第23話


「よりにもよって内大臣うちのおとどなんかに夜這いされてしまうなんて……!

 なんてことでしょう。

 姉宮さま、おいたわしい……っ」


 閑静な三条邸に、悲鳴が轟く。


 三条邸というのは兵部卿宮ひょうぶきょうのみやの邸、すなわち明宮が母宮とともに住んでいる邸だ。


「おかわいそう、姉宮さま、おかわいそう……!」


 派手に嘆いてみせているのは、香宮たかのみやの異母妹だった。


 快く香宮たかのみやを迎え入れてくれたのはありがたいが、なにもここまで同情してくれなくてもいい。


「い、痛いんだけど……明宮あけのみや……」


 力任せにぎゅうぎゅう抱きしめられると息苦しいし、骨が音を鳴らしているんじゃないかと思うくらい痛い。


 明宮あけのみやって、細いわりには力ありすぎ……。


 深窓の姫君とは思えない馬鹿力は、この華奢な体のどこから出てくるんだろうか。


「あ、ごめんなさい。

 姉宮さま」


 明宮あけのみやは、慌てて腕の力を緩めた。


「わたくしってば、つい興奮してしまって」


 うちきの袖で目元を覆い、彼女は顔を伏せがちにする。


「それにしても、 おかわいそうな姉宮さま。

 まるで物語の中の公達きんだちのように、強引でひどい男はいるものですのね」


「まあね」


 香宮たかのみやは、ため息をついた。


「とりあえず、逃れられたからよかったけど……。

 ごめんなさい、明宮あけのみや

 そんなわけで、しばらく世話になってもいいかしら?」


「もちろんです!」


 明宮あけのみやは、大きく頷いた。


「母宮さまにも兵部卿宮ひょうぶきょうのみやにも、もちろん快くご了解いただけるはずです。

 ご安心くださいませ。

 この三条邸には、内大臣うちのおとども簡単に忍んではこれませんわ!」


「邸から逃げるほどいやがられると知られたら、遊び人の名がすたるでしょう。

 内大臣うちのおとども、しばらくは無理なことはしなくなると思うの」


 香宮たかのみやは、ため息をつく。


 とにかく嵯峨野さがのから逃げなければと、布都御魂剣ふつのみたまのつるぎに夜を待たずに三条邸へと投げ文をしてもらったところ、文の返事よりも先に、明宮あけのみやが牛車を仕立ててやってきた。


