第3話:涯(はて)の牢獄より・下

 呼吸が落ち着いたアルトは、仄暗い廊下を歩きだした。人気は一切なく、彼の足音だけが響いている。

 天井が低い為なのか、私の視点は彼の少し後ろになった。皮鎧を着た彼の背中を追う。

 そう言えば。彼がどうしても突破を望んだ理由を、訊いていない。

 どこにも行けない以上こちらを選んだのだと思っていたが、私に無理を承知で頼んできた辺り理由は別にあるのではないか。

 

―なぁ、1つ訊いて良いかい。


 私の科白に、周辺を見回しながら彼が頷く。


『何だい』


―その、どうしても突破したい理由ってあったのか? いや、行き場があの先しかないから仕方なくも無いんだが。


 そう問いかけると、彼は立ち止まった。話すのを迷っている様にも見える。


―い、言いたくないなら言わなくて良いよ。ちょっと気になっただけだからさ。


 躊躇う彼に気を遣ったが、いいやと首を振る。再度歩き始めると、ぽつぽつと理由を語り始めた。


『いや、他ならぬ君に隠し事はすまい。…牢屋に居た時に、鍵を投げ込まれたのを覚えているかい』


―ああ。顔は判らなかったが騎士みたいな姿の人が、投げ落としてくれたな。


『顔は確かに判らなかった。ただ、あの鎧のサーコートに…見覚えがあるんだ』


 あのサーコートか。深緑色は逆光であってもかなり鮮やかに見えた。


『あれは、私が育った故郷のものなんだ。サーコートの紋章は見えづらかったが…どうにも嫌な予感がする』


―紋章。あれって、デザイン――意匠が違うのか?


『家ごとに異なるんだ。…私の国は貴族が多かったから、見分けがつくような意匠がなされていた』


 つまり…あの鎧の人物は知り合いの可能性があると言う事だろうか。


―つまりは、顔見知りかもしれないのか。


『あぁ。そうじゃない方が良い―む』


 アルトが再び立ち止まる。

 何事かと彼の肩越しに視線の先を覗く。何か大きいのが上を圧迫している様な…。

 よくよく見たら廊下の天井に孔が開いており、そこから大きな蜥蜴の頭がこちらを睨んでいた。爬虫類の鋭い瞳がこちらをぎろりと見据えている。


―蜥蜴?!


 びっくりしたが、やけにアルトが落ち着いているので私もそれ以上は慌てなかった。

 もっと観察して気付いた。その生物の瞳は焦点が合っておらず、口から血を垂れ流している。だらしなく開いた口から、赤い雫がぽとぽとと落ちていた。

 おそらく、既に死んでいるのだろう。だからこんなに冷静なのか。

 人間の頭ぐらいは簡単に齧ってしまえそうな大きさだった。全身はどれ程になるのだろうか、これは。


『こいつは飛竜だ。運搬に使っているものだろうが、死んでいるな』


―運搬?


 私の短い問いかけに、アルトは飛竜の頭に近付きながら頷く。


『私みたいな者を、ここの牢獄に運んでいるんだ。…あぁ、首元、判るか。顎の下辺りだ。刺し傷がある』


 彼が指差す先を見る。確かに、鋭い何かで貫かれたような無数の痕があった。…怪物の後頭部に有ったものと似ている気がする。

 その事を話すと、アルトは考え込むような仕草をした。


『もしかすると、番人は私達が来るよりも前に誰かと交戦したのかもしれないな。…あの騎士が無事であると良いんだが』


 掠るだけで左半身を抉って来た相手と戦闘をしたのなら、心配だろう。ましてやそれが知り合いかもしれないのだ。


『済まない、少し急ぐぞ』


 そう言ってアルトは駈け出す。

 アルトが不意打ちされない様に見回しつつ、彼について行く。本来は中に居る為なのか、彼が歩けば私も勝手に移動する。

 個人的にはかなり楽なのだが――何故だろう、私の性格故だろうか。少々申し訳ない気持ちになる。

 やがて廊下の先に、1つの人影が現れた。こちらに背を向け、天井を見ながら佇んでいる。

 咄嗟に物影に隠れたアルトを見ながら、意識だけの私は堂々と遠目から観察した。

 赤いサーコートを身に纏った兵士の様に見える。位が高い訳では無いのだろう、雑兵が付けるような兜を被っており腰には簡素な直剣を佩いていた。しかし、成人男性にしては少々背が高い様な。アルトと比べると頭3つ分以上はある様に見受けられる。

 もっとよく見えないかと近付くようなイメージをすると、少しだけ兵士の姿が拡大された。望遠鏡を使った感覚に似ている。

 お陰で、兵士の着ているサーコートの背中の柄まで見えた。2匹の竜が描かれているらしい。


―何か、君と比べたらあいつ大きくないか?


