リリス・リリアンは死んだ魚の眼を夢に見る

吏可

1. リリスのパンケーキ(side 真魚)


リリス・リリアンは高位の悪魔である。


 愛らしさを前面に押し出した顔立ちに、どこか幼さを滲ませた仕草に反した豊満な胸。白い肌を際立たせるように流れるカメオ・ピンクの髪色は春先を連想させた。色香で男を惑わせ堕落させる、悪魔の中の悪魔と言ってもいい。

 高く伸びやかな声さえも彼女の武器だ。リリスが耳元で愛を囁いた男達は、たちまちリリスの虜となり自ら彼女の餌になりたいと懇願し始める。

 所詮彼女にとって人間など、食事である精気を蓄える器でしかない。群れを成し、彼女の美貌の下で歓喜にうち震える者は多くいた。人間も、同じ魔界に住む者も、ひれ伏す膝の先は同じ。

 リリスは多数の者から求婚を申し込まれる身だ。それでも、どれだけ美しい花を贈られ高価な宝石を献上されようとも、リリスがそれらを受け取ることは一度もなかった。有り余る好意は彼女にとってわずらわしいものでしかない。彼女の偽りの愛は食事前の儀式上での言葉に過ぎず、そこに心など一欠片ほどもないのだ。リリスが自分以外の誰かを愛したことなど、今世において一度もなかった。




「人間なんて、私にとってエサでしかないのよおばかさん」


「なぁに、私を好きだと言ったくせに、この程度の宝石で私を射止めようって?笑わせないでちょうだい」


「うふふ。貴方ごときの身分で私と結婚するなんて、恥という言葉を知らないのかしら」


「驚いちゃった、あんまり幼稚な口説き文句だったものだから。ねぇ、子守唄より退屈な詩をありがとう。もう二度と会うこともないでしょうけど」


辛辣で、傲慢で、ただただ美しくあるリリス・リリアン。

 彼女に当たって砕けて砂となった男は星の数ほど。かの魔界のトップ、魔王さえも、彼女を射止めることは不可能ではないかと囁かれる始末。

 しかし、そんな散っていった星くず達の囁きは、全て杞憂に終わる。




 彼女は恋をしたのだ。



 

 死んだ魚のような眼をした、人間の少女に。











ep1. リリスのパンケーキ




・・・・・


「まーおちゃんっ」

「………」

「ま、お!」

「………」

「おーきてっ!まお!朝でーすよ!」


 澄んだ朝に鳥の鳴き声。視界の明るさは正しく朝が来たことへの証明だ。覚醒と同時に余分な重みを感じる。鳥の鳴き声に混ざって自分を呼ぶ声が、甲高く鳴いて肩を揺さぶった。


「…んんぁぁ……うぅ…るせぇ~~…」

「んふふ、おはよう真魚♡」


 盛大に眉を寄せながらうっすらと目を開けると、目の前にはスイカくらいあるんじゃないかってくらい大きな胸が揺れていた。性別が違えば興奮するだろう状況も、目の前の相手を知っている以上舌打ちしか出てこない。

 寝ている人間に覆い被さる能天気そうな顔を思いきり睨み付けて低く唸った。


「…どいてくんない?」

「やーん」

「やーんじゃないんだよ、乳邪魔、髪も邪魔」

「寝癖ついてる真魚も世界一可愛い♡」

「聞いてんのか露出魔。乳どけて」

「揉む?」

「帰れ」


 リリスのピンク色の長い髪を押し退けて無理やり起き上がる。残念そうにベッドから下りるリリスはフリルでデコレーションされたベタなエプロンを着て、上機嫌に鼻唄を歌っていた。

 エプロンの下はどうせ水着みたいな、露出魔の名に恥じない布切れしかつけていないのだろう。初めて会ったときからそうだ。大きすぎる胸の先と下半身を、水着程度の布面積で最低限隠した格好であたしの前に現れた。さすがに通報しようかと思ったほどだ。

 なので結局、今現在もエプロンをつけたところで裸エプロンにしか見えない。お尻の付け根から生えたしっぽは何が楽しいのか、犬みたいに左右に揺れてる。


「今日の朝ごはんはねぇ、リリス特製パンケーキ~~!」

「うっわ…朝からそんな甘いもの入るわけないでしょ…」

「真魚のはバターだけにするから大丈夫ぅ。もう弟くんは食べてるからね、真魚は私があーんしてあげる♡」

「いらない」


 パジャマのまま脱衣所へと向かう。ふわふわと浮きながら後ろをついて回るリリスは新妻気取りであれこれあたしの世話を焼いた。歯磨きをすればコップを用意され、顔を洗えばタオルを差し出され、まさに至れり尽くせり。何故ここまで尽くしてくるのかなんて、世話を焼かれるあたし自身が一番わからない。 

 リリスは言う。あたしのことが、真魚が好きだと。

 臆面もなく、ただ真っ直ぐに伝えられた好意を、あたしはずっと拒絶している。

 だって、どうせほぼ不老で、長い年月を生きる悪魔の暇潰しでしかないんだろう。悪魔は人間の魂を堕落させて地位をつける、とか聞いたことあるし。特に抜きん出た才能があるわけでも、社会的地位があるわけでもない平凡なあたしの魂が、リリスにとってどれだけ役立つのかわからないけど。

