第2話 それぞれの朝(後編)〜今井翔平・久保薫璃〜

―8時15分 階段―

「お前、高校初日から一人負けとか運悪すぎだろ」

 財布から小銭を探し、これから自販機で飲み物を3人分買う俺――今井翔平に対して後方から1人の男が笑いながら煽る。男の名前は古河真。少し丸く熊のように愛らしい見た目だが、名前とは逆で中身はかなり腹黒く、どっちかと言うと狸に近い。非常に強欲で口が悪く、それでいて頭はいいので内心ほとんどの奴を見下している。

 で、何故今こいつに煽られているかと言うと、こいつとは小学校からの付き合いなのだが、遊びに行くたびに飲み物や食べ物を買うのを賭けてじゃんけんをしていて、今日は俺が一人負けだから払っている。それ自体に不満はないが、こいつの場合は負けても「悪い、今日は金無い。次は払うから」と言って俺たちに払わせ、引き伸ばした挙句払った試しが一度もない。そして自分が勝てば当然の如く1番高い奴を要求してくるから腹が立つ。ルール上は1人1つなので、学校の自販機でむしろ助かった。


「おらよ、ブラックコーヒー」

「サンキュー、今井」

 買った缶コーヒーを渡すと、もう1人の男は紳士ズラをしてそれを受け取った。こいつの名は青島佑都。細身で背が高くとてもスタイルがいい。顔立ちも悪くは無いと思うが、自分のことを過剰にイケメンだと思っている節がある。その上、最近はマシになった方だがこいつはまだ何処か厨二臭い。ちょっと色白なもんだからネギってあだ名で揶揄ってるんだが、嫌がるどころか「僕はネギ星の王子だ」なんて嬉々として言ってるくらいだ。まぁ、俺ら3人の中では比較的常識がある方だとは思うが。


 2人に飲み物を渡して教室に戻ろうとしたころ、今頃来たという奴が1人、階段の少し前を登っていた。鼻歌を口ずさみ、焦るそぶりはあまり見せないが、見るからにつまらなそうな態度だ。「見ろよ翔平、あいつもしかしてぼっちか?」真は聞こえるか聞こえないかの声で揶揄っているが、まだ入学式もやっていないし、そもそも俺ら以外と中学時代ろくに話せていなかったのはどこの誰だろうか。その後、4階まで戻ると再びそいつが目に入った。何でも水道の蛇口を捻って水を飲んでいる。そして一瞬目が合うと、そいつは軽く会釈をして足早にその場を去っていった。


――変な奴だな


本当に一瞬ではあったが、妙に記憶に残る出会いだった。




― 8時20分 1年2組教室―

 賑やかな教室のなかでも特に騒がしい3人組が下へ行き、教室が少し静かになった中で、私――久保薫璃は1人音楽を聴いていた。あと30分もしないうちに、私はここにいる新入生の代表として全員の前で挨拶することになっている。一般入試の成績が1位だったことを聞いた時から分かっていたし、そもそも中学生の時も私が挨拶をしたので慣れてはいる。机の上に置かれているのは、決まりきった文言の中に私の想いが見え隠れする台本。さっきまでは目を通していたが、私は本番が近くなるとむしろ不安になるタイプだ。噛んでしまわないか、頭が真っ白にならないかなどと嫌なシナリオばかり頭に浮かぶ。いくら慣れているといっても当然人前に立つのは怖いし緊張もする。

 そもそも私は自分が人前に立つべき人間だとはあまり思っていない。「真面目だよね」「頭いいね」ってよく言われるけど、別に勉強が好きだからやってるだけで、本当に頑張ろうと思うのはテストの前くらい。普段からそう言ってるけど『特別』って一度でも認識されちゃったら周りの人はあんまり信じてくれない。これなら普通の方がずっといい。

 そんな私を癒してくれるのが、両耳から全身に伝わる音楽。普段からずっとイヤホンしてるから「耳に良くないよ」って言われちゃうけど、音楽を聴いてる時が1番自分の世界に入れる。だから私はこの時間が大好き。でも、今日は現実を告げる鐘がすぐに鳴ってしまった。戻ってきたさっきの3人組を含め、全員が席に着いてはいるけど、話し声はまだ途切れない。そして、私の鼓動も段々と大きくなってきた。今後への期待よりも、目の前の不安へのアラームが鳴り響いていた。

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