 拡大するのを止め、アルトを見つめる。

 俯瞰している姿から大まかに察するに、アルトは平均的な成人男性の身長である気がする。


『あれは、多分私と同じヒュームじゃないな。神の国――…ロンブラントの兵士だろう』


 竜の繰り手か護衛が逸れたんだろう、と呟きながら忍び足でかの兵士へと近付いていく。近付く途中で、尖った石を拾い上げた。

 神の国ロンブラント。これはまた壮大なものが出て来た。まぁ、怪物や飛竜が居るなら居るか。神ぐらいは。


―どうするんだい。


『神の国の兵士とは言えども、肉体の作りは同じだし不死ではない。あいつから武器を奪いたい』


―大丈夫かい、その。体格差があるが…。


『いずれにせよ通り道だ、倒すしかない』


 肝の据わり方が違う。私ならこんな場面が来たら震えてしまいそうだ。

 兵士の真後ろまで近づいたアルトは、立ち上がって石を構える。

 ぐっ、と腰を捻らせるとそのまま尖った部分を思いっきり左側頭部に叩きつけた。ゴッ、と言う鈍い音が廊下に響く。

 声も無く転倒した兵士の腰元から剣を奪って引き抜くと、間髪入れずに切っ先を喉に突き刺した。

 足元の兵士は暫く藻掻いていたものの、やがて動かなくなる。


『これで良い』


 直剣の返り血を兵士のサーコートで拭い、鞘も奪って腰に佩く。これでまともな武器をようやく得られた。


―凄いな、アルト。ずっと落ち着いてる。


 思わず称賛すると、アルトは若干戸惑う様な反応をした。何だろうか、褒められるのが苦手なのだろうか。

 直剣を鞘に納めつつ、少しばかりもごもごとした態度になっている。


『そう…かな。多分、必死だからだとは思うけど』 


 必死なのか。普通は、必死になった人間は激情的になるんじゃなかろうか。

 彼の場合は必死さの中に、常に冷静さがある気がする。


『い、行こう』


 気まずいのか急かすようにアルトが言った。ちょっとだけ彼の人間らしい一面を垣間見て、得をした様な気分になる。

 階段を上り、中2階らしき空間に出た。窓側を覗くと先の焚火の広場が見える。アルトはあれを篝火と呼んでいた。

 ここから見ても、あの場所と繋がりそうな通路は見当たらない。せめてショートカットが出来たら良かったのに。

 少し残念な気持ちになってアルトの方に向き直ったが――彼が正面の壁の孔を凝視している事に気付いた。


―どうしたんだい。


『居た』


―居た?


 私も孔を覗き込む。些か厚い石壁の奥に――瓦礫の上にあの深緑のサーコートの騎士が寝転がっていた。


―あの人じゃないか! 良かっ…


 良かったな、と言おうとして絶句する。確かに騎士は生きている。胸の辺りが上下している。

 しかし、素人目に見ても助からないと思えるぐらいには…鎧の左の肋骨辺りが無残に凹んでいた。隙間からは血が垂れ流されている。

 最早生きているのが奇跡的な状態だった。ぞわぞわと、予感が確信に変わる。

 死にかけている、あの騎士は。


『クソッ』


 アルトが壁の孔に手を突っ込んだ。広がらないかと試しているようだったが、老朽化していても壁の孔はこれ以上広がらない。彼の手は内側で虚しく空を切った。

 明らかに焦っているのが伝わる。私は彼の替わりに部屋の周辺を見て回る。扉があった。


―ア、アルト、左に扉がある!