 その言葉を安易に信用するほど、あたしは子供でないのだ。




「おはよー姉ちゃん」


 身支度を済ませてリビングへ行くと、一足先にパンケーキを頬張る弟のルカがいた。手元のお皿にはチョコレートソースやカットフルーツがたくさん盛られている。

 昨日切ったばかりの髪、ルカの大きなアーモンドアイがよく映えていた。あたしの可愛い弟。


「おはよ、ルカ。パンケーキおいしい?」

「うん。リリスちゃん料理上手」

「えー!!嬉しい!ありがとうルカくんっ」

「あたし一枚でいい」

「はぁい、飲み物は?オレンジジュース?」

「うん」

「夫婦じゃん」

「うるさい」


 ルカもあたしと同じく表情は乏しい。表情筋があまり働かないからほぼ無表情だし、声のトーンも同じくらい平坦。よく死んだ魚の眼って言われる。

 まだ小学生のルカの教育にはよろしくない、その最たる存在がリリスだと思うけど、初めて魔族であるリリスを見たときのルカの第一声は「寒くない?」だ。弟がその程度で済ますものだから、何かもういっか、って気持ちになる。

 甲斐甲斐しく、勝手知ったるキッチンの設備を使いこなすリリスの姿にももう慣れたものだ。

 ルカと二人並んでリリスのパンケーキを食べる。バターがじわじわ染みてく部分を切り取って、ゆっくり口に運んだ。


「おいしい?」

「うん。重いかと思ったけど、わりと入るわ。びっくり」

「んふふ、よかったぁ」


 いつのまにか向かいに座っていたリリスは、綻ぶように頬杖をついて笑った。何がそんなに嬉しいのか、別にこの程度の世辞とも呼べない言葉なんて、言われ慣れてるだろうに。いや、それ以上の賛辞なんて、山ほど浴びてきただろう。

 リリスはあたしの前を陣取って、もくもくと食べ続ける様子をただじっと見ている。人の食べる姿なんて眺めて何が楽しいんだか。

 ふと目の前の皿から視線を変えると、リリスが食卓を囲んでいるだけだということに気付く。


「食べないの?」

「え?」

「リリスの分。焼いてないでしょ」

「うん、いいのよ。これはだって、二人のために焼いたんだもん」

「何それ。…ほら」

「えっ」


 半分くらいになったパンケーキを一切れ切って、リリスの前に差し出す。リリスは戸惑ったように視線を揺らした。


「早く」

「え、えぁ、でも…」

「えい」


 何か言い淀んでいたリリスの口に無理やりパンケーキを突っ込んだ。ぱふ、なんて間抜けな音を立ててリリスの小さな口に吸い込まれていく、狐色のパンケーキ。ちらりと覗いたキバが、ちょっとだけ可愛く見えた。


「うわ、そういえばあーんじゃんこれ。リリスの発想と同じことしちゃった」

「姉ちゃんて素でひどいよね」

「何でよ」

「リリスちゃん大丈夫?」


 心配そうにリリスに声をかけるルカに次いで視線を向ければ、リリスは縮こまって顔を真っ赤にしていた。は?と思いながら声をかけようとしたら、びくんと大袈裟に肩を揺らす。


「何その顔。まずいの?」

「……んん、ゃ、…お、おいしい、すごく…」

「ふ、自画自賛うけんね」

「姉ちゃんて素でひどいよね」

「あれ?二回目?」


 茹でられたみたいに真っ赤になって、あたしから目をそらすリリスと呆れるルカ。ただパンケーキを分けてあげただけなのに、何だというのか。

 萎れていくリリスはもじもじと足の先を合わせていた。何だこいつ、露出魔みたいな格好してるときは堂々としてるくせに。

 

「好きな人にされたらそうなるよ」


 弟はエスパーだったのかもしれない。あたしの思考を読んで、他に言いたいことを塞き止めるようにココアを一気飲みした。好きな人、だなんて。こんな、こんなことは、友達とだってやるでしょう。

 リリスの恋を疑うあたしとは対照的に、ルカはリリスの言葉を信じてる。バカなことを、とお互いが思っているんだろう。


 だって、あたしはまだ、リリスを信じきることができない。


「…リリ」

「っあたし!!買い物行ってくる!」


 がたん!と大きな音を立ててリリスは立ち上がる。エプロンを放り投げて、慌ただしく窓から出ていった。


「学校!いってらっしゃい!晩御飯期待してて!気を付けてね、まお!愛してるっ!」


 ばさり、と背中から魔族らしい黒い翼を生やして、リリスは早朝の太陽に向かって飛んでいった。熱烈な愛の言葉を置いて。

 なんだそれ。愛してるは照れずに言えるのに、ほんとなんだそれ。バカじゃないの。


「好きな人に言うのと言われるのって違うじゃん。姉ちゃんわかってないなぁ」

「だから心を読むな」

「俺もう学校行こっと」


 パンケーキの匂いとリリスの残り香が混ざって、甘い匂いの充満するリビング。ほんの少しの気まずさといたたまれなさにため息を吐いた。

 あたしも、そろそろ着替えて学校に行かなくちゃ。リリスの買い物なんてどうせすぐ終わるだろうし。

 窓の鍵を閉めたところで、はたと気付く。




「…スーパーまだ開いてないじゃん」

   

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