第3話 イスキレオ機関

「おーい、シーナくーん!」

 風変わりな男が後ろを振り返り、手を振って誰かに合図をしていた。

 その合図を受け取って、白いローブと仮面を身につけた長身の人が近づいてくる。

 ……この人からも、音を感じない。まるで空気と同化でもしているようだった。

 規律正しい風変わりな男と、少し雰囲気は似ているけれど、どこか無機質で隙がない。なにより、目元だけが開かれた仮面をつけていて、これ以上の情報が得られない。



 「お呼びですか、司令官」


 「やぁ、シーナ君!久しいねぇ。相変わらずお堅くて!元気そうでなにより!」


 「お久しぶりでございます。司令官も、馬鹿さ加減がお変わりないようで」


 「馬鹿なんてひどいね!僕は立派にお役目を果たしているというのにぃっ!」


 「お役目……ですか。国からの伝達も無視し続けている上に、こんな辺鄙な所でどのようなお役目があるというのでしょう……?」


 「……こっ、これにはね、立派な大義名分が……っ!」



 ……なんなんだこの二人のやりとりは。

 観察していてよくわかった事は、仮面の人はきっと今、ゴミでも見るように上司である司令官を見下している。


 言い訳も叶わない司令官は、小さくなっていた。

 どちらが上の立場なのかわからないようなこの茶番は、この二人の間にある『信頼関係』を感じさせた。

 

 司令官は私のほうに振り返り、私をじっと見つめ、話を進める……。



「それではシーナ君、イスキレオ機関に戻って、この子を救護班に見せてやってくれないかな。検査もお願いしておきたい……。その後、僕の部屋に連れて来てもらえる?その頃には僕も戻っているだろうから」



 今までの司令官には感じられなかった真面目な口振りは、私を少し緊張させるものだった。



「承知しました」そう言うと、シーナは私を軽々と抱き上げ、司令官より一歩下がった。……ここでわかった事は、シーナが女性だったということだ。声も中性的で、男性を思わせるほどの長身で……初見で気づく人はいないように思う。


 司令官はローブの中から短剣を取り出し、空間を切り裂いた。

 目の前の光景に、驚くところではあるはずだけど……今の私にその余裕はない。


 どうやら切り裂かれた空間は、こことは違う場所に繋がっているようだった。



「それでは司令官、失礼します」



 軽く会釈をしたシーナは、司令官を背にし、裂けた空間へと歩き出した。私は少し体を起こして、手を振っている司令官を見つめた……。


 空間に入ると同時に裂目は消えてしまい、どこかの施設のような場所に着いた。

 目の前には扉があり、見計らったように老婆が出て来る……。老婆は目が見えないのだろうか……こちらを見ることもなく、私たちを奥の部屋へと招き入れた——。



「シーナ、元気そうだね。ここにくるのは半年ぶりぐらいかねぇ……」


「ご無沙汰しております。マリーナ様もお元気そうでなによりです」


 シーナの声色に、少し柔らかさを感じた。先ほどの司令官に対する態度とは雲泥の差だ。


「なんじゃ、わりと元気そうではないか。どれ、手を見せてみろ。」



 マリーナというこの老婆は目が見えていないはずなのに……全てを見透かされている気がして顔が引きつってしまう……。


 血まみれになっていた私の手を、緑色の何かが包み始め、色々な破片が落ちていき、手は元の形を取り戻していく——。

 これが世に聞く、治癒術というものなのだろう。

 大きく分けるとこの世界には、魔術と治癒術がある。私も詳しくは知らないけれど、治癒術を扱える人がごく僅かだということは、誰しもが知っていることだった。


 治癒術を施した後だったからなのか、マリーナ様は脚から力が抜けて、地面に崩れ落ち、手をついていた。すかさずシーナがマリーナ様の背中を支え、ゆっくりと椅子に座らせる。



「おぬし、ニライカ一族の者であろう……?」


「……えっ、ニライカを知っているの……っ!?」



 塔から解放されて、私が初めてしっかりと言葉を口にした瞬間だった。

 その言葉を聞いたシーナは、私に向かって睨みをきかせていた。



「……言葉遣いには気をつけて下さい」



 怒っている……のかまではわからなかったけれど、冷たくそう言い残し、シーナはそのまま黙り込んだ。その空気に緊張を隠せない私に、マリーナ様は構わず話を続けた。



「ワシも多くを知っているわけではないが……おぬしの血は、ニライカ一族の特徴そのものでな。古い書物に記されている物の中では、他に類を見ない。ましてや、ニライカ一族を実際に眼にした話など、今まで聞いたこともない……。記憶のないぬしには悪いが、ワシが教えてやれることはほとんどないじゃろう。期待をさせてすまぬな……」


 私の置かれている状況が、あの塔の時とあまり変わっていないことに、憤りを感じるのが正直なところだけど……マリーナ様の言葉に、なにか救われるようなものを感じた。



「ワシの知っていることは、ぬしの体力が戻った頃にでも話してやろう……。さて、オルフェルトの頼みで、今からぬしの身体について調べねばならぬが……ぬしにとっても利があるはずじゃ。さっそく始めるとしようかのぉ。悪いがシーナ、手を貸してくれ」



 その身体検査(?)への拒否権は私にはなかったようで、すぐさまマリーナ様の手が私の頭に触れ、緑色のもやに包まれた。

 座っている私の右手にはシーナの手が繋がれている……。シーナの様子を伺うと、なにかに耐えているようで、繋がれた手からは汗が滲んでいた。


 そしてしばらくすると、もやは消え、シーナも私から手を離した。



「シーナ、よく耐えたのぉ。随分と成長したのじゃな、喜ばしいことじゃ。……結果は後ほどオルフェルトに届けておこう」


「恐縮です。ですが、お言葉が励みになります。ありがとうございます。それでは私達は失礼します」



 シーナの声色が、ひっそりと明るさを増す。案外、可愛い人なのかもしれない。

 褒められた感情を、隠しきれていないシーナに連れられて、私達はマリーナ様の部屋を後にした。


 手のお礼ができなかった事を、後悔しながらとぼとぼと歩いていると、いきなりシーナが振り返ったので、抱きつくようにぶつかってしまった。



「このまま司令官の部屋まで……。あ、えっと……、先ほど塔に居らっしゃった馬鹿そうな男性が司令官なのですが、……あ、司令官というのはここの……」



 シーナが焦りながら色々と説明をしてくれているけれど、司令官が風変わりな男のことで、司令官が偉い人だということも、私は理解している。

 事細かに説明を続けるシーナは、心底真面目な人だ。恐らくマリーナ様の『記憶のないぬし』という言葉を気にしてくれているのだろう。

 ……そういえば、記憶を失っていることを、私は誰にも話していないはずだけど……。マリーナ様は、いったいどこまで見えているのだろうか。



「記憶の一部が抜けているだけで、だいたいのことは分かります……。」



 私がそう言うと、シーナは納得し、何かを考える様子で歩みを続けた。



「司令官の部屋へ行く前に、身を整えましょう——」



 独り言のようにも聞こえたシーナの言葉に、私は返答する事なく、ただ後をついて行くだけだった——。

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