 彼の焦りが伝播しているのか、私も次第に焦燥が募り出していた。しかしアルトが動転している以上、一緒に居る私まで取り乱すわけにはいかない。落ち着け、落ち着かねば。

 私の指摘が耳に入り、彼は短く礼を述べると扉まで走り寄る。

 しかし、どうやら扉は内側が瓦礫で埋まっているらしくびくともしない。

 乱暴に押したり引いたりしていたものの、この扉では無理だと察したのかアルトはその場で考え始めた。扉に手を当て、床を見つめている。


『どこか…進入路がある筈だ』


―私も方法を探すから、ちょっと深呼吸しよう


『…済まない、冷静にならねば』


 肩で息をするアルトを気遣いつつ、私もきょろきょろする。部屋への入り口は現状扉しか見当たらない。

 彼から少し離れ、私だけで再度孔を覗く。一応数m程度なら、私も少しは彼から離れれるらしい。縦と横の行動範囲は同じぐらいなのかもしれない。

 見た限り、他の入り口は見当たらなさそうではあった。騎士はまだ呼吸している。それだけが安心材料だった。

 と、瓦礫に凭れて寝転がる騎士に、唐突に陽が射した。陽光を浴び、鎧が光を反射する。悪趣味な宗教画の様だった。

 あぁ――これはもしや、彼はこの部屋に上から落ちて来たのか?

 ならば上に行く道を探れれば、この部屋の中に行き着けるだろうか。脱出出来るかは別として。


―アルト、彼はもしかしたら落ちて来たんじゃないか。どこからか上に行けないだろうか。


『上か…』


 部屋の扉から離れ、窓際の方面を向く。その先をまっすぐ進むと、すぐに上がり階段があった。


『この先からよじ登れたら良いんだが』


 背後の部屋を気にしながら、アルトが階段を上ろうと数段踏み出した。次の瞬間。


―危ない!


