ウイルス

 翌月に迫った文化祭。

 その話し合いの場にあっても、文乃の存在感はひときわ目立っていた。


 この2年C組は出し物としてお化け屋敷を予定しており、その話し合いでも当たり前のように彼女が場の中心として話し合われている。


 だが……僕はそんな光景を見ながら、全く違うことを考えていた。

 

 昨日の資料室での出来事。

 

 あの後、精神的な疲労のせいだろうか、気分の悪さを訴える僕に彼女はその場に横になるよう促し……自分の膝を枕にして僕の頭を乗せた。


 そして、恥ずかしさと彼女の膝の感触で動揺している僕に構わず、自分のハンカチで僕の額の汗を何度も拭いながら、バッグの中から出したスポーツドリンクを飲ませてくれた。

 その表情と雰囲気は、小さい頃に死に別れた母を思い出すようで、僕はそのまま眠ってしまったのだ。


 そして目が覚めたら、驚いたことに文乃の自宅のベッドで寝ていたのだ。


 部屋の中は海岸と、赤や青の屋根の家が原色で色鮮やかに描かれているポスターが貼られており、ベッドの上には外国の可愛らしい人形が4体ほど並んでいる。

 それと共に仄かに香るラベンダーの穏やかな香りが、張り詰めた心をほぐしてくれる。

 そして目立っていたのは壁一面の巨大な本棚とそこに並んでいる、まるで大学の書庫を彷彿とさせるような専門書。

 見ると、細菌学や生物学に始まり、医学書まで並んでいる。

 なんでこんなものが……


 ポカンとしながら見ていると、ノックの音がして返事をすると制服姿の文乃が入ってきた。

 手に持ったお盆には水と、湯気の立ち上るスープがあった。


「体調はいかがですか? 気分の方は……」


「有難う、もう大丈夫。かなり落ち着いた」


 そう答えると、文乃はホッとしたように頷いた。


「良かった。顔色も凄く悪かったので、心配してたんです。久々の人間の生き血だったので、興奮してしまって……後、私の唾液を沢山飲んでもらった後で、血を吸ったのもいけなかったかもです。お陰で私も酩酊してしまい、気分良くなりすぎちゃって、もしかしたらちょっとだけ吸いすぎたかも……」


 そう言うと、文乃はすまなそうな表情で小さく頭を下げた。

 口調と内容のギャップにクラクラしてくるが、そのためにさっきの異常な経験が夢じゃなかった事を実感させる。


「今後は気をつけます。先生には末永く健康で居てもらわないと……。あ、これオニオングラタンスープです。先生、よく食べるって言ってましたよね? お店には遠く及ばないけど……どうぞ」


「ありがとう……所で、ここは君の部屋だろ? ここまで君1人で運んだのか?」


「はい。誰かに見つからないかヒヤヒヤでしたが、物陰に隠れながらやり過ごせました」


「だけど僕を連れて、って簡単に言うけど、そんなの運動部の男子でもきつくないか?」


「それはご心配なく。ウイルスの影響でしょうか、実は私の筋力は男子よりも多少あります。先生お1人を背負いながら家に戻るのはさほどの事ではないです。あ、母は今夜は帰らないのでご心配なく。追々先生の事は紹介しようとは思ってますが」


「今……ウイルス、って言ったけど……え? 君は何かの……病気が」


「いいえ。これは私が血を吸うようになった事とも関係してるのですが、私の体内にはウイルスが存在します。それが何なのかはわかりませんが。そのために生きた人の血液の成分を体内に入れないと、極度の飢餓感の後に死亡します。いわゆる飢え死にですね。身体機能がほんのちょっと高いのも、そのウイルスが筋肉に影響しているせいです。多分、この目も……母もそうなので。他にも色々ありますが、お疲れでしょうし追々お話ししますね」


「君は……吸血鬼なのか」


「伝承に出てくる所謂吸血鬼と呼ばれる存在も、きっと私と同じ症状を持っていたのでしょうから、広く言えばイエスです。でも、人を殺したり危害を加えたりはしませんが。後、十字架もニンニクも聖水も大丈夫です」


