第8話:ローンウィル城下町・上 ※ゴア注意

※後半キャラの被暴力&死亡表現あります。ご注意ください。



 戻ってギャラハーに調整を頼むと、彼はあっという間に外套に仕立て上げてくれた。どうやら待ち時間で先に準備をしてくれたらしい。


「良いのでしょうか、こんな上質な素材を…」


「構わねぇさ。…よし、こんなもんかな」


 右肩側のプレートの下に噛ませる形で外套を固定しているらしい。これなら多少激しく動いても邪魔にはならなそうである。

 何回か動きを確認させ、それで納得いったのかギャラハーはアルトの背中を豪快に叩く。


「うっ」


「大丈夫そうだな。よし、行ってきな!」


「は、はい。…ありがとうございます」


 皮鎧越しなのに地味に痛そうだった。目を白黒させつつ、アルトは礼を述べる。

 苦笑しながら彼は行ってきますと返し、漸く火守の巫女の許へと戻って来た。


「巫女殿、準備が出来たので、その…」


「往かれますか、巡礼様」


「はい」


 問い掛けへの答えに彼女は頷き立ち上がる。そして、アルトを伴って中心にある篝火へと近付いた。


「すみません、しゃがんで頂けますか」


 その頼みに、アルトは大人しく片膝を付いて頭を傾ける。巫女は篝火から少量の炎を掬い取ると、その火を彼の頭へと落とした。

 温かなその赤は、火の粉となって柔らかに青灰色の髪へと降り注ぐ。それは身を焦がす事も無く、アルトの中へと吸い込まれていった。


「…終わりました」


 その彼女の言葉に、アルトは不可解そうな顔で立ち上がった。何が起こったのか、見えていないのでよく判らなかったのだろう。


「巫女殿、今のは…」


「貴方を、熾火の巡礼様として薪を集める器にさせて頂きました」


「器、ですか」


 曖昧な概念である気もする。そもそも薪とは、私の世界で言う火を点ける為の木片とかなのだろうか。そうではなさそうだが…。


「はい。5カ所の王の地には、薪の王がいらっしゃいます。彼等の試練を超え、王の薪を持ち帰って頂くのが貴方の使命…その為に、王の火を扱える様に致しました」


「成程…?」


 不思議そうな顔で、アルトは自分の手を見詰めている。


「そして、各地の篝火は灯してさえ頂ければ、何時でもこの祭祀場に戻れる様にしております。何かしらお困りの際は、一旦ここへとお帰りを」


「篝火から篝火へ、転送が出来るのですか」


「はい。そうでなければ、大変でしょうから。…不死は篝火に縛られますが、同時にそれは繋がりを意味します。その繋がりを、利用なさって下さい」


 それだけ言うと、巫女は微笑んで一礼した。


「あ、ありがとうございます。旅の手間を省いてもらえるのは、助かりますね…」


 確かにそうだ。旅は往々にして一番時間が掛かるのは移動である。空から見た一部分だけでも、相当広かった。


「それでは、5つの碑より巡礼へ赴き下さいませ」


「その…これは、巡る順番は決まっているのでしょうか」


 巫女と共に石碑へと向かいつつ、アルトは尋ねる。その問いに彼女は頭を振った。


「いいえ、特には」


「そう、なんですね…。うーん」


 思案している彼に話し掛ける。


―どうしようか。篝火さえ見つけたらこっちには戻れるみたいだし…偵察として行くならどこでも良さそうだよ。


『そうだねぇ…一先ず、問題のローンウィルが今どうなっているか、見て回ろうか』


 それが良いかもしれない。ローンウィル。薪を託さなくなった末裔の王の地。空から見えた、白亜の荒廃した城砦。


「…では、取り敢えずローンウィルから往ってみます」


「分かりました。御帰りをお待ちしております、巡礼様」


 アルトはそっと、古い字が刻まれた碑に触れた。そうすると、周りの景色が歪む。

 いや、これは――…私達が、歪んでいる?

 灰の様に周囲の色も薄くなり…ついには緩やかな暗闇に包まれる。ここがどこかすら判然としない。


―ア、アルト?


