第二話 僕だけのお友達蒐集箱

0 二〇二四年

「デブは給食食うな!」


 声変わり前の少年の甲高い声が教室内に響き渡る。水を打ったかのように静まり返った無音を割って、椀が打たれてひっくり返り、汁物が床に撒き散らされる音が鳴る。


 騒ぎの中心は、教室後方のロッカー前。机に座り給食のお盆を前に肩を縮こまらせる少年がいる。小学六年生という年齢の割には身長が控え目だが、その分なのか、ふっくらとした体つきをしている。縦に短く横に広い。悪意ある子どもたちの間で何と呼ばれているか、想像に難くない。


「おい、聞いてんのかよ肉団子!」


 瞳に嘲りと愉悦を滲ませたいじめっ子の少年が、今度はミートソーススパゲティの入った深皿を取る。そして間髪を入れず、ふっくらとした少年の胸に投げた。


 べちゃり、と不快な音がして、可愛らしい熊のプリントがされたTシャツの真ん中がソースで真っ赤になった。麺の方はずるりと重力に引き下ろされて、脂肪により隙間なく閉じられた両太ももの谷にとぐろを巻く。


 さすがにやりすぎでは、と凍りついた教室の空気を遠慮なくかき回し、いじめっ子少年とその取り巻き二人が、腹を抱えて笑う。


「肉団子トマトソース和えだ!」

「うげ、まずそー」

「きったねえの! ってか何だよその服。変な熊のプリント。可愛いと思ってんの?」

「熊の肉団子」

「くさそー。熊肉団子」

「熊肉団子、おい、何か言」


瑛人えいとだ」


 トマトソースまみれの少年は、思わず、といった様子で声を漏らした。瑛人は自分の落とした反抗的な声に驚いて、はっと顔を上げる。


 見れば、最初こそ虚を衝かれて目を丸くしていた三人衆だが、次第に顔を歪ませて、より凶悪な笑みを浮かべたところだった。後悔しても、もう遅い。取り繕うことなどできない。


 瑛人の視線を受けて、リーダー格の少年が、左右の眉をまるで縦にでもしようとするかのように盛大に捻った。


「はあ?」


 大きな口から飛び出した空気の塊が、瑛人の顔面を打つ。気づいた時にはすでに肉薄していた少年に強く肩を押され、瑛人は体勢を崩す。重たい身体が後方に傾ぐのに合わせ、腰かけていた椅子が二本脚立ちになり、今にも折れそうな軋みを上げる。やがて、体重に耐えきれず、瑛人を乗せたまま真後ろに倒れた。


「うわっ」


 咄嗟に足をばたつかせた拍子に机を蹴り、お盆の上に残されていたご飯が滑り音を立てて落下する。視界がぐるりと上向いて、白い天井と細長い蛍光灯の並びが見えた。そして。


「っ」


 背面を襲う痛みに、瑛人は息を詰まらせる。無様にも、ひっくり返り頭まで打った。


 白けた空気が教室内を浮遊する。けれどそれはほんの束の間のこと。次の瞬間にはどっと笑いが押し寄せた。


「だ、ダサっ! でもどうせ、背中に肉がついてるんだから痛くねえんだろ」

「分厚いクッションがあるんだからさ」


 瑛人は痛みと羞恥で顔に血が上るのを感じた。


 脂肪があろうとなかろうと、身体をぶつければ痛いのだ。人間、いいや、生き物ならば当然そうであろうという常識が、瑛人に限っては認められないとでもいうのだろうか。


 瑛人は拳を握りしめ、唇を噛んで腰を上げる。背面が捩れるように痛んだが、もう一秒たりともこんな場所にはいたくない。


「おお、熊肉団子トマトソース和えが立ったぞ!」


 瑛人はクラスメートたちを一瞥もせず、重たい身体を引きずって教室を出る。そのまま、誰に告げることもなく帰路についた。


 瑛人の家は、源頼朝像で有名な鎌倉の源氏山公園の近くにある。先祖代々受け継いだ土地の上に建つ、モノトーンの近代的な一軒家。車庫には上等な大型の国産車、庭はイングリッシュガーデン調に整えられていて、もうしばらくすると薔薇が見事に咲き誇るだろう。


