第9章:和平への道

 1916年9月、パリ。


 原川は、フランス外務省の極秘会議に招かれていた。


「マタ・ハリ夫人、お待ちしておりました」


 迎えに出たのは、フランス外務省極秘工作部のピエール・デュボワ。実在のマタ・ハリの処刑に関わった人物の一人だ。


「お招きありがとうございます」


 原川は優雅に会釈する。深紅のシャネル製スーツに身を包み、胸元にはティファニーの最新作、ルビーのブローチが輝いている。


 応接室には、フランス政府高官たちが集まっていた。全員が、疲れの色を隠せない。


「では、始めましょうか」


 デュボワが切り出す。原川は一瞬、深く息を吸った。


(ここからが正念場)


「先日、スイス経由でドイツ側から、ある提案がありました」


 原川の言葉に、全員が身を乗り出す。


「具体的な内容は?」


「和平交渉の可能性です」


 静かな声が、重苦しい空気を切り裂く。


「ドイツ側が、和平を?」


「ええ。もちろん、表向きの提案ではありません。水面下での打診です」


 原川は、慎重に言葉を選びながら説明を続けた。実在のマタ・ハリは、このような機微な情報を扱う際の配慮に欠けていた。だが今の彼女には、歴史家としての冷静な判断力がある。


「しかし、信用できますかな?」


 年輩の大臣が疑問を投げかける。


「私にも、同じ疑問がありました」


 原川は、さりげなく切り札を切る。


「ですが、これをご覧ください」


 彼女は一枚の暗号文を取り出した。現代の暗号技術を応用して作成した、オリジナルの暗号だ。


「これは……」


「ドイツ軍部内の機密文書です。彼らの本音が記されています」


 高官たちが資料に目を通す。表情が、徐々に変化していく。


(歴史を知る者の強み。私は、彼らが何を求めているのか、よく理解している)


 実在のマタ・ハリは、このような重要な局面で致命的なミスを犯してしまった。しかし今の彼女は、より戦略的に、より慎重に動いている。


「マダムの功績は、計り知れません」


 デュボワが感嘆の声を上げる。


「いいえ、これはほんの序章です」


 原川は、さらなる提案を始めた。和平交渉の具体的な進め方。各国の体面を保ちながら、いかに妥協点を見出すか。そして何より、この戦争を、できるだけ早期に、できるだけ穏やかな形で終結させる方法。


(歴史は、ここで変えられる……!)


 会議は深夜まで続いた。


 帰路につく馬車の中で、原川は星空を見上げた。パリの夜空には、珍しく満天の星が輝いていた。


(あと一年。実在のマタ・ハリが処刑された日まで、あと一年)


 彼女の心の中で、歴史の歯車が、新たな方向へと回り始めていた。

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