 不安になってアルトの名を呼んだら、ちゃんと返事が戻って来た。


『大丈夫、多分転送して貰ってる。…最初は不安になるよね、これ』


―な、慣れてるんだね。ひょっとして、経験した事あるの。


『オスカーの侍従を勤めていた時に――ああ、終わったみたいだ』


 そう言った彼の科白と同時に、周囲が白みだした。続いて、色が戻って行く。

 白い、石造りの床が見えて…それから最後に、視界の景色の輪郭がはっきりしていった。

 見慣れ出したアルトの後頭部が見える。同じ様に視覚を取り戻した彼と共に、周囲を見渡す。

 黄金の光が降り注いている。黄昏れた様な色。空が、明るいのに、昏い。


―ここ、お城の中では…ない?


「多分、城下町かな。随分と、高い位置に転送されたみたいだ」


 彼が指差した方向に、遥か上空から見下ろしていた白亜の城が見えた。遠目からでも幾つかの壁が崩れているのが判る。


―大きいなぁ。


「大きいね…ローンウィルは、かなり発展した国なんだね」


 壁沿いに立ち見下ろすと、白い石造りの街並みが見えた。しかし、それもどこか荒れ果てている。所々の屋根が崩れ、幾つかの家は壁も無い。

 そして、その街並みを歩く襤褸切れの様な見た目の人影が在った。足取りは覚束ず、どこか茫洋としている。よく見れば座り込んで動かないもの、倒れて死んでいるかすら不明なもの、それに頓着せず兵卒に似た格好で空を眺めるもの。三者三様であったが、異様である。


―な、なんか荒れ過ぎじゃない…?


「うん、ちょっと荒れ過ぎかも…。滅びかけの国って様相だなぁ…」


 本当に王が居る都なのか、疑わしいくらいには荒んでいる。と、そこで直ぐ近い位置に遺骨の塊が見えた。あれは篝火だろう。

 アルトに教えて、取り敢えずそちらに向かう。

 欠けた頭蓋骨に彼が触れると、それは内側からぼわりと火を湧かせた。これで、何時でも祭祀場に戻る事は出来る様になった。


―一先ず安心だね。


「あぁ。でも、もっと進んでみよう…。多分、亡者ばかりみたいだから歓迎はされないだろうけど…」


 倒していくしか無いなぁ、とアルトは溜息交じりに呟いている。


―亡者ってあれだよね、牢獄に居た…。


 私の問い掛けに、アルトはそうだと頷く。塔から降りる階段を見つけ、鞘から剣を引き抜きながらそちらへと向かう彼の背を眺める。


「彼等は命を失う前に、心を先に亡くした存在なんだ。ソールすらも失い、無気力になった者が殆どで、そのまま死ぬばかりだけど…」


 盾も左手に持ち、そっと壁沿いに次の場所を窺っている。兜を被った下の彼の瞳は冷徹で、祭祀場で人と触れ合っていたおどおどとした姿からは乖離していた。


「稀に、疑似的な不死を入手する事がある。それらは死体の様な外見になって、生前と同じ行動を繰り返しながら…本能なのかな。ソールを持つ者が近付いたら襲い出すんだ」


―ソールを…つまり、アルトみたいな存在を、襲ってしまうって事?


「うん。そう言った亡者は、神の国の外にも居た。割とね、国の外も物騒だったな…」


 成程。彼のこの戦闘における冷静さは、外の国での経験が作用しているのか。

 私もアルトに倣って向こうの景色を覗く。ちょっとした広い空間に、複数人の亡者らしき存在が座り込んでいた。

 いや、ただ座っているのではない。両手を組んだまま、空に向けて祈る様に固まっている。個の見分けすらつかないぐらい干乾びた外見の亡者達は、天に祈りを捧げたまま動こうとしない。


―あれ、祈ってるよね。


「そうだねぇ…祈ってるな。太陽に祈るのなら、ハウルに祈りを捧げているの、かな…」


 そうやって覗いていると、巡回なのか兵士らしき姿の亡者が1人やって来た。

 幸いにも気付かれなかったらしく、理性の無さそうな濁った瞳で周囲を一瞥して戻って行く。

 声で気付かれない様にする為か、心中での会話に切り替わった。


『…今の兵士、喇叭を腰に提げてた』


―喇叭? …あぁ、もしかして、侵入者が居たら鳴らしたりするの。


『そう。多分、見つかったら間違いなく吹かれる』


 すっ、と物陰から物陰へ移動し、先程の兵士からは死角になる位置に進む。周囲の祈る亡者は、見向きもしてこなかった。


―奇襲して、喇叭を吹かれる前に倒すって事か。


 私の科白に頷いたアルトは、剣を握り直す。

 彼の真っ赤な瞳が、ゆらりと据わった。


「ふぅ…」


 数分後、あっさりと巡回1人を死体に変えたアルトが安堵の息を吐いた。血振りをすると、ちょっと驚いた様に刃の部分をまじまじと見ている。


―やったね。…どうしたの?