 見るからに幸福そうな家族の住処。けれど、鍵を開けて扉を開くのは、トマトソースまみれの熊肉団子だ。


「あら、お兄ちゃん?」


 瑛人が帰るなり、皿洗いをしていたらしい母が、慌ただしく玄関まで出迎えた。放課後、というにはまだ早い時刻。何事かと怪訝に思い小走りでやって来たのだろう。彼女は玄関で靴を脱いだ瑛人の出で立ちを見て、可憐な悲鳴を上げた。


「きゃあっ、血?」


 勘違いするのも無理はない。何せ、胸の熊は赤く染まったまま。ソースを拭い取りすらしていなかった。


「違うよ。そんな大袈裟にびっくりして、馬鹿じゃないの」

「馬鹿だなんてそんな言い方。……じゃあどうしたの」

「給食をこぼしちゃったんだよ。洗っておいて」


 瑛人は荒っぽくTシャツを脱ぎ、エプロン姿の母親に投げる。母は、息子とは対照的に、風が吹けば折れてしまいそうなほど華奢な身体を軽く仰け反らせ、細枝のような腕で汚れた衣服を受け止める。


「こぼしただなんて、もう六年生でしょう。弟の蓮人れんとだってそんな赤ちゃんみたいなことはしないのに……あ、待って。じゃあ、今日はお昼を食べていないのね。お腹が空いたでしょう。おやつはいる? 今晩は大好きなコロッケにしましょうか。子どもは育ちざかりだから、たくさん食べないと」

「いらない。いらない」

「お兄ちゃん」

「うるさいって! それに僕の名前はお兄ちゃんじゃない!」


 瑛人は叫んで階段を駆け上る。自室に飛び込み後ろ手に扉を閉じて鍵をかけた。


 肌着姿のまま、ベッドに飛び込んだ。外界の全てから目を逸らすようにきつく瞼を閉じれば、いじめっ子三人衆の悪意に満ちた顔や、見て見ぬふりをする教師、加担はしないものの遠巻きに瑛人を眺めて時に嘲笑を漏らす同級生らの声が、痛いほど鮮明に蘇り、脳内でぐるぐると回っている。


 どうして僕ばかりがこんな目に。


 ふと、階段を上がる前に母の腕の中から恨めし気な真ん丸眼を覗かせていた熊のキャラクターが、瞼の裏に現れる。Tシャツの中央にプリントされていた謎のキャラクター。そうだ、あんなにダサい服ばかり着ているから、皆に馬鹿にされるのではないか。


 けれどそもそも、変な服しか持っていないのは、全身に不要な脂肪がつき、サイズの合う年相応の服を探すのが困難だからだ。


 ――子どもは育ちざかりだからたくさん食べないと。


 呑気に言う母の姿が、渦巻く暗闇の奥から浮かび上がる。母は美人でスタイルが良くて、瑛人とは全く違う。母だけでなく、父も整った目鼻立ちをしているし、弟の蓮人も活発で友達の多いサッカー少年だ。親戚中どこを見ても、瑛人のような肉団子はいない。


「どうして僕ばかり」


 悲しい、寂しい。誰にも気持ちを理解してもらえず、みじめで孤独だ。誰も、瑛人という人間を見てくれない。


 肉団子、お兄ちゃん。そうやって見た目や肩書きでレッテルを貼られ、窮屈な日々を過ごしている。


 瑛人は心のおりを出し尽くすように大きな溜め息を吐き、のっそりと起き上がる。近くにあった、こちらも変な犬がプリントされたTシャツに袖を通し、そのまま何も持たずに一階に下りて、ひっそりと玄関扉を開けた。


