アイの呼び声

はじめアキラ

アイの呼び声

「よくものうのうと顔を出せたわね」


 僕ももう、中学生だ。それでも剣呑な声にはどうしても体が震えてしまう。

 実際、久しぶりに会った母は、落ち窪んだ目でぎょろりと僕を睨んでいた。


「あの子の三回忌じゃなかったら、こんなところに来なかったわ。どうして?どうして来たのよ、ねえ。あんたのせいであの子は死んだのに!」

「おい、やめろ!」


 固まったように動けない僕の手を引っ張り、父は母に言った。


「いい加減にしろよ。一番辛いのが誰だと思ってるんだ」

「はあ?」


 自分を産んだはずの母は、少しだけ嘲るように目を三日月型に歪めた。自分の方が辛いのにと言いたかったのか、それとも何を馬鹿なことを言ってるんだと見下したのか、どっちだろう。

 いずれにせよ、僕はもう彼女の顔を見ることができなかった。集まった他の親戚達の目が痛い。突き刺さるような視線とは、まさにこのことだ。


――どうして来たのかって?……決まってるじゃないか。


 僕は父さんの服の裾をぎゅっと掴んで、ただひたすら俯いていた。


――僕のせいで兄さんは死んだんだから、当たり前だろ。


 ああ、でも。本当は来るべきでなかったのかもしれない。きっと、此処にいるほとんどの人が思っているはずなのだから。

 僕が生きているのは間違っている。生きているべきは、兄さんの方だったのに――と。



 ***




 兄弟といっても、色々なタイプがいるだろう。双子とそうでない兄弟はやはり大きく違うのだろうし、性別の違う兄弟も独特な関係性があるに違いない。

 僕達の場合、年が離れていたから喧嘩友達のような関係になることはなかった。むしろ、面倒見がよくて優しい兄さんは、僕にとってはもう一人のお父さんみたいなところがあったかもしれない。

 兄さんは、僕とは何もかも違っていた。年下の子供達に本当に優しくしてくれたし、小学生がやるような遊びにも笑顔で付き合ってくれた。友達をまじえて兄さんと一緒に鬼ごっこやゲームをしたことも一度や二度ではない。そしてただ面倒見がいいだけではなく、運動も勉強もできてめちゃくちゃイケメンという超ハイスペック。

 だからこそ、母さんにとっても自慢の息子だったのだろう。ジェニーズ事務所のオーディションにこっそり応募したら書類審査通っちゃったのよ!話と有名な大学のスポーツ推薦にもう声がかかってるのよ!話と学年トップを三回連続で取ったのよ!あたりの話は母さんの三大自慢話の一つである。まあ、兄さんはそんな母さんに少々辟易していたようだが。

 だからこそ、僕はそんな兄さんを尊敬すると同時に劣等感を抱くことも少なくなかったのである。僕は兄さんと比べるとチビだし、顔も地味だし、運動も勉強も平均的にしかできない。それでも何か一つ得意なことがあれば違ったかもしれないが、ものすごく絵が上手いとか絶対音感があるとか習字ができるとかそういうこともない。精々、小説とも呼べないような拙い文章をノートにひっそりと書くくらいだった。作文で先生に褒められたことはあるけれど、何か賞を取ったり特別な文集に乗ったりしたことがあるわけでもなし。


『何で兄さんはなんでもできるのに、僕は全然そういう才能がないんだろ。僕も、兄さんみたいな天才が良かったな』


 昔。僕が肩を落として兄さんにそうぼやいたことがある。すると兄さんは、うーん、と少し渋い顔をして言ったのだった。


『俺は天才じゃないし、天才って言われてもあんま嬉しくないなあ』

『なんで?天才って、才能があるってことだよ?褒められてるんだよ?』

『褒められてるかもしれないけど、才能って努力で得たものじゃないだろ。俺は、自分が努力して頑張ったことを褒められた方が嬉しいな』


 僕はよくわからなくて首を傾げた。どちらも褒められていることには変わりないのに、とそう思ったのである。

 でも。


『例えば。ほら、異世界に転生したらすごいスキルを貰って、魔王もモンスターもばったばった倒せるようになりました!っていうアニメとか流行ってるだろ?そのばったばった倒せるような“最強になれる力”は、女神様に与えられたものなわけだ。つまり、自分で努力して得た力じゃない』