 尋ねてみると、うーんと唸りながら彼は剣を降ろした。


「いや、やけに血が落ちやすいなぁと…脂も大してつかなかった」


―それは、つまり…ギャラハーのお陰なのかな。


 多分、とアルトは呟く。確かに料理とかで肉を切ったりすると、肉の部位によってはかなり脂が付く。魚を捌けば血も付着する。

 そうか、人体も同じなのか。

 現代ならば洗剤とお湯で洗えば、血も脂も簡単に落ちはするが…ここではそうはいくまい。旅先で手入れしようとしても大変だろう。


「あの方は矢張り、腕利きの鍛冶師なんだな…」


―戻ったら、ギャラハーに感想を言おうか。


 その科白に、嬉しそうにアルトは頷いていた。


「さて、もっと進んでみよう…」


 そうだった、先はまだまだ長いのだ。

 しかし、何故だろうか――どうにも、嫌な予感がしていた。

 …それから暫くして。

 

―ねぇ、アルト…。何か、おかしくないかい。


 道中はそこまで苦難は無かった。途中、挟み撃ちの状態になったり角から襲われたりはしたものの…小さな負傷で済みはした。

 しかし、城を守るためとは言えどこか違和感がある。普通、警備とはこんなに挟撃や不意打ちを狙ったりするものなのだろうか。

 負傷の具合を確かめているアルトが、困った様に頭上を見た。私と視線を合わせてくれたのだろう。手の掠り傷には、血が滲んでいる。

 聖杯瓶を飲むか迷って、一旦止めにしたらしい。訊くところによると大体5杯分しかない様だ。飲むタイミングも考えないと、枯渇しかねない。


「うーん、確かにおかしいんだよね。…俺達が最初に居た場所、突き当りだっただろう?」


 確かに私達が最初に転送された場所は、高台の小部屋だった。恐らく、見張り番の休憩所の1つとして使用していたものだったのだろう。


「何か進んでみて分かって来たけど…。相手の配置がさ、突き当りから来た対象を迎撃する形なんだよ」


―つまり、転送されて来た巡礼を敵と見做しているって事?


「そんな感じがするなぁ…」


 囲まれない様にしないと、とアルトはまた周囲を警戒しながら歩き始める。と、すぐ上の高台に弩を番えている人影が複数人見えた。 


―アルト、上だ!


 その声に反応した彼が、ボルトが身体に刺さるより先に盾を構えて弾いた。遅れて後続のボルトも飛んでくる。

 亡者達の行動を視認していたアルトは、それが当たる直前に盾で払う様な仕草をした。

 すると、どういう原理なのかボルトは掻き消え――…彼の周囲に青い輝きを持つ剣らしきものが3本出現した。

 それは切っ先を上の亡者連中の方に向け、飛んで行く。それぞれ1本ずつ亡者に突き刺さり、彼等は高台から落ちて行った。

 残った2人はまた同じ動作でこちらにボルトを撃ち込んできたものの、それも同じ様に剣を展開させ落としていく。

 高台の脅威が消えた事を確認したアルトは、ほっと息を吐いた。一旦退いて物影に隠れる。


「…助かった。上は見きれていなかったよ」


―いやいや、こっちは見る事しか出来ないからさ。せめてこれぐらいは…。と、ところでアルト、今のって魔法か何かかい。


 何か凄かったよね、と訊くと声音がわくわくしていたからかアルトが苦笑する。


「これは盾についている戦技だよ。俺の力と言うか…盾が凄いんだ」


―いくさわざ?