 階段の上側が唐突に暗くなり、何かが迫って来た。人の身長ほどもある球が転がって来たのだ。

 前方を見ていた私だけが気付き警告したものの若干遅く、アルトの身体はそれに弾き飛ばされる。


『ぐっ…』


 流石に堪えたのか彼は呻いたものの、何とか球の追撃を避ける。壁に背をつける形で二次被害を回避した。

 球は加速して背後の部屋の壁に当たったがそれでも止まらず、壁をぶち壊し中にまで侵入してようやくそこで止まる。

 土埃をまき散らしている壊れた壁を呆然と眺めていたが、アルトが剣を抜く音を聞いて慌てて階段の上を見た。

 彼は階段の上に居る人物をねめつけながら、腕を引いた状態で剣を両手で構えている。

 先程と同じ赤いサーコートの兵士が、剣を抜いてこちらに駆け寄って来ていた。顔は人間の肌の色と同じだったが、瞳は濁り切っている。明らかに正気ではない。

 雄たけびともつかぬ声を上げながら直剣を上段に振り上げてきたが、それより先にアルトの剣先が真っ直ぐに首を狙う。

 両手で構えた状態で突き出されたそれはあっさりと喉に突き刺さった。ごぽりと血を吐きながら倒れ込んで来る兵士を避け、兵士の自重で剣を抜く。

 その背を冷徹に眺めながら、彼は心中でぼそりと呟いた。


『…余っ程、不死を巡礼の旅に進ませたくないらしいな』


―ア、アルト。その、後ろの壁が。


『後ろ? ――あ』


 階段を下りながら兵士のサーコートで剣を拭おうとして、アルトはようやく壁の大穴に気付いた。人1人余裕で入れるぐらいには盛大に破壊されている。


『しまった、巻き込まれてないよな?!』


 返り血を拭うのも忘れ、アルトは慌てて部屋の中へと足を踏み出した。私も慌てながら室内を覗く。

 幸いにも、騎士は騒動に巻き込まれず瓦礫に凭れていた。

 傍らに跪いたアルトは、胴体の状態を再確認し――騎士の兜をそっと脱がせる。

 金髪の、端正な顔立ちの青年だった。20代半ばぐらいだろうか。若々しい印象があるものの、胴体の致命傷の所為か血の気が全く無い。

 唇の端から、僅かに血が顎を伝っている。その赤だけが妙に鮮やかだった。


『あ…』


 アルトから、絶望の声が漏れる。私にも、その顔に見覚えがある。

 死に戻りをする前に見た夢。多分、彼の、アルトの昔の記憶。

 彼の手を引いていた金髪の少年。僅かに垣間見た金髪の青年。目の前にいる彼そのもの、だった。


『オス、カー…』


 乾ききった唇が心中と同じ言葉を紡ごうとしたが、やっぱり音すら出なかった。

 グローブを外した手で、震える指でアルトは彼の頬に触れる。その震えが伝わったのか、力なく閉じていた青年の瞳がすうと開いた。

 びくり、と怯えてアルトは指を離す。離れていく指先を追って視線が動き…オスカーと呼ばれた彼は、アルトの乾いた顔を視認した。

 若草色の明るい双眸が驚いた様に見開かれたものの、すぐに喜びの色が浮かぶ。


「あぁ…アルト、久しぶりだなぁ」


 そして苦しそうにごほごほと咳き込んだ。咳き込んだ傍から、赤い血が口から零れる。


『ああ、頼む喋らないでくれ。…俺は、俺は何で今祈祷が使えないんだ。お前を治せすらしないなんて…クソ、クソクソクソ…!』


 悔しそうに、泣きそうな顔でアルトは顔を歪ませる。止めてくれと頭を振る彼に、オスカーは笑いかける。


「…喋るな、って? すまん、急ぎの、用事が有るんだ、ゴホッ」


 そう言うと、彼はゆっくりと右手を背中の腰元に回す。

 震える手で取り出されたそれは、精緻な草の紋章が施された美しい瓶だった。片手で掴める程の大きさである。

 それは仄かに、下の篝火と同じ柔らかな光を放っていた。

 火が入っている――私は直感的にそう思った。


『それは…聖杯瓶か』


 何でこれをお前が、と首を傾げる彼にオスカーはそれを手渡した。


「お前が、巡礼に出ると言うのに。ゲホッ。あいつ等何だかんだと、工作しやがって。…っ贈り物すら、寄越さなかった、ろ」


 オスカーは不敵な笑みを浮かべる。汗が滲み出ているのに、余りにも強気な顔だった。


「だから、腹が立ってな。期を見てから、不死になった、と言いふらして…家からぶんどって来た」


『は―…』


 絶句するアルトに、飄々とオスカーは続ける。


「…いや、実際は、呪いは、出てないんだが、な。そうじゃないと、ここに、来れないだろう」


 私も絶句する。まさか、それだけの為に?

 こんな危険な場所に、わざわざ訪れたと言うのだろうか。

 動揺したアルトはずっと首を横に振っている。


『何、何で、そんな。それだけの、為に』


「あぁ、もしや、アルト、声が、出ないのか? まぁ、言いたい事は、分かるよ。ゴホッ…だって、お前は、僕の侍従だろう」


 苦しそうにしながらも、オスカーは安心させる様な笑みをアルトに向ける。


「僕の大切な友を、わざとこんな酷い目に、あわせたのに。…っ黙って、見てられ、ない、さ」


『お、まえ…馬鹿――』


 アルトはくしゃりと顔を歪める。干からびた顔に、深い悲しみが刻まれている。泣きたいのだろうが、泣けないのだろう。


「ただ、ちょっと、暴れ過ぎたな。追手を、全員斃したは、良いが。番人に…怒られてしまった」


 それでこのザマだ、と言って声を上げて笑うとオスカーは激しく咳き込んだ。鎧の隙間から漏れる血が、ますます多くなる。鎧の下がどうなっているかは余り想像したくない。見るに堪えない状態になっている事だろう。

