おっぱい談義と兄弟と

はじめアキラ

おっぱい談義と兄弟と

「おっぱいって、揉むと育つってほんとかなあ……」

「ぶっふぉ!?」


 突然弟が言い出した言葉に、俺は危うく飲んでいたお茶を噴き出しかけた。

 ただいま、家にいるのは大学生の俺と弟の二人だけ。二人とも学校へは実家通いなので両親と同居しているが、現在彼らは仲良く旅行に行っているので家にいなかったりする。

 昔からそこそこ仲が良いので、今みたいにリビングでごろごろしながら適当に駄弁るなんてことはザラにあるわけだが。


「……おい」


 俺は白目を剥きながら言った。


「男のおっぱいはただの筋肉だぞ、でかくしてどーする」


 リビングのソファーに座り、自分の胸をじーっと見ながら言った弟。一体どうしてそんな発想になったんだ、とつっこまざるをえない。

 ちなみに俺達兄弟は仲は良いものの、あまり似ていなかったりする。大学でアメフトをやっているせいで縦にも横にもでかいむっきむきの弟。昔から文系男子で、背はそれなりだがひょろっひょろの俺――言ってて自分でも空しくなってきた――という具合である。多分仲が良いのは、性格が正反対というのもあるだろう。やや天然ボケのきらいがある弟に、俺がいつも律儀にツッコミを入れているという構図である。


「いいか弟よ。男のおっぱいはデカくても需要はない。確かにお前はそこそこ巨乳だが!」

「そんなことないよ兄貴!梨花ちゃんは僕のおっぱいに顔をうずめるの大好きだし!ぺろぺろしたがるし!需要はある!!」

「そんな話聞きたくねえんだわ!!」


 なお、梨花ちゃん、というのが弟が付き合っている彼女の名前であることは知っている。顔写真を見たが、さらさらの長い黒髪が綺麗な美人だった。アメフトの応援に来てくれたことで知り合った、と聴いている。

 まあ、弟のことを好きになった時点で、彼女は筋肉フェチだろう。そういえば一部の女子にはおっぱい、ならぬ男の雄っぱいはそれなりに需要があると聞いたことがあるような、ないような。――筋肉がほぼ皆無の自分はだいぶ悔しいが。


「何、お前自分のおっぱい育てたいのか?既にそれなりに巨乳なのに?ていうかこれからも筋トレしまくるんだから、嫌でもでかくなるだろ……」


 一体これ何の話なんだ、と思いつつ一応会話に乗ってあげる優しい俺である。じっと見つめる先、弟の胸筋はかなり見事なものだ。シャツがぱっつんぱっつんになって胸が苦しいと言っていることも少なくない。


「なんか勘違いしてるけど、僕じゃないよ!僕はもう巨乳だから育つ必要ないの!」


 弟は立派な胸を張りながら言った。


「僕じゃなくて……梨花ちゃんの話。梨花ちゃんがちっぱいだから悩んでるんだって!」




 ***




 両親は明後日まで帰ってこないし、家事も自分達の裁量で適当にすればいい。でもって今は九月、お互い夏休みなので大学に行く必要もない。

 しょうもない会話を続けても、なんの弊害もないのだ。まあ、この話を隣の部屋の人とかがもし聞いたなら、「え、お前らアホなの?」と真顔でツッコミを入れてくるかもしれないけれど。


「そういや、兄貴には梨花ちゃんの写真、あんまり見せてなかったっけ?」

「ああ、うん。顔しか知らねえ。いい子なんだろ?」

「うん、なかなかミステリアスな美人。僕にはもったいないくらい。料理も得意だし、頭もいいし」


 ほら、と彼はスマホの待ち受け画面を見せてくれる。Tシャツ姿にジーパンの弟と、ワンピースを着た可憐な女性が映っている。長い髪をなびかせ、うっとりするような笑みをこちらに向けている彼女。なるほど、見れば見るほど美人。やや垂れ目で、大和撫子系というか、清楚な雰囲気が漂っている。


「これ、友達に撮って貰ったんだけどさ、梨花ちゃんなんだけど」


 そして、弟は超大真面目な顔で言った。


「ちっぱいなんだ」

「ああ、うん、そうね……」


 梨花ちゃんはとても綺麗な女性だったが確かにその、胸は――完全にまな板のようだった。半袖の薄着なのに、胸が真っ平でまったく影も何もあったものじゃない。どう見ても、隣に立っている弟の方が立派なおっぱいをしている。