 戦技。ギャラハーに盾を預けた時もそう言った話題になっていた様な。


「戦技は…そうだなぁ。こう言った武器って、斬り払いや構え等の基本動作とかは、自分で最初に学ばないと出来たりしないだろう?」


―あぁ、そうだね。多分、私とかはいきなり渡されても使いこなせないだろうなぁ。


 記憶の限りでは剣や盾なんて本物を持った事も見た事も無い。写真を見たりして持ち方の再現は出来たとしても、それを実際に振ろうとすると出来ないだろう。


「戦技は、そう言った特殊な使い道を出来る様になるものと言うか…。これの使い手だった人の物語が、武器そのものに刻まれてるんだよ」


―物語かぁ。


「長い間使い続けていた武器は、持ち主が繰り返した動作を覚えるらしい。勿論、そう使えるように仕込んであるってものもあるんだけどさ」


 アルトは左手に持った盾を見つめている。紋章の狼は、静かに月を見上げていた。


「この盾は、オスカーが魔術学校を卒業した際に学長から賜った物なんだ。彼はこれを甚く気に入っていてね…以来、大事に使っていた」


―これの場合は、後者って事?


「いや、これはどちらもかな…? 俺が使えてしまうぐらい、戦技になるまで物語に昇華させたのは…オスカーだよ」


―そっか。


 伏し目がちで追想している彼は、何とも寂しそうだった。が、いつまでもそうする訳にもいかないと頭を振る。


「ここで止まってる場合じゃないな。さ、まだ進もう」


―うん。


 途中、先程上から奇襲して来た弩兵が居た位置までやって来た。見張り台の様になっており、梯子が掛かっている。


「あぁ、やっぱりさっきの処か」


 梯子の上には先程の死体が3つ転がっていた。残り2人は遥か下の地面に落ちたらしく、昏い霧の中に呑まれてしまっているらしい。


―あの下、霧で見えないね。…と言うか、何か霧にしては黒いと言うか、昏い…?


 何だかあの色は不安を誘う。そう言うと、アルトは勘が良いねと兵士の持ち物を漁りながら呟く。


「あの霧は、生物を呑みこむ霧だ。入ったら命有るもの皆喰い尽くす怖ろしいものだよ」


―えっ。あ、あれ、そんなにとんでもないモノなのかい。


「うん、あれはね、とてつもなく怖ろしいものだ。あれに触れた先から無くなっていくんだ、全部」


―な…こ、怖いなぁ。


 そんなとんでもないモノだとは。彼の頭上でおそるおそる霧に目を凝らす。呑まれた中は何も視えない。


「原理はよく判ってないけど、外の国にも霧に呑まれた場所はある。メルゴーも、霧に呑まれて滅んだ」


 なんと…。メルゴーが亡国となったのは、この霧が原因だったのか。


―何が原因か判らないんだ…何だか災厄みたいなものだね。


「そうかもしれない。…あぁ、この弩は使えるかも」


 視線を彼に戻すと、丁度弩を1つ拾い上げていた。弦を引いて撃つ動作を何度か繰り返し、細部を確認している。


―それ、貰って行くのかい。


「うん、遠距離の飛び道具が欲しいんだよね。誘い出しとかに使いたい…」


 そう言ってボルトも頂戴している。確かに、飛距離の長い飛び道具は便利なのだ。

 さっきみたいに盾の戦技で奇襲に対応する事は可能だろうが、そうそう何回も上手く行くとは限らない。

 20本程無事だったボルトをかき集め、弩は一旦背負って固定している鞄に入れる。鞄の中も見た目以上に拡張されているらしく、ある程度大きい物を放り込んでも外見は全く変わらなかった。不思議である。

 やがて、塔が備え付けられている関門らしき場所に辿り着いた。見張りの亡者が居たが、それらはあっさりとアルトに返り討ちにされた。

 小さな扉に触れると、鍵は掛かっておらずあっさりと入れそうではある。ただ、その先が不明なのでここは1つ役に立っておこうと先に偵察する事にした。

 こう言う時に、物理的な制限を持たない私は便利である。

 アルトから限界まで離れて外観を見回してみたが、どうやらこの先は橋に繋がっているらしい。正面ではなく、裏門なのだろう。通路そのものは人が3人並んで通れるか、という具合である。