『うん……』

『その女神様から与えられた最強の力で魔王を倒して、可愛い女の子に“強くてすごいのね”って褒められた時と。最初は凄く弱かった勇者が、ものすごく訓練して強くなって魔王を倒して、可愛い女の子に“ありがとう、あなたのおかげで助かったわ”って褒められるの。颯希さつきはどっちの方が嬉しい?』

『あ……』

『な?努力して頑張った力で目標を達成して、それを認められる方が嬉しいだろ?つまり、そういうことなんだよ』


 確かに、いくら褒められても“自分が頑張って手に入れたわけじゃない”力では嬉しさも半減かもしれない。もちろん最初はチヤホヤされて嬉しいかもしれないが、いずれそれも空しくなるだろう。


『努力して得た力と、そのために頑張ってきた自分は、けして自分を裏切らないんだ。だから、俺は勉強褒められるのは嬉しいんだよなー。お前は気づいてないかもしれないけど、俺全然頭良くないし物覚えも悪いんだぜ?ちょー頑張って勉強して学年トップ取ったわけ。って自分で言うのも恥ずかしいけどさー』


 その話を聞いて、僕は兄さんを誤解していたことを知ったのだ。兄さんは、僕が思っているほど万能の人ではなかった。天才は天才でも“努力の天才”だったのだ。だからこんなにもカッコ良かったのだ、と。

 その時は、ますます兄さんのことを尊敬できたのである。――数年後、その兄さんのひたむきさがかえって辛くなるとは、思いもよらなかったけれど。

 五年生のクラスで、僕は酷いいじめに遭うことになった。前の学校で最悪に評判が悪かったいじめっこが、よりにもよって僕のいるクラスに転入してきてしまったためである。そいつは、地味で大人しいチビの僕に目を付けた。僕は兄さんに心配をかけたくなくて、毎日殴られた傷を隠して学校に通い続けたのだった。

 とはいえ、勘のいい兄さんがいつまでもそんな僕に気づかないはずがない。ある日、兄さんは僕に“隠していることがあるなら教えて欲しい”といつもより強く尋ねてきた。心配してくれたのだと今ならわかる。でも、兄さんに隠しておきたい意地と、いじめられっぱなしの悔しさと、兄さんなら解決できたかもしれないのにという劣等感から――僕は、兄さんに酷いことを言ってしまったのだ。


『うるさい!兄さんに僕の気持ちなんかわかるわけない!』

『颯希!』

『うるさい、うるさい、うるさい!兄さんなんかだいっきらい、消えちゃえよばか!僕が兄さんのせいで、いつもどんだけ惨めな想いしてるか知らないくせに!!』


 あの時の兄さんの顔は、忘れられない。本気で傷ついて青ざめていた兄さんを置いて、僕は家を飛び出した。それはやぶれかぶれもあったけれど、いじめっ子に呼びだされていて行かなければいけなかったというのもある。奴らは小学生とは思えないほど狡猾だった。トイレで撮った僕の恥ずかしい写真を、SNSでバラまくぞと脅してきたのだ。言う通りにしないわけにはいかなかった。そんなものバラ撒かれたら、もう二度と外を歩けなくなってしまう。

 ガキ大将どもは、僕に度胸試しをするように要求した。車がびゅんびゅん走る二車線道路に飛び出して、向こうに渡りきってみせろと言ったのである。僕が怖気づいていると、ガキ大将は焦れたようで、僕の背中を思いきり突き飛ばしてきたのだった。


『うわあああああああああ!!』


 今思えば、完全に殺人未遂だろう。小学生だから罪に問われないとしたら、そんなの法律が間違っているとしか思えない。

 トラックに轢かれる寸前、僕は兄さんの声を聞いた。




『颯希――!!』




 そして。

 僕は何故か生き残り――世界から、兄さんはいなくなってしまったのだ。




 ***




「母さんが言ったこと、気にしなくていいからな。気にするな、っていうのが無理なのはわかってるけど」

「……うん」

「今日は、お風呂に入ったらすぐに寝なさい。疲れてるだろ」

「……うん」


 家に帰った後で、父さんは僕にそう言った。気を使われているのはわかっているけれど、僕はそんな父さんにぼんやりとした返事しか返せなかったのである。

 兄さんが死んだことで、家族はバラバラになってしまった。原型を留めないほどぐしゃぐしゃになってしまった兄さんの遺体は、ただでさえ兄さんに依存気味だった母さんの精神を破壊するのに充分だったのだろう。彼女は、そのままおかしくなってしまった。何度も何度も、何であんたの方が死ななかったのと詰め寄られた。最初は傷ついて泣いていた僕も、次第に諦めた。――実際僕自身も、その通りだと思っていたから。

