日本人の移動手段は、羽になった

まなか

第1話 救助を待つ人がいる?

美鈴は、車を洗っていた。

昨日は、嵐だったから、窓ガラスも車体も汚れている。

常に乗るわけではないが、いつでも乗れるように整えておく。

車の点検は、山間に一人で住む美鈴の日課だ。


羽をつけたら、今日も元気に行ってきます。


この標語が毎朝流れるようになって、どのくらい経つだろう。

美鈴は、バスの時間を気にしていた日々を懐かしく思い出す。

田舎の通学の足に、山間を走る路線バスがなければ、美鈴の高校生活は成り立たなかった。

美鈴が三年間乗ったバスが廃線になって、どれくらい経つだろうか。


今の子は、バス停もバスも知らないんだよね。

美鈴の子どもの頃は、成長に合わせて自転車をサイズアップをした。

今の親は、子どもにの成長に合わせて羽を変えていく。

山間部の多い日本で、山登りを懐かしむのは老人だけになる日もそう遠くないだろうと、美鈴は思う。


羽が発明されたとき。

日本人の足腰は確実に退化すると懸念されていた。

確かに、地上を足で移動する時間はめっきり減った。

日常の中に足腰を鍛える機会は、意図して作らなければないかもしれない。

羽の体重制限を守らなかったために落下事故が起きたことがあり、肥満についての日本人の意識は、年々高くなっている。

羽をつける前の体重測定は義務付けされるようになった。

ダイエットしなくては、と言いながら、毎日、酒とツマミを買い漁るような生き方はもう下火になっている。


なんやかんや羽を使うことで問題は起きるけれど。

羽の便利さは、日本人を虜にした。

美鈴にとっても、羽の発明はありがたいことこの上ない。

羽があるから、田舎の実家に住み続けられる。

美鈴にとって、実家は帰るところで住むところ。

バスが廃線になってからは、車で行き来してきた。

車の運転が不安になる前に羽が発明されたことで、美鈴は、片道一車線ない山道を車で運転しなくて良くなった。


車は維持費がかかるから手放したという人もいる。

田舎から都会に住まいを変えたことで車を手放す人は、美鈴の子どもの頃から少なくなかった。

今は、田舎でも車を手放す人は多い。

車に乗る習慣がない人には、最初から車を買うという選択肢が存在しないらしい。

車のように置く場所に困らない点も、羽が爆発的に普及した一因だろう。


羽が普及した後も、美鈴は、車を手放さなかった。

維持費はかかるが、古くなれば買い替えている。

移動手段が羽一つだけになったときに。羽が使えなくなったら?

羽社会で車を持つことは、美鈴なりのリスクマネジメントだ。


空飛ぶ車の未来が実現するよりも早く、日本人は新しい移動手段を発明した。

それは、羽を生やすこと。

羽は、自転車のように、一人での移動に最適。

荒天では難しいが、晴天や曇天では、飛行機よりもヘリコプターよりも小回りが利く。

少子高齢化により、廃線が相次いでいた電車やバスに代わる移動手段として、道路が無くても移動でき、タクシーよりも割安だとして、羽の試験的運用が始まってから五年と経たぬまに、羽は全国区へ。

日本人は、羽という機動力を手に入れた。

残念なことに、羽は、日本の犯罪も増やした。

犯罪者の空からの来週に備え、スノードームのように家を半円で覆っていない家の方が珍しくなっている。


車を洗い終え、腰を伸ばした美鈴の目の前に青い風船がふわりふわりと落ちてくる。


珍しいものを見たと美鈴は思った。

羽が普及して以来、ヘリウムガスを入れた風船の使用は屋内限定になっている。


風船には、手紙とクタクタになったぬいぐるみが括りつけられていた。

昨日の嵐で飛ばされていたのだろう。

ぬいぐるみは、風雨で汚れていた。

風船が地面に着くのを待っていた美鈴は、ぬいぐるみに触らないように、手紙を読む。


タスケテ ソウナンシタ


救助を求める文面を見た美鈴は、場所のヒントが書いていないか、と手紙を裏返す。


何も書いていない。


手紙と一緒に風船についているぬいぐるみには?


美鈴は、ぬいぐるみをじっくり観察した。


ぬいぐるみについている土は、汚れではなく、わざと付着させたものでは?


美鈴は、急いで家の中に戻る。

一人で山間の実家に住む美鈴に、ご近所さんはいない。

美鈴ができることは、救助を求める人の居場所をいち早く探して、救助要請を出すことだ。


食べ物、水、救助隊が目印にできるものと地図をリュックに詰めた美鈴は、羽を頭に付ける。


「羽をつけたら、今日も元気に行ってきます。」

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