「僕は、梨花ちゃんの胸の大きさなんてどうでもいいんだよ。貧乳には貧乳の良さがあるし美乳である方が大切だし、何より僕が一番好きなのは梨花ちゃんの性格だから!あと、胸よりも足とお尻が綺麗なことの方が男として大事だと確信しているわけで!」

「あーハイ」

「でも。梨花ちゃん本人はそうじゃないらしくて。鏡の前で胸を見て、いっつもため息ついててさ。どうしたんだ、って尋ねたら『もっと胸を大きくしたい、育てる方法ないかな』とかマジ顔で言いだしてさあ」

「あー……」


 てっきり、女の子が胸を大きくしたがっている、なんてのは男の妄想だとばかり思っていた。男性向けのエロ漫画とかラブコメなんかでは、女の子がお風呂で女同士胸を比べ合っていたりとか、それでマウントを取る場面なんかもあったりするが。ああいうのはあくまで男にとって都合の良い女、であって現実の女とはかけ離れているんだろうなということくらいは俺もわかっているつもりである。

 つまり、現実の女の子は胸の大きさなんて気にしたことはないのだと思っていた。やっぱり、多少は気になるものなのだろうか?

 まあ、まったく気にする者がいないなら、豊胸手術なんてものに需要はないのだろうが。


「梨花ちゃん顔も可愛いし、体も細いし女の子ーって感じでいいと思うんだけどさ……あ、太ももは意外とむっちりしてて、僕的にはグー!なんだけど」


 でへへ、と昔のエロオヤジみたいな顔で笑う弟。よっぽどベタ惚れらしい。爆発しとけリア充、と高校時代にカノジョと別れて以来縁がない俺は思う。


「胸だけはどうしてもコンプレックス、みたいなんだ。そういえば、梨花ちゃんが双子だっての話したっけ?」

「いんや。あ、双子なんだ、梨花ちゃん」

「うん。弟がいるのね。名前は梨音りおんくん。で、性別違う=二卵性双生児なんだけど、そのわりに二人ってそっくりなんだよな。弟くんが華奢で女顔なのが原因なんだけど。で、最近は髪の毛伸ばしてるらしいのね。喋るとちゃんと男子なんだなーってのはわかるんだけど、黙ってにこにこしてると結構可愛いんだよ。もち、僕が一番可愛いのはあくまで梨花ちゃんなんだけど、だって梨花ちゃんと同じ顔だし!」


 あ、なんだか察してしまったぞ、という俺。

 つまり、十九歳くらいの今でも、結構二人とも似てしまっている、ということなわけで。


「……弟クンと間違えられたことがあるのか、梨花ちゃん」

「そうなんだよお」


 はああああ、と深々とため息を吐く弟。


「梨花ちゃん、僕とデートする時は意識してフェミニンな服着てくれてるっぽいんだけど、普段はわりとTシャツにジーパンみたいな、中性的な私服着ることもあるらしくって。この間その格好で外出て散歩してたら、梨音くんのお友達に偶然遭遇して……」

「で、間違えられたと」

「うん。しかも喋ってすぐも『あれ?梨音くんなんか今日声高くない?』って言われる始末。いやそりゃ、梨花ちゃんはちょっと声ハスキーだけど!喋らないとわかんないってドユコト!?という。いや、そのお友達クンの目が腐ってただけかもしれないけど!!」

「あーあーあーあー……」


 理解した。

 つまり、弟=男と間違えられた原因が、胸がちっちゃいせいだと思ってしまったというわけだ、彼女は。


「僕は、梨花ちゃんの為ならなんでもしてあげたい!だから、梨花ちゃんの胸を育てる方法をなんとか探したい!」


 くわ、と弟は拳を突き上げる。


「問題は……下手に僕からこういうことを言うとセクハラとしか思われないだろうってこと!梨花ちゃん結構すぐ手が出るんだ。手も出るし足も出るしなんなら頭突きもしてくるんだ。怖い」

「頭突き!?あの可憐な女の子頭突きしてくるの!?」

「腹パンと金的も経験済みだ!」

「こええよ!」

「男の妄想漫画では、揉むと胸は育つ!みたいに言うけどさあ。流石の僕も、そんなのほんとかなーと思うわけで。かといって、豊胸手術みたいな危ない真似はしてほしくないし、お金高いしさあ」