 能力的に見ても、将来性も。圧倒的に、生き残るべきは兄さんだったはずである。T大に入り、有名な研究室からも声がかかっていた兄さん。生きていたらきっと、世界中の人を救うような凄い研究者になっていたことだろう。親戚の人達も、きっと同じことを思っている。兄さんと比べたら僕なんて、見た目も能力も月とすっぽんどころではなかったのだから。

 結局一緒に住んでいることはできなくなり、母さんは何度も精神病院に入退院しながら僕達と別居することになった。兄さんの三回忌で久しぶりに顔を合わせてしまって、今に至るというわけである。治療を頑張ってはいるものの、母さんの状態は最後に見た時から全然変わってないようだった。


「あのさ、父さん。もし……」


 毎日の仕事と、母さんの世話、親戚への対応。疲れきっているのは、父さんも同じはずだった。僕は自分の部屋に入る直前、父さんに言う。


「もし、僕がいなくなって、代わりに兄さんが帰ってきたら……嬉しい?」

「颯希……」


 父さんは、泣きそうな顔をして僕の頭を撫でた。


「滅多なこと言うもんじゃない。忘れるんだ、今日のことは」




 ***




 死んだ人に、夢の中で会えるおまじない。ネットで見つけたそれは、実に胡散臭いものだった。


『この魔法陣とその人の名前を書いた紙を枕の下に入れて、呪文を唱えながら眠るだけでOKです。真っ白な世界に、貴方が会いたい人が立っています。

 ただし、貴方が死んだその人に会うためには代価が必要になります。代価は後払いです。

 しかも、代価の内容は貴方が会ったその人が決めることになります。

 もしその人が、貴方に死んでほしいと願ったのなら、貴方はその人に会った代償で死ななければなりません。貴方の代わりに現世に帰りたいと願ったなら、貴方はその人の代わりに死者の国に行かなければならなくなるでしょう。

 ですので、そのリスクを承知した上でこのおまじないを実行してください。

 できれば、貴方を恨んでいる人には会わないことをおすすめします』


 もし、相手が自分を恨んでいたら。恐ろしい代価を要求されることも覚悟しなければいけない。兄さんが僕を恨んでいる可能性は充分にあった。だって死ぬ直前に、僕は今まで散々世話になった兄さんにあんな酷いことを言ってしまったのだから。

 せめて、仲直りだけでもしたかった。もう一度会えたなら謝れるのに。そう思ったことは、何度でもあったけれど。


――嘘くさい。


 僕は魔法陣と名前をノートの切れ端に書きながら思う。


――こんなネットで見かけたおまじないが、本当なわけない。でも。


 それでも、その晩試してみようと思ったのである。母さんに罵倒されるのは慣れていたつもりだった。親戚に冷たい目を向けられるのもわかりきっていたことだった。それでも。

 思った以上に、僕は弱くて。今日のことがきっかけで、三年間堪えてきたものがぷっつりと切れてしまったような気がしたのである。

 兄さんが死んでから、三年も頑張った。だからもういいじゃないか、と。


――だから、兄さん。僕を恨んでいてもいいから……願って。


 紙を枕の下に入れ、僕はベッドに入った。


――僕の代わりに生き返りたいって、そう望んでよ。その方が絶対、世界は上手に回るから。




 ***




「……き。さ……き。颯希!」


 懐かしい声がする。僕ははっとして、瞼を開けた。見ればそこは、本当に真っ白な何もない世界である。そこに、僕はぽつんと一人立っているのだ。


――え、え?あのおまじないは、本当だった?それとも、おまじないのこと考えて寝たから、それっぽい夢を見てるだけ?


「颯希」


 ゆっくりと、振り返った。そこには、死んだ当時の姿のまま――大学生の兄さんが立っている。ちょっと長めの茶色がかった髪、切れ尾の大きな瞳。そして、優しい声。

 あの日と何も変わらない、兄さんの姿がそこに。


「にい、さ」


 中学生になったはずの僕は。気づけば、小さな子供のように泣きだしていた。


「にいさ、お兄ちゃん、うわああああああああん!ごめんなさい、ごめんなさい!」


 そして。暫くそのまま、兄さんの目の前でわんわんと泣き続けたのだった。収まるまでどれくらいの時間が過ぎただろう。気づけば僕と兄さんは並んで地べたに座り、僕は兄さんに背中をさすられていたのである。