 その先も街が続いている様子だが――…この周辺の荒れた街並みよりは遠目でも大分整っているのが判った。

 彼の頭上に戻って報告すると、アルトはふむと腕を組む。


「こっち側は下級地域だったのかな。そう言えば、小人の亡者だけだったなぁ…」


―あぁ、そう言えばそうだねぇ。大きい兵士は居なかったな…。


 どうやら先程の荒れ果てた市街は、小人といった下級の民が暮らしていた地域だったらしい。


―じゃあ、この先の方が牢獄に居た大きな兵士が居たりするのかぁ…。


「どうかな。確かに増えそうな気はするけど…あ、篝火かな、これ」


 塔になっている詰所の扉を開けると、そこに不死の遺骨らしきものが転がっていた。触れると炎が湧き上がる。

 ようやく一時的な避難所を発見したので、アルトは座った。思えば歩き詰めである。

 疲れた様子すら見せなかったが、ずっと警戒はしていた筈なので気疲れはしているだろう。彼は安堵の息を吐いた。

 続けて手の怪我の具合を確認しようとすると…そこの怪我は既に跡形もない。

 グローブを貫通した怪我だった筈だが、孔の痕跡すらも無くなっていた。


「怪我どころか、破れた防具の類も戻るんだ…」


―それは良い。手入れも大変そうだしね…。


「まぁ、そうだね。…しかし自分の身体に起きてる事なんだけど、不思議だなぁ」


 篝火に照らされた顔は、純粋な疑問を覚えているからか普段より幼く見えた。色々と考えていない状態の彼は、色も相まって無垢さを感じる。いや、実際は色んな悩みを抱えている成人男性の筈なのだが。どうしてもそう見えるのだ。

 先程まで亡者相手に冷徹さを保っていた顔からは、凡そ乖離していた。ギャップと言うのだろうか、これは。

 白い睫毛の奥の瞳は、じっと篝火を見詰めている。私は黙ってその様子を眺めていた。この横顔を崩すのは、何だか勿体なく思えたのだ。

 …そのまま暫く動かずにいたが、やがて彼は立ち上がった。伸びをして剣を引き抜く。


―もう行くのかい。


「うん、もっと進んでみたいかな」


 大門のすぐ下に取り付けられた小さな扉を潜る。潜った先は、先程確認した通りのやや狭い石造りの橋になっていた。長さは100mぐらいだろうか。

 見晴らしが良すぎて逆に不安になる。盾を構えつつも、アルトは歩き出した。

 が、大体20m進んだ辺りだろうか。唐突に風切り音がした。前方からではない。

 私もアルトもてっきり来るとしたら前、或いは前方の上部からの奇襲に備えていた為反応が遅れる。

 ――…風切り音は、後方上部からだった。


「ぐっ…」


 アルトの背中にボルトが2本突き立つ。痛みに呻きながらも、彼は直ぐに反応した。振り返って盾を構える。


―アルト!


 慌てた私の声は裏返っていた。


―ご、ごめんよ。気付けなくて。


『いや、これは俺も悪いな…』


 苦笑するアルトは、逆光で見え辛い上の相手を視認しようとしている。影からして同じ亡者の兵士だろう。彼等は同じ動作でまたボルトを撃ち出す。

 それから盾で身体を守りつつ、真下に潜る事で一旦次弾から避難しようとていた――が。

 後方から地響きがした。それは、橋を大きく揺らす程の衝撃を伝えて来る。

 首だけをそちらに向けたアルトが、目を見開く。3発目も防いだ事を確認し、私も視線をそちらに向けた。


―う、わ。


 橋の上には、牛に似た頭部を持つ怪物が居た。大きさは牢獄に居た番人とほぼ同じぐらいだろう。不格好な体型で、足は安定性を持たせる為なのか太くて短い。

 そして手には、太い斧に似た得物を抱えていた。

 それはこちらを視認して、ずんずんと近寄ってきている。異形の瞳からは明らかな敵意が垣間見えた。


『これは、拙いかもしれない…』


―い、一旦退くのは…あれ?


 潜って来た扉の方を再度見ると、何故か白い靄が発生していた。あれは…ロンブラントに行く前に見た霧の壁に似ている様な。


『多分、戻れなくなってる、かも』


―そ、そんな!


 危機的状況なのにアルトは冷静だった。何か秘策があるのかと思ったが…どうにも、そうではないらしい。


「なるべく生き残れないかは試すけど…多分、やり直しになるな」


 飛んでくるボルトを防ぎつつ、身体は牛頭の異形の方を向けている。

 ああ――…彼は、死に戻りで学習するつもりなのか。いやしかし、本当に必ず生き返れるのだろうか?