 そして、香宮たかのみやをさらうように、この三条邸へと連れてきてくれたのだ。


 もちろん、貴近たかちかはそれを知らない。


 明宮あけのみやの動きが早かったおかげで、明け方になる前に嵯峨野さがのを抜けだせてよかったわ。


 現代の貴族の朝は日が昇るより早い。


 だが、貴近たかちかが目を覚ましたころには、香宮たかのみやは邸から姿を消すことができていた。


 そして、香宮たかのみやが三条邸に駆けこんでから、夜が明けた。


 今ごろ支石しいしが、貴近たかちかたちを送りだしていることだろう。


 その後、支石しいしも、この三条邸に来てくれる予定だ。


 さすがに他の家人は連れてこられないが、腹心の女房である支石しいしが傍にいてくれないと、香宮たかのみやの日常生活は滞る。


 それは、三条邸側も心得てくれているようだ。


 しかも今は普通の体ではない。


 秘密を守るためにも、どうしても支石しいしの助けが必要だった。


 この秘密がばれたら、嫁に行くどころじやないものね……。


 夜になったら男になってしまうなんて、尼寺に入ることもできない。


 斎宮いつきのみやとしてのご料地が与えられる予定で、本当によかった。


 さもなければ、自分がどうやって生計を立てられるのか、想像もつかない。


 それにしても、明宮あけのみやが素早く動いてくれて助かった。


 しとやかそうに見えるのに、香宮たかのみや並の行動力だ。


 なんとなく、血のつながりを感じてしまった。


 すでに夜は明けているおかげで、香宮たかのみやの体も元に戻っている。


 かもじをつけてしまえば、いつもどおり。


 明宮あけのみやがぴったりくっついてきたところで、香宮たかのみやの体の異変には気付かないだろう。


 しかし、三条邸に逃げこめたとはいえ、喜んでばかりはいられない。


 大内裏だいだいりにも近い三条邸周辺は、お世辞にも空気がいい場所とは言えない。


 この世の外を徘徊するものたちの気配を、そこかしこに感じた。


 邸の中ですら。


 宮中だけじゃなくて、都の状況もやっぱり異常だわ。


 香宮たかのみやにとっては、最悪の環境だ。


 しかし、内大臣うちのおとどの夜這いを回避できたのだから、文句を言えるはずもない。


「それにしても、内大臣うちのおとどはいったいなにを考えているのでしょうね。

 噂どおりの遊び人ということなのでしょうけど、それにしてもひどいお方」


 明宮あけのみやは、深々とため息をついた。


「わたくしのところにも、文が来ていましたよ。

 ぜひ、後妻に迎えたいと」


「えっ」


 香宮たかのみやはさすがに驚いた。


「そ、それはつまり、姉妹一緒に娶るってこと?」


 呆然としてしまう。


 物語の中の、好き者の悪役だって、そこまではしない。


「最低だわ。

 本当に、元斎王いつきのおうであればなんてもいいのね」


「本当に最低の殿方です」


 明宮あけのみやは厳しい表情になる。


「姉宮さま。

 内大臣うちのおとどはわたくしたちの敵です。

 徹底抗戦しかありません」


「本当ね。

 いったい、どうしてくれよう……」


 呻いている香宮たかのみやに、明宮あけのみやは冷えた微笑を浮かべる。


「昨夜のことで浮かれたお文を送ってきたら、笑ってやればいいのです。

 なにも知らないと思っているのか、と」


「お文もいらない。

 緑切りたい」


 内大臣うちのおとどのことを思いだすと、体から力が抜ける。


 というよりも、力を吸い取られるような心地になる。


 あれが当代一の権勢家の勢いというものだろうか。


 心の底から、お近づきになりたくはない。


「縁切り寺にでも、参りましょうか。

 気分転換になりますし」


 明宮あけのみやは、どことなく楽しそうだ。


 邸に引きこもっている貴族女性の生活は、変化に乏しい。


 彼女が楽しそうにしている理由も、香宮たかのみやにはわからないでもなかった。


「姉宮さま。

 姉宮さまは少しの間だけでいいとおっしゃいますが、もしよろしければ、これから先もずっと、三条邸にいらっしゃいませんか」


「え……」


 思いがけない申し出に、香宮たかのみやは目を見開く。


「そんな……。

 兵部卿宮ひょうぶきょうのみやや三条女院だっていい顔をされないでしょう」


 香宮たかのみやもわりと手段を選ばない性格ではあるのだが、さすがに明宮あけのみやの申し出にはためらってしまう。


 明宮あけのみやとは異母姉妹だが、兵部卿宮ひょうぶきょうのみややその娘である前の梅壺女御こと三条女院とは、縁もゆかりもない身だ。 I


 斎宮いつきのみやとしてのご料地からの収入が入りはじめたら、 一人でも暮らしていける。


 さすがに、「ずっと」は遠慮したい。


「……お二人は、わたくしの望みならなんでも叶えてくださいます。

 心配しないで、姉宮さま」


 明宮あけのみやは、綺麗な笑顔になる。


「そ、そう、なの……?」


「はい」


 明宮あけのみやは、やけに自信たっぷりだ。


 大丈夫かな……。


 美しい異母妹を、しげしげと香宮たかのみやは見つめる。


 輝くばかりの美少女、明宮あけのみや


 しかし彼女は実は、とんでもなくイイ性格なんじゃないだろうか……?



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