「落ち着いたか?ったく、大きくなったなって言おうとしたのに、昔みたいに泣いてんじゃねーっての」

「泣くに決まってんじゃん、馬鹿兄貴……」

「はいはい。死んじまった俺が悪いですね。すみません」

「……それも違うんだけど」


 何で、こんな調子が軽いのか。こっちは色々覚悟しまくって会いに来たというのに。


「最後の言葉、謝りたくて。だから来たってのに、何でそんないつも通りなわけ。つか、もうちょっと僕に怒ってもいいんじゃないの。僕のせいで兄さんは死んだんだからさ。せっかくT大に受かって、大学院からも声かかってて、将来安泰だったってのにさ……未練ないのかよ、未練」


 僕のことばに、んー。そりゃ、無いわけじゃないけど、と兄さんは頬を掻く。


「お前を助けられなかったら、間違いなく死ぬまで後悔してただろうから。そっちの方が嫌だったわ」

「馬鹿じゃないの。何で僕なんか」

「弟を兄貴が守るのって当たり前だろ?しかも十歳も年下なんだぞ?お兄ちゃんお兄ちゃんって慕ってくれるんだぞ?可愛くて仕方ないに決まってるだろうが」

「……マジで馬鹿じゃん」


 見返りなんか、何もないのに。僕は俯く。そうだ、こういう人だった。

 おかげで、提案がしづらくなってしまったではないか。僕の代わりに現世に帰ってくれと、そうお願いするつもりだったのに。


「母さんのことは知ってるよ」


 しかし。そんな僕の考えは、兄さんにはお見通しだったというわけらしい。


「母さんは嬉しいかもな、俺が現世に戻ったら」

「わかってんじゃん。なら……」

「でも、俺は帰らないよ。……死者だろうが俺は俺だし、自分の意思と意地がある。可愛い弟に、代わりに死ねば良かったなんて言うような人には正直愛想が尽きてるし、そんな人を喜ばせるために帰るなんてごめんだね。というか、生きている時から俺は母さんのことがあんまり好きじゃなかったし」

「え、そうなの?」

「そうだよ。だって俺のことばっか構って颯希のことほったらかしなんだもん。ムカつくじゃねーか。自分で望んで二人目の子供作ったくせによ」


 それは、知らなかった。僕は目をまんまるくする。そんな僕の頭をくしゃくしゃと撫でて、兄さんは言うのだ。


「だからさ、代価は……そんな母さんにお前が復讐するってことにしてくれ」

「ふ、復讐!?」

「おっと、そんな物騒なもんじゃないぜ、勘違いすんなよ?……お前が、俺が霞むほど幸せになることだ。自分が本当にやりたいことを見つけて、そのために努力した成果がいつか認められるようになることだ。俺は、お前にも充分その素質が備わってると思うけどな。最後に見せてくれた、“リョウマの冒険”、面白かったぜ。あれ、続き書いてどっかに応募してくれよ」

「ちょっ……」


 それは、死ぬ前に兄にちょっとだけ見せた小説だった。まだ冒頭の数千文字しか書いていない。頭の中にプロットはあるが、どう見ても十万文字は越える長編になる見込みで、書ける気がしないと諦めていたのだ。まさか、それを完成させろと来るとは。


「あ、相変わらず無茶ぶりすんな、兄貴は!」


 けれど。

 兄さんが、あれを面白いと思ってくれていた。その事実だけで、ほっこりと胸が温かくなる。あれは、書き始めるまでに何か月もかかった作品だったのだ。


――そうか。頑張りを認められるのがうれしいって、こういうことなんだ。


 顔を熱くする僕に、兄さんはけらけらと笑う。笑って、ぽん、と僕の背中を押したのだ。


「頑張れよ、颯希。俺はずっと、颯希の幸せを祈ってる。なるべくゆっくり、時間をかけてこっちに来いよな」




 ***




 正直。

 昨夜の夢が、本当におまじないの結果だったかどうかは半信半疑である。僕が考えた、都合の良い幻。そう思った方がつじつまが合うことも多いのだから。

 でも、もしそうであるならば。僕はもう、僕自身の中でちゃんと答えを出していたということになる。――僕は僕の中の兄さんを、その心を信じたいと、そう思っていたということが。


「父さん!」


 翌朝、土曜日。涙をぬぐって、僕は自分の部屋のドアを開けた。そして、キッチンで朝食の準備をしていた父さんに声をかけるのである。


「僕、やりたいことができたんだけど!」


 まだ胸は痛むけれど、それもまた貴方と生きた証だから。

 歩いて行こう。愛が呼んでいる、その方へ。

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