 だから、と弟は再びスマホに指を滑らせる。やがて何かのサイトを開くと、こちらに画面を見せてきたのだった。


「こういうサプリとか使って、おっぱいをでかくするのが一番いいんじゃないかと思うんだ。なんなら、一回僕が試して、危なくないかチェックしてもいいし!」

「お前、なんだかんだいって自分の巨乳自慢だろ……」

「うん!だって梨花ちゃんが好きって言ってくれるから!僕のおっぱいプレイ梨花ちゃん大好きなんだよね!」

「だからそんな話聞かせんじゃねえよクソボケ!」


 なんで弟のベッド上での趣味をあれこれ聞かされなきゃいけないのか!呆れ果てながらスマホをひったくった俺は、数秒固まることになった。

 なんだろう、嫌な予感がする。このサプリのサイト、何度か広告で見たことがあるような。


『超強力!一日二粒飲むだけで超爆乳に!』


『お値段は一週間分無料!一か月一万円から販売してます!!』


『でっかいおっぱいでご奉仕したい方向け!』


 明らかに怪しい文章が並んでいる。そうだ思い出した。確か、このサイトは大型掲示板のエロ広告で見たことがあるものだった。

 まあようするに、出どころがかなーり怪しい。しかも。


「……弟よ」


 俺は頭痛を覚えながら言った。


「お前さっき、乳がデカいことより美乳の方が大事とか言ったよな?」

「言ったけど?」

「……これは、本当に美乳か?」


 ページをスクロールすると、AIで合成したっぽいサンプル画像が出てきた。辛うじて局部と乳首を隠しているだけの水着のお姉さんである。問題はその服装より、彼女の乳のデカさだ。

 でかい。

 どれくらいでかいかというと、彼女の股間を隠しかねない勢いで胸が突き出している。EカップとかFカップとかもはやそんな次元ではない。セクシーポーズをとってはいるが、もはや胸がでかすぎて腰やお尻も見えないってどんだけなのか。


「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」


 弟は首をぶんぶん振った。


「僕も男だから巨乳には興味あるけど!超乳はむり、むり!ここまでくるともはや異形!!こんなおっぱいモンスターはいやー!!」

「そこはまともな感性で良かった!でもサンプルは確認しような!!」


 いくらなんでも、これは誇張された画像だと思いたい。思いたいが、マジでここまで巨大な肉をぶら下げた胸を色っぽいと思っている人がいるなら、ちょっと頭から水をかぶってこいと言いたいレベルである。もはやバケモンではないか。


「う、うう……さすがに、梨花ちゃんにこんな姿になってほしくない」


 ぐすぐすと弟は鼻を鳴らす。そこまでトラウマになるなら、最初からこんなやばいサイトを見るなと言いたい。


「……胸の大きさなんて、お前はどうでもいいと思ってるんだろ?」


 とりあえず、兄として言っておくべきことはあるだろう。俺はまっすぐ彼を見つめて告げたのだった。


「だったら、それを正直に梨花ちゃんに伝えてみたらどうだ?お前が一番好きなのは梨花ちゃんの見た目より性格だし、胸が小さいとか全然関係なく彼女のことが大好きなんだろ?……お前にそう評価されてるって聴けば、彼女も少しは気持ちが晴れるかもよ」

「そ、そうかな」

「おう。好きな人がありのままの自分を好きでいてくれる、それ以上に幸せなことはないと思うからさ」


 おお、今自分、すっごくいいこと言ってるんじゃね?俺は心の中で自画自賛である。


「……うん、わかった。ありがとう兄貴」


 弟は笑顔で頷く。


「僕、正直に言ってみるよ。これからも、梨花ちゃんに笑っていてほしいからさ」


 俺は、ここですっかり失念していた。弟が超絶な天然ボケであることを。そして、絶妙に女心がわかっていないことを。

 三日後。


「うえええええええええええええええん兄貴いいいいいいいいいい!梨花ちゃんと喧嘩したああああああああああああ!『梨花ちゃんがちっぱいでも、貧乳でも、胸がまったいらでも、弟くんと間違われても僕は全然気にしないし大好きだよ!』ってちゃんと伝えたのにいいいいいいいいいいいいいい!どうしたらいいのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

「馬鹿なの?ねえ馬鹿なの?」


 なんでその言い方してブチギレられないと思ったんだオマエ、と俺は卒倒しそうになったのだった。


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