 これ以上喋るなと言わんばかりに頬に再び触れたアルトの手を、オスカーは包む。


「…なぁ、アルト。主の、頼みだ、願いを聞いて、くれないか」


『…何だい、オスカー』


 自分はもう助からない事を察しているのだろうが、それでも青年の表情は穏やかだった。


「お前、僕の替わりに、神の国の、巡礼を…為してくれよ。ロンブラントを、旅してくれ。…本当は、一緒に往きたかった、が」


 ちょっと、厳しいなとオスカーは悲し気に目を伏せる。げほ、と一度咳き込むとアルトを再度見つめた。その瞳には、懇願が浮かんでいる。


「…頼むよ、アルト」


『…あぁ』


 アルトは、そんな若草色の瞳を見つめ返しながらしっかりと頷いた。その様子を見て満足そうにオスカーは頷いたが、すぐに暗い顔になる。


「そして、気を付けて、くれ。ここ数百年、不死の巡礼は、為されていない。ゲホッ…何かの、陰謀を、感じる」


『陰謀…』


 そう言う事なのか、とアルトは心中で呟く。彼の中に、陰謀に対する何かしらの気付きがあるのだろうか。


「アルト、お前を、除け者にしない、世界を願って、いる」


 オスカーは指から手を離すと、アルトに手を伸ばした。後頭部を引き寄せ、額と額を合わせる。

 こつん、と優しく額がぶつかる。

 アルトは戸惑ってはいたが…されるがままにしていた。

 随分と長い時間、彼等はそのままだった。

 やがて、オスカーの手から力が抜ける。ぐらりとその身が傾いだのを、アルトが咄嗟に受け止めた。


『オスカー? ……オスカー』


 …若草色の瞳には、もう生者の輝きは無かった。


『……』


 彼は黙ったまま、オスカーの身体を再び瓦礫に預けさせた。虚ろな瞳を閉じさせると、再び兜を被せる。

 アルトの中に居る私には、彼の心が張り裂けんばかりの痛みを訴えているのをひしひしと感じていた。叶うのならば、今すぐ泣き叫びたいに違いない。

 きっと彼等は、アルトがここに連れてこられるまでは仲の良い友人であり主従だったのだろう。それなのに。こんな形で別れねばならないなんて。

 何て、残酷なのだろうか。


―アルト。


 私はどう言葉をかけてやれば良いか分からず、取り敢えず彼の名を呼んだ。

 彼はグローブを嵌め直すと、騎士の傍らに転がっていた中盾を拾い上げる。盾の面には、青地に金の流麗な紋章が刻まれていた。意匠は狼の様に見える。


『これを、代わりに持って行く』


 そう告げ、彼は預けられた聖杯瓶を眺めた。少し躊躇っていたが、恐る恐るそれに口をつける。

 ごくり、と嚥下する音が響いた。

 すると、彼の身体の表面に一瞬だけ篝火の光が宿った。それは直ぐに消えたものの、アルトには何かしらの効果があったらしく驚いている。


『…さっきの、轢かれた時の痛みが消えた』


―回復薬なのか。


『折れた肋骨はそのままの様だが…今は痛くない。一時的な回復なのだろうな』


 腰の後ろのポーチに聖杯瓶はしまわれる。

 そして、アルトは名残り惜しそうに、暫くオスカーの遺体を見つめていた。


―埋葬して、あげるかい。


 そう尋ねたが、彼は頭を振った。


『埋める手段も、場所もない。…餞別を貰った以上は、丁寧に別れをしたかったが…早く進んだ方が、彼は喜ぶだろうな』


 そう呟くと、アルトはようやくオスカーに背を向けた。部屋の外へと踏み出す。転がっていた死体のサーコートで、改めて剣の返り血を拭う。


『やってやるさ。任された以上は』


―まずは、あの怪物の突破か。


 あぁ、とアルトは頷き階段を上がっていく。

 左手に青い盾、右手に簡素な直剣を持つ彼の姿は何だかRPGの勇者の背中の様であり。決意を秘めたその背を見て、何だか私が泣きたくなる。

 そんな私を露知らず、アルトは話し出した。探索がてらに少し説明をしてくれるらしい。


『…この牢獄は、そもそも不死を閉じ込める場所じゃない。呪いを受け、不死になっ人間に番人と言う試練を与え、巡礼へ向かわせる儀式の場所なんだ』


―それは…。君の最初の状態からして、とてもじゃないが試練には挑めないじゃないか。


『あぁ。オスカーがきな臭く感じていたのは、そこなのかな。ロンブラントと、生き残ったヒュームの国は結託して何か企んでいる』


―成程。そして真実は、巡礼を始めなければ分からないと。


『そういう事に、なるのかな』


 やがて、テラスの様な場所に出た。それは外側ではなく内側についており、先の怪物が居た部屋を見渡せるように作られている。


『ルクス、真下を見てくれ』


―真下? うわ。


 見ろと言われて下を見たら、件の怪物がそこに佇んでいた。こうして上の更に高い位置から見ると、後頭部の傷が判り易い。

