第4話 破壊、始まり 2(回想)

 虹ケ丘中への赴任が決まったとき、がっかりした気持ちもあったが、正直、嬉しさもあった。


 前任校では、吹奏楽部の顧問を2年間務めた。1年目はまったくの初心者で、手探りのままコンクールが終わった。ようやく感覚がつかめてきたのは、終盤になってからだった。

 そして迎えた2年目。課題曲に関しては、それなりに自信があった。講師の先生からも「先生、よく頑張ったね」と声をかけてもらえた。だが、結果は銀賞。生徒と一緒に泣いた。たくさん泣いた。「来年こそは」と思ったが、その願いは異動によって断たれた。


 虹ケ丘と聞いた瞬間、真っ先に頭をよぎったのは、「ここでは吹奏楽部は持てないな」だった。中川先生の存在が大きかった。あの中川先生。何年も上位大会に出場している、指導者として名の知れた人。その中川先生が来て、弱小だった虹ケ丘も初年度から金賞。B編成とはいえ、目覚ましい成果だった。私が「やりたいです」なんて、言えるはずがなかった。


 コンクールで指揮できないのは、やっぱり悔しい。でも、それでも嬉しかったのは、中川先生から“学べる”と思ったからだ。

 あれだけ努力しても取れなかった金賞。それを連続で取るその指導力には、きっと秘密がある。見て、聞いて、盗めるものはすべて吸収したい。いつか自分の番が来たとき、必ず金賞を取るために。


 実際、中川先生の部活運営からは、多くのことを学んだ。

 全員がコンクールの舞台に立てるように大編成を選んでいること。アンサンブルコンテストでは学年ごとにチームを編成し、成長段階に合わせた編成にしていること。ソロコンテストも全員参加で、校内審