 そう言うと薄く微笑みながら「もちろん日光も平気ですよ」と言った。


 ウイルス……

 そんなウイルス、当然ながら聞いた事が無い。

 そうだとしてもそうでないとしても荒唐無稽にも程がある。


 文乃はベッド傍のサイドテーブルに水とスープを乗せたお盆を置いた。


「さ、どうぞ。ごゆっくり」


「有難う、もう体調も良くなったから食べ終わったら失礼するよ。さすがに教師が生徒の家に居るのは色々とまずいからね」


「すいません、大した事が出来ず……よければお送りしましょうか?」


「いや、流石に生徒に送ってもらうわけには行かないだろ」


 苦笑いしながらそう言うと、内心(僕にとっては君が一番危険だよ)とも思った。


 それからスープを頂き、気分も幾分落ち着いたので文乃にその事を話して、帰ろうとした時。

 彼女は何かを思い出したようにリビングに行き、やがて一枚の髪を持ってきた。


「これをどうぞ。私たちの契約書です」


 契約書……確かにさっきから何度も彼女は「契約」と言う言葉を使っていたが……


 見ると、そこにはパソコンで書かれたいくつかの条項があった。


「すでにご存知とは思いますが『甲』は先生。『乙』は私です」


 ……いや、知らなかった。

 教師も案外世間知らずなんだよ、むしろその歳でこんな契約書を作れる事が驚きだよ……

 そう思ったが、口には出さずに目を通した。


 甲が僕で、乙が文乃ね……


 ・甲は乙に日に二度、昼と夕に血を与える。拒否については、事故や長期の旅行、生命の危機に瀕する病気の際は可能。

 ・代わりに乙は甲の生活における各種補助や支援を行う。

 ・乙は甲の生命、健康の保証を必要時には手段を選ばず行う。

 ・甲乙お互いのプライバシーに過度に干渉しない。※ただし、必要時は除く。

 ・甲乙共に秘密は厳守する。破った場合は相手の要求する罰則を受け入れる。

 ・乙の何らかの都合により遠方への外出が生じ甲の同行が必要な際、乙は甲に旅費や食費を初めとする各種費用を補償する。

 ・契約の破棄は、下記の条件のいずれかによる。

 1:甲乙いずれかの死

 2:乙からの契約破棄の申し出を甲が受け入れる。

 3:甲乙いずれかの裏切り行為による重大な損害が生じた


 ※なお、必要時契約書への内容の追記は甲の同意あれば適時行われる。


 目を通したが、思ったよりもビジネスライクだった。

 ただ、所々に「必要時は除く」や「いずれかの死」「相手の要求する罰則を……」と言った物騒な言葉はあるが……


「あ、すいません。ちょっと怖い言葉が書いてありますよね。契約書なので、想定される事態への決め事を書かないといけないのです。だからこんな風になっちゃいました。なので、あまり気にしないで下さい」


 にこやかな表情で話す文乃の顔をまじまじと見た。


「こういう契約書が必要なのか?」


「う~ん、契約って物と物を決して離れないようにする楔、って言う意味もありますよね? なので、個人的に好きなんです。何よりこうやって書類にしておけば、曖昧になりがちな現実を理解しやすいじゃないですか。……先生が」


 現実か……

 そう思いながら契約書を見ているとふいに資料室で彼女が言った「唾液を流し込んだ」と言う言葉が浮かび、心臓が大きく音を立てた。

 あれは……ひょっとして。


 いけないと思いながら、文乃の唇に目が向いてしまう……


「……どうしたんですか、先生? では、明日からよろしくお願いします。今日は色々有難うございました」


 文乃の言葉を背に受けながら、僕は彼女のマンションを出た。

 秋の風は仄かに涼しく、僕の火照った頭や身体を覚ましてくれる。


 これからどうなるんだろう……

 だが、僕は彼女に完全に首根っこを抑えられている。

 彼女が遺書を残して……もし自殺なんかしたら、仮に無罪を証明できても文乃の言うとおり教師としての僕は死ぬ。

 重大なスキャンダルの渦中に居た教師をわざわざ採用する学校など無い。

 運が良くて、どこかの予備校に拾ってもらえるかも知れない、と言うくらいだ。


 まして、捏造とはいえ写真まで……

 確かに文乃の言うとおり、僕には隷属以外の選択肢は無い。

 もうこのまま進んでいくしかない……


 深く息をついて彼女のマンションを見上げると、窓に文乃らしき影が映っていた。

 その影は僕の方を見ていたように感じられたが、やがてカーテンが閉まり完全に見えなくなった。

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