第24話


 夕方になる前に、支石しいしが三条邸にやってきた。


 貴近たかちかは、香宮たかのみやに逃げられたことを知っても、悠然と微笑んでいたという。


 そして、昼すぎには、びっくりするほどの量の贈り物と文を届けに来たそうだ。


 その中でも、野菜や魚など、すぐに傷んでしまうものは、みんな支石しいしが三条邸に献上した。


 これからしばらく世話になる相手へ、つけとどけの流用だ。


 貴近たかちかは気に入らないが、貧乏な嵯峨野邸にとって贈り物はありがたかった。


 もちろん、三条邸には出所は秘密だが。


「それにしても、明宮あけのみやさまが親切な姫宮で、ようございましたわね……。

 やはり父帝の徳でしょうか。

 ご縁があって、嬉しいですわねえ」


 例のごとく、脳天気に支石しいしははしゃいでいる。


 しかし香宮たかのみやは、そうそう楽天的に喜べなかった。


 そうはいっても、人の家にいつまでも世話になるのもね……。


 他人の邸で厄介になるという状態も、気を遣うものだ。


 特にこの場合、香宮たかのみやが一方的に世話になるわけなので。


 これからのことを支石しいしと相談しなければと思った矢先、先触れの咳払いが聞こえてきた。


 明宮あけのみやだ。





「姉宮さま。

 内大臣うちのおとどから、お文が届いたという話を伺ったのですが、ごらんになりました?」


 明宮あけのみやの濡れた黒羽のように美しい瞳は、きらきらと輝いていた。


 好奇心旺盛なのだろうか。


 他人の文なんて見ても楽しくなんかない……とは言い切れないと、香宮たかのみや斎宮いつきのみや寮の女房たちのことを思いだした。


 他人あてのお文だって、立派な娯楽だ。


 送るほうだって、よほどの忍ぶ恋ではないかぎり、回し読みされることを覚悟の上で送ってくる。


 しかし、話のタネにされる立場の香宮たかのみやとしては、それほど楽しいものでもなかった。


 後朝の文を気取られたらちょっとやだなあ。


 一夜を共にしたような態度に出られたら、どうしたらいいのだろう。


 渋い表情になる香宮たかのみやに、明宮あけのみやは言う。


「もしも着取ったお文なら、笑って差しあげればいいですよ。

 わたくしに来たお文をつけて、返信してしまったらいかが?」


 とりすました姫君らしいところと、どうにも攻撃的なところが、明宮あけのみやには同居している。


 これはこれで、厄介な性格かもしれない。


「まあ、とりあえず見てみないと」


 そういえば、送られてきた文を回し読みするなんて、香宮たかのみやにとっては初めての経験だった。


 なにせ嵯峨野さがのの邸で女房と言えるのは支石しいしだけ。


 家の人間は香宮たかのみやしかいない。


 文を回し読みするもなにもない。


 伊勢のほうは周りに女房たちがいたものの、さすがに斎宮いつきのみや宛に懸想文などが舞いこむ機会もない。


 女房宛のものだって数は少なく、都を離れたひなの詫び暮らしだと、よく彼女たちは都を懐かしんだものだ。


 こういうの、楽しいのかな?


 よくわかんないや……。


 迷いつつも、香宮たかのみや内大臣うちのおとどの文を開いた。


 ご料紙にたきしめられたのは、かぐわしい白檀。


 あの男がつけていた香りだ。


 すかしの模様が入っている、高級な和紙だ。


 添えられているのは、かたくつぼみを閉ざした夏の花だった。


 わざわざ、先端につぼみが二つついているものを選んだらしい。


 寄り添うような花のつぼみだった。


「……ええっと……。

 開く前の花のつぼみを無理にこじあけるのは不本意です。

 ゆっくり愛でていきたい。

 ……真の愛情は増えるものです。

 愛する女の人数分、一人への愛情も増えていくものです……って、なにこれ!」


 かあっと、頰に熱が上る。


 思わず、香宮たかのみやは悲鳴を上げてしまった。


 こんな恥ずかしいものを音読する羽目になるとは、思わなかった。


「……姉宮さまが三条邸に来たことを知つて、開き直ったのでしょう。

 わたくしのところに文が届いている話も、姉宮さまの耳に入ったことが前提のお文ですね」


 明宮あけのみやは、悔しそうな表情になる。


 一本とられたと言わんばかりに。


「さすかですね、内大臣うちのおとど藤原貴近たかちか……。

 下手な言い訳をするなら、大笑いしてやろうと思っていましたのに」


 そういえば、嵯峨野さがので隠棲をしていた香宮たかのみやと違い、明宮あけのみやならば降るように文をもらっているだろう。


 彼女は歌才にも恵まれていると聞く。


 もしかしたら、内大臣うちのおとどと歌で果たし合いでもするつもりだったのだろうか。


「たしかに、向こうのほうが上手ね。

 あなた一人に求愛しているわけではありませんが、要するにわたしも明宮あけのみやも本命だってことが言いたいわけよね。

 こう来るとは思わなかった。

 どう詰ってやればいいのか困るわ」


 香宮たかのみやは、深々とため息をついた。


「どうしようかな、返事」


「受けて立ちましょう、姉宮さま!」


 明宮あけのみやは、生き生きとした表情になる。


「あの男を、やりこめてみせます!」


「……明宮あけのみや

 この文は、わたしに来た文なのよ……?」


「だからこそです。

 内大臣うちのおとどが、二度とわたくしの姉宮さまにふらちな気を起こさぬよう、きつく仕置きをしてやらねば!」


「そう?」


 異母妹に再会したときの、楚々とした美少女という印象は、見事に吹き飛んでしまつた。


 やたら好戦的な表情が、輝くように美しい。


 ある意味、わたしと似てるっていうか……。


 血の気が多いのは血筋なの?


 主上おかみも、この半分くらい気が強ければね、もうちょっと、藤長者とうのちょうじゃの一族のやりたい放題を抑えられたのかな。


 香宮たかのみやは扇で口元を隠した。



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