第二話 賭けごとはほどほどに・二
新時代になってしばらくのあいだ、古くから国に根づいていた様々な文化を時代遅れのものと強く否定する時期があった。寺社が所有する品々が破壊され、庶民に親しまれていた格闘技すら存続が危うくなっていた。
棋考はまだ他の文化ほど衰退の兆しはなかったものの、明日は我が身である。そこで有志が新聞社や豪商などの支援を取りつけて、棋士が腕を磨き競いあう場の提供や棋考の興隆を目的とした統括団体を設立した。それが棋考連盟だ。
考試はこの棋考連盟が主催する、国内最高峰の棋考指しの大会だ。春に各都道府県で予選が行われ、その優勝者たちが梅雨の時期に催される本戦で熱戦を繰り広げる。賞金と帝国一の棋考指しの栄誉を目当てに挑む者は、毎年絶えない。
でも、今まで考試の地区予選で優勝した女の人って誰もいないんだよね……そもそも棋考指しの女の子自体、普通はいないし。
なのに八意はこのたび、山浪県の地区予選で優勝した。考試の歴史において史上初である。
そんな十六歳の小娘が目の前にいるのだ。好奇で目の色を変えるなというほうが無理だろう。
「へえ、この嬢ちゃんが山浪の代表なのか」
「あの秋山に勝ったにしちゃあ、棋考ばっかりやれそうないいとこの御令嬢ってわけでもなさそうだな」
「うちの息子と同じくらいか?」
男たちは八意を囲んでじろじろと眺めまわす。あんまり無遠慮なものだから、さすがに八意はたじろいだ。体格がいい者ばかりというのもある。
見かねてか、圭太が庇うように八意の前に出た。ぱんぱんと手を叩いて自分に注目させる。
「はいはい皆さん、落ち着きましょうね。こんな可愛い女の子を怖がらせてどうすんですか。奥さんがいたら、殴られてますよ」
圭太はそう、男たちにぴしりと指を突きつけて言う。少年にたしなめられ、男たちはきまり悪そうな顔で八意に謝り後ろへ下がる。
まったくもう、と圭太は腰に手を当て息を吐いた。先ほど八意の素性を言い当てた、大柄な男のほうを向く。
「三岸さん、よく八意ちゃんのことがわかりましたね。俺、山浪代表だって言ってないのに」
「山浪にある叔母さんの旅館に疎開してたとき棋考指しの女の子と会ったって、前に言ってただろお前。でもってこの時期にここへ連れてくるんだから、今年の山浪代表かもって思うのは当然だろ」
「そうそう。地区予選が終わってしばらくした頃から、そこらの棋考道場で名前と噂が回ってるんだよな。変わった名前だの、天野二冠と同じ町出身だの」
「え、天野二冠と同じところから来たの?」
客の一人が補足すると、きらりと目を光らせて少年が八意を見上げた。他の子供たちもだ。
やっぱりそういうところに食いつくよね……当然だけど。
「ええ。彼は棋考がすごく強いらしいって、近所で有名だったの。同じ尋常小学校にいたけど、とても賢いし口が達者って先生たちが言ってたのを聞いたことあるよ」
くすりと笑って八意は子供たちにそう説明した。
天野二冠とは、現役棋士である
何故なら十五歳にして考試本戦で優勝し、特別参加した公式戦でも棋士相手に好成績を残した。さらには翌年には史上最年少で棋士の認定試験に合格という、恐るべき速さで棋士になったのだ。
そして棋考連盟が主催する五つの公式戦の優勝者に与えられる称号を、この四年で二つも獲得している。その活躍ぶりは新聞でも記事になり、今や巷でもっとも知名度の高い棋士の一人といっていい。
三岸と呼ばれていた男は、感心に似た息を吐いた。
「そんなにご近所なのか、お前。じゃあもしかして、天野二冠と同じ棋考道場で棋考を教わった……とかじゃねえよな?」
「いえ、まさか。私は祖父から棋考を教わったんです。実家が酒屋と棋考道場を兼ねてましたから、常連さんたちからも色々教わりましたけど」
八意は苦笑して首を振った。
