった。

 もしかして、疲れて寝ちゃった?

 お盆に貰ってきたお菓子とお茶を乗せて、部屋の引き戸を開ける。


 アキオは眠ってなんかいなかった。

 ゆったりと僕の方を向いて、アキオが僕の前に立つ。


 日暮どきの薄暗い部屋の中、アキオの顔は、かげってよく見えない。


「……アキオ?」


 アキオは、何も答えなかった。

 黙ったまま、突然、僕の腕を強い力で掴んだ。


「え」


 何が起きたのか、僕には一瞬、分からなかった。

 掴まれたまま後ろに押されて、気がついたら自分の身体が背中からあっけなく倒れてしまっていた。


 驚いてとっさに目を閉じる。


 暗転から、お盆と湯呑みがゴトンと落ちた音。

 畳に叩きつけられた自分の身体の鈍い音と衝撃。痛み。


 しんと音が静まって、おそるおそる目を開けると、アキオの顔がすぐ目の前にあった。


「ごめん。やっぱオレ、ムリだわ」


「アキ……っ……!」


 息が、熱い。


 嫌と言うほど、すぐに分からされる。


 欲に塗り潰された男の人の吐息。


 首筋にかかる湿った息。

 大きい手のひらが胸を撫で回すように這う感覚に、甘い痺れが否応なしに全身に疾る。


 そうだよ、僕。

 忘れるなんて虫が良すぎる。思い出せ。


 お金で返せないならカラダで返す。

 最初に僕自身が望んだ事だったじゃないか。


 死にかけだった僕を、アキオは拾ってくれた。

 一年も僕を自分のアパートに居候させて、食事代まで工面してくれた。

 その上でずっと僕のために貯金を切り崩してまで生活に当ててくれていた。


 そんな大金をたかが一ヶ月のバイト代で全部返せる訳がない。


 アキオの人の良さに甘えてできなかった事を今、するだけ。

 前の職場みたいに——お客さんの相手をしてた時みたいに、悦ばせるだけ。


 大丈夫、ちゃんとできる。


 なのに、なのにどうして——。


「……ユキ」


 アキオが顔を上げて、ハッと僕を見る。


 僕は、泣いてしまった。


 どうして、涙なんか出るんだ。

 分からない。泣きたくない。

 なのに、僕の意思とは裏腹に涙は勝手に溢れ出てしまう。


 そんな僕の姿にアキオの瞳が激しく揺れ動く。


「クソっ!」


 アキオは僕の腕からぱっと手を離して、自分の太ももを握り拳で強く殴った。

 そうして歯を食いしばって、静かに立ち上がる。

 その時のアキオの顔は、僕が今まで見てきたどんなアキオよりも、ひどく辛そうで、痛々しかった。


「今日、車で寝るから」


 そう息の詰まった早口で言って、アキオは僕に背を向けた。


「まって……。まってよ、アキオっ!」


 必死に呼び止めてもアキオは振り向かない。

 とうとう外に出て行ってしまったアキオは、二度と戻ってこなかった。


「なんで、なんでだよぉ……」


 重く閉ざされた玄関扉に訴えても、言葉は返ってこない。


 僕のせいだ。

 僕が、傷つけた。


 違う、違うよ。大丈夫なんだ。

 なのに、どうして僕は肝心な時に限って間違えてしまうんだ。


 どうしようもない胸の痛みに、憎い涙がまたこぼれ落ちた。

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