 傷が治るのは確認してるし、事実彼の意識が戻る前に私が身体を動かしていた時は、確かに生き返りはしたが…。

 そんな事を考えていたら、もう既に異形が目の前まで迫っていた。振り下ろされた斧をバックステップでアルトは回避する。

 斜めに振り下ろされたそれは、轟音と共に石壁を破壊した。濛々と土煙が舞う。


オォオオオオオ…。


 その結果に不服そうに異形は吠えた。凡そ顔に似つかわしくない咆哮だったが、状況的に笑うに笑えない。


『いや、追い詰められてるなぁ…』


 そう、問題の1つとして橋が狭すぎるのだ。牛頭の異形すら狭そうにしており、斧を横に振る事すら難しそうである。

 背後のボルトの雨を回避するためには、異形の背後側に回ればいい。しかし回り込むには狭すぎるし、異形の股下はかなり短い。スライディングで行けるかすら怪しい。そもそも、背中にボルトが刺さった今の状況では転がる事すらもままならないだろう。

 戦っている当人は異形の動きにのみ集中したそうだったが、ボルトが撃ち込まれるので不規則に動くしかない。奇跡的に回避してはいるものの、既に厳しい。

 せめて。せめてやり直しを望む彼に役に立つ為に、情報を集めたい。何かないか。戦闘が気になりはするが、見ていても仕方が無い。

 と、後方の壁の辺り。見ていなかった端っこの方に金属製の錆びた梯子を見つけた。あれで上に昇れるのか。これは記憶しておかねば。

 轟音が響いて私の意識は反射的にそちらに向く。

 牛頭の斧が縦に振り下ろされていた。それを横に回避はしたものの、斧を勢いよく引き抜いた際に飛んできた破片が、アルトの頭に直撃した。


「うぐっ」


 存外に凄まじい衝撃だったらしく、アルトがよろめいた。その隙に後方からボルトが撃ち込まれる。


―アッ…!


 脚を撃ち抜かれた彼が体勢を崩した。思わず跪いた青年の頭を、容赦なく斧が掠める。

 木の葉の様に彼が吹き飛んだ。石壁に身体が叩きつけられ、血を纏った兜が宙を舞った。それは、壁の向こうに吹き飛ばされ見えなくなる。


―……!!!


 最早言葉になってすらいない悲鳴が私から響いた。身体の操作権が無い私は痛みの共有が無い。しかし、つい先程までぴんぴんしていた彼が容赦なくボロボロになっていく様は流石に耐えれなかった。怖い。死んでしまう。このままでは彼が死んでしまう。

 最初に死に戻りを経験した時の恐怖とはまた別の怖さが、私を包む。身体は無い筈なのに、ぞわぞわと肌が泡立つ様な錯覚が在った。

 土埃が晴れた先のアルトの肢体は、まだ何とか元の状態を保っていた。頭を掠めた筈だったが、兜がある程度守ってくれたらしい。出血はあったが頭部は無事だった。


「……」

 

 ただ、脳を揺らされてしまったのか彼はそこから立ち上がれそうになかった。倒れ伏したまま動かない。

 武器だけは手放していなかったのは、本能なのか刻まれた経験なのか。


―アルト、アルト!


 起きてくれ、そう叫ぶ私の声に何とか彼は顔を上げた。血で真っ赤に染まった顔は、いつにも増して真っ白い。片目で必死に目の前の怪物を見て、倒れた身体を転がしてでも動かそうとしている。

 しかし、努力も虚しく。

 容赦なく、彼の身体に向かって斧が振り下ろされた。


「が…ァ…」


 鮮血。腰の辺りから、彼の身体が文字通り両断された。粘質の血液が飛沫となって斧に付着する。噴水の様に、真っ赤な液体が舞った。肉ともつかない破片を撒き散らして。

 ごぽり、と血の塊をアルトが吐いた。驚きに見開かれた瞳から、徐々に光が消えていく。

 斧がぬちゃりと血の糸を残しながら、地面から引き抜かれた。真っ赤な腸がそこから零れ出す。

 それに伴ってびくん、とアルトの身体が一度弾ける様に動いたが…直ぐに動かなかくなった。

 最早悲鳴すら上げれずに絶句していた私の意識も、暗闇に消える。

 後には、仕事を終えて帰っていく異形の地響きだけが残り…それすらも聞こえなくなった。


 ――こうして、私達は2回目の死を迎えた。

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