 上にいる存在に気付いていないのか、ぼうっとしている。


『あれはオスカーの仕業だろう。…致命傷に見えるが、届かなかったのか』


―なあ、あいつ羽根があるぞ。


 怪物の背中には、蝙蝠に似た小さな羽根がついていた。しかし大きさ的に、どう考えても体重を支えれそうに見えない。


『えぇ? あ、本当だ…。確かに高所から登場していたが…飛べるのか、あいつ』


―飛べるんだなぁ。


 2人して感心していると、視線に気付いたのか怪物が振り返ってこちらを見た。黄色い瞳が、アルトを捉えている。そこには逃げた獲物への執着が窺えた。

 それを見つめ返すと、アルトは今まで見た事が無い不敵な笑みを浮かべる。オスカーが浮かべた表情と瓜二つで、私が戸惑う。かなり、似ていた。


『さ、やろうか』


―え、ちょ。


 どうするのかと思っていたら、アルトは怪物の頭目掛けて飛び降りた。そんな事をするとは私も怪物も思っておらず、反応が遅れる。

 怪物の顔面目掛けて降下した彼は――そのまま直剣を思いっきり額に突き立てた。体重と落下の勢いが乗った一撃は、容易に頭蓋骨を貫く。

 怪物の口から悍ましい咆哮が上がる。それ牢屋で聞いたものとそっくりな声だった。

 あれは多分、先に接敵したオスカーの一撃を受けた痛みの声だったのだろう。

 ぐり、とアルトは剣を渾身の力を込めて捩じる。余りの激痛に怪物は必死に頭を振った。


『おわ』


 怪物に振り回され、直剣を引き抜いてアルトは地面に落下した。危なげなく転がり受け身を取ると、再度直剣と盾を構える。


『中々頑丈だな』


 怪物を見据えながら、彼はそう呟く。


―だが、効いて良そうだぞ。頭だけはどんな生物も弱点だからなぁ。


『そうだな、もう一押しか?』


 一度血振りをして、アルトは怪物の様子を探る。

 じたばたと頭を押さえて悶えている様は、確かに致命的な一撃を喰らったのだろう。しかしまだ怪物の闘志は消えていない様にも思える。


―もう一発…腹は止めた方が良さそうだな、厚みがある。


 怪物の胴体は分厚く膨れ上がっている。とてもじゃないが、直剣を刺したり斬り付けたところで内臓に達する様には見えない。

 もう一度、頭だろうか。しかし、頭蓋骨を上から貫通するのはもう厳しいだろう。

 ならば―――…。


―アルト、目は狙えないか。脳を直接狙えるかもしれない。


 飛び道具を持っていない彼に提案するには微妙だったが、アルトは成程と頷いた。良い案が浮かんだのかもしれない。


『やってみよう』


 怪物との間合いを測っていた彼は、隙を見て駆け出す。足音を聞きつけた怪物はアルトを視認しようと慌てていたが、時すでに遅く。

 盾を背負って直剣を両手に持ち替えた彼は――怪物の右足の甲にそれを思いっきり突き立てた。引き抜きながらも素早く距離を取る。

 痛みに堪えきれず、怪物は無様に背中から倒れ込んだ。ずん、と床が揺れ粉塵が舞う。


『これで…終わりだ』


 その頭側に回り込んだアルトは、起きようと藻掻く怪物の右目に向かって深々と直剣を刺し込んだ。赤黒い噴水が、その傷口から漏れた。

 オオォ、と弱々しい悲鳴が怪物の口から上がったが、びくりと一度震えた後…とうとう動かなくなる。命の灯火が、穿っていない片方の瞳から徐々に消えて行く。

 …倒した、のだろうか。


―やった、かな?


 そうおずおず尋ねると、息を整えながらアルトが頷いた。怪物の右目を刺し貫いた直剣が、ずるりと引き抜かれる。

 すると、巨大なその死体は唐突に手や足の末端からざらりと灰になっていった。最終的に、その姿は灰色の山となり緩やかに空中に霧散する。

 同時に、怪物の灰からアルトの中に白い靄が流れ込んだ。すう、と土が水を吸う様に肉体に心地良い何かが染み込むのを私も感じた。


『あぁ、番人のソールを受け取った…試練は、越えたようだ』


 そう呟いた彼は、大きく息を吐いた。そうして、私の名を静かに呼ぶ。


『ルクス』


―何だい、アルト。


『俺に暫し付き合って貰っても、良いかい』


―あぁ、構わないよ、直ぐに帰りたい訳じゃない。…君の旅に、私も連れて行ってくれ。


 私は、この孤独な青年の行き着く先が気になる。私に少しだけ立場が似ている、彼の。

 その返事に、アルトは干乾びたその顔に仄かな微笑を浮かべた。


『ありがとう。必ず、不死の巡礼を為し遂げよう』


 あいつの為にもと呟いた彼の傍らに、錆をまとった大きな鍵が転がっていた。



 ―――『私』と彼の旅は、ここから始まる。

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