「それに、天野二冠が通ってきたことはなかったですよ。もし通ってきてたなら、祖父が私に毎回相手をさせたがってたと思います」
そう八意が説明すると、一同は納得した顔になった。その中でふと何かに気づいた顔で、そういやと三岸が一つ頷く。
「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺は
「まあ、考試の地域代表なんですか?」
八意が目をまたたかせると、三岸――勝彦はおうよと歯を見せて笑った。
「これでも運び屋しながら、あちこちの大会で賞金稼ぎをしてるんだ。でもってこの棋考道場も、俺が場所を借りてやってるみたいなもんだな」
「おい勝、なあに自分がここで一番偉いみたいに言ってるんだ」
「いや実際、俺が一番偉いだろ?」
「何を言っとるんじゃ。年功序列って言葉を知らんのか」
勝彦が周囲に同意を求めた端から、いかにも元気な御隠居といった見た目の御老体から声が飛ぶ。違いねえと合いの手と笑い声が加わるから、勝彦は孤立無援だ。
皆さん仲良しだなあ……。
和気藹々とした様子に八意はくすくす笑った。この棋考道場はとても居心地がいいに違いない。
――――そのとき。
「よし勝彦! お前この嬢ちゃんと対局しろ!」
「はあ? 銀次さんいきなり何言いだすんですか?」
短髪の男にそうがばりと肩を組まれ、勝彦は声を裏返した。胡乱な目を相手に向ける。
「だってお前、本戦でこの嬢ちゃんと対局するかもしれねえんだぞ? でも未知の相手だ。なら少しでも情報を集めとくほうがいいに決まってるだろ?」
「とか言って、要するに自分が考試で賭けるための情報収集をしたいんでしょう」
呆れ顔で勝彦は言う。短髪男は悪いかと笑うばかりだ。
棋考は庶民の賭博の対象なのだ。他の古来からの娯楽と違って衰退の危機にさらされなかったのも、それが要因の一つだと笑う者がいるくらいである。
「あの本戦常連の秋山に勝ったんだ。それなりの実力はあるよな、きっと」
「しかし、こんな嬢ちゃんだしなあ……そりゃ、ひょろくても強い奴は強いけどよ」
「俺も本戦で賭けるつもりだから、ちょうどいいや」
短髪男が言いだしたものだから、場はもうすっかり八意と勝彦の対局を見ようという雰囲気になっていた。子供たちもそんな空気に触発されてか、わくわく顔だ。
圭太は苦虫を噛み潰した顔になった。
「さっき着いたばっかの女の子に対局させるって、何考えてるんですかね皆さん」
「そうがみがみ言うなよ圭太。嬢ちゃんもいいだろ?」
「えと、私は構いませんけど……」
でも、圭太君に案内してもらってる途中だし……。
自分もその気になってしまっているのが申し訳なく、八意は圭太のほうを見た。
疲れはあるが、海太からこちらに来るまでずっと対局できていなかったのだ。何日も指せずに溜まった鬱憤を晴らしてしまいたい。
八意が生粋の棋考指しであることは、【彦の湯】の棋考道場を手伝ってくれていた圭太もよく知っているのだ。八意の表情から察したのか、小さく息を吐いた。
「持ち時間、そんなにやんないでしょ? じゃあ俺、指し終わりそうになったらこっちに来るから」
「うん。ありがとう、圭太君」
嬉しいのと罪悪感が混じった複雑な気持ちで八意は眉を下げた。いいってと圭太は軽く笑い、大広間を出ていく。
「よし。じゃあどっちが勝つか、何を賭けるか言ってくれ」
「俺、勝彦が勝つのに瓶一本!」
「わしは嬢ちゃんに十五銭賭けようかの。ごついのより、嬢ちゃんのほうがいいわい」
いつのまにか帳面と筆を取りだした短髪男に促され、次々と男たちは賭ける先と賭けるものを告げていく。
……考試に向けた情報収集だったんじゃ……。
どうして今から賭けているのだろうか。今度は八意が呆れた。
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