第5話 魔法にかけられて
「部長、先程の資料完成しました」
「は?」
午後の仕事開始から1時間。頼まれていた資料をまとめて提出をしたところ、椅子に座っている部長は間の抜けた声を出した。
「午前中に頼んできた資料ですよ?」
「え、いや……。ちゃんと見直しをしたのかい?」
部長は眉を潜めて私に疑う様に視線を向けてから、その資料に目を落とす。
「はい。完成してから、3回 確認しました」
なんて私が口にすれば、ダブルクリップで留められたその資料を、部長が1枚ずつ捲りはじめていく。
「無い、無い、無い……」
そして、おかしな物を見ているかの様に資料を持つ右手が震え出した。
「な、何がですか?何か足りない部分が……」
「誤字、脱字が1つも無い!!」
「……!?」
奇跡だ、なんて言葉を続ける部長。
"どんだけよ"と唖然としていれば、視界の隅に"ブッ"と吹き出した甲斐くんの姿が入った。
ムッと甲斐くんに目を向ければ、部長がわざとらしい咳払いをするから、慌てて視線を部長へと戻す。
「あー、七瀬くん。明日でいいと思っていたが……」
そう言って、部長が遠慮がちにデスクの引き出しから紙の束を取り出した。
「あ、はい」
「こっちの企画書を確認して貰って、修正、改善点をあげて貰っていいかな?」
「……え?」
「いや、次はこっちの企画書を確認して貰って……」
「さ、さっきの資料は大丈夫なんですか?」
「信じられないが、完璧だった」
「え、あ……。はい、分かりました」
確かに自分でもよく出来たとは思った。
いつも、やり直し!って怒鳴られてばかりだったから。まさか1発目でスムーズに部長のサインを貰える事になるなんて、信じられない。
もしかしたら、入社してからはじめての事かもしれない。
デスクに戻ると、甲斐くんと目が合うからなんだか気恥ずかしくなった。
でも、すぐに部長の差し出した企画書の事で頭がいっぱいになって、企画書を開いて目を通しはじめる。
部長は大袈裟だと思うけど、確かにいつもと違う私がいる。頭がやけにスッキリしていて、食後だというのに眠気さえ全く無い。
タッピングのスピードもあり得ない位に早いし、なんだか取りつかれてるんじゃないかって位に効率も良い。
「先輩、凄いですね」
「今日は気合い入ってますねー」
「七瀬さん、コーヒー置いときますね」
途中で甲斐くんや、他のか同僚の声が耳に入ってきた気がするけど、それどころじゃ無い。
信じられない位に"仕事"以外の余計な事は、私の頭の中に入ってこなかったのだ。
*
「いやー、七瀬くん!凄いじゃないか!」
私の両手を握りしめてブンブンと上下に振る部長の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
デスクの上には、さっき渡された企画書に必要な項目をリストアップしたプリント用紙。
「まさか君に誤字を訂正されるとは思ってもみなかったがね」
関心するように大きく頷く部長は、どこか満足気にみえる。
「やれば出来ると思っていたよ!今日は本当にお疲れさま!」
物凄く嬉しそうな部長の顔を見ていると、なんだか複雑な気分になった。
定時になってパラパラと職員が席を立ち始める。
部長に至っては、いつもでは考えられない程 上機嫌で帰っていった。
そんな部長の背中を見送っていれば、後ろから誰かに肩をポンと叩かれる。
「良かったですね。部長にも褒められて」
なんて台詞を淡々と口にするのは甲斐くんだった。
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