 母は熊のTシャツからトマトを落とすのに懸命で、瑛人が外に出たことに気づかないらしかった。


 鬱蒼とした木々に挟まれた細い坂を、ぼんやりと上る。四月中旬。初夏というにはまだ早い気候だが、運動に慣れていない瑛人の額には、薄っすらと汗が浮いている。


 気づけば坂の先に階段が見えた。ここを上がれば源氏山公園だ。幼い頃、つまり瑛人がまだ肉団子ではなかった時分。よく友人と遊んでいた場所である。


 何かに吸い寄せられるように、一つ、また一つと階段を進む。


 開けた広場に出ると、小さな子どもらの楽しげな声が響いていた。追いかけっこをする子らが、瑛人の側を駆け抜ける。巻き上げられた風が髪を揺らした。


 子どもらに重なり、昔の自分の幻影が見える。もっと幼い頃は友達も多かった。いったいいつから、瑛人はいじめられっ子の代名詞のようになってしまったのだろうか。虚しいことに、あの頃の友人は今や、教室の隅から瑛人を遠巻きに眺めるだけだ。


 誰か、味方になってくれないか。誰か、一緒に過ごしてはくれないか。


 空虚な心を抱え、広場の真ん中で、ぼんやりと立ちすくむ。


 やがて、物思いに沈んでいた瑛人の耳に、ごろごろと不穏な音が届いた。


 現実に引き戻されて、瑛人はおもむろに空を見上げた。気づけば上空は鈍色の雲に覆われていて、子どもたちも姿を消している。


 再度、遠雷が轟く。迸る稲光が雲を裂く。やがて、空から冷たい粒がまばらに降ってきて、すぐに滝のような豪雨へと変わった。


 瑛人は、遥か天の果てから真っ直ぐに落ちてくる礫を呆然と見上げていたが、鼻や目に雨を受けて、はっと我に返る。


 傘のない中、この豪雨はさすがに辛い。かといって、家に帰りずぶ濡れ姿を目撃されるのも面倒だ。瑛人は公園を出て山沿いに道を下り、雨宿り場所を探すことにした。


 鎌倉の山肌にはいたるところに横穴が空いている。そこは中世人の墓地として利用されていて、やぐらと呼ばれている。


 埋葬地となれば好んで近づきたい場所ではないが、洞穴は雨宿りにもってこいだ。


 瑛人は早速見つけた小さなやぐらに身体を滑り込ませた。ちかちかと瞬く稲妻が、やぐら内の壁や供養のために置かれた古びた五輪塔を暗い紫色に浮かび上がらせている。


 瑛人は壁に背中をつけ、膝を抱えて蹲るようにして座った。


「ついてないなあ」


 思わずぼやいて目を閉じる。こうなるならば、家のベッドでふて寝していた方がましだった。つくづくついていない。まるで呪われているみたいだ。


 雨脚はいっこうに弱まる気配がない。もうどれほどの間、そうしていただろう。ふと、何かの気配を感じて、膝に埋めていた顔を上げたと当時、一際強い閃光がやぐらに差し込んで、間髪を入れずに轟音が轟いた。


 びくりと肩を震わせる。どうやら近くに落ちたらしい。少し様子を見ようとして、腰を上げる。やぐらの入り口へと足を踏み出す。その爪先が、何かを蹴った。


「何これ。箱?」


 意外にも滑らかに研磨された石の床の上、両手に余る程度の大きさの長方形の小箱が転がっている。先ほどまではなかったはずだ。落雷の衝撃でどこかから落ちてきたのか、それとも風で外から転がってきたのだろうか。


 瑛人は箱を拾い上げる。空なのか、拍子抜けするほど軽かった。


 木製の箱らしい。装飾のない、ぶっきらぼうな印象のそれは、乾いた土に塗れて汚れている。瑛人は深く考えずに土を払い、蓋を開ける。その時だ。


「うわっ⁉」


 顔面に、空気の塊がぶつかり左右に割れて吹き去った。反射的に、箱を抱くようにして蓋を閉じる。


 一瞬しか見えなったが、中身はやはり空で底が見えていたはずなのに、中から何かが飛び出してきた。錯覚ではない。何か、濃密で重苦しくて、どろどろとしたものを内包するような塊が。


 ――寂しいのかい。


 瑛人の耳朶を、少し高い男の声がそっと撫でた。飛びずさるようにして振り返る。何者の姿もないのだが、声はねっとりと続く。


 ――お友達が欲しいのかい。それとも。


 ふわり、と生ぬるい風が吹く。瑛人の荒んだ胸にそっと寄り添うように、優しい声がした。


 ――誰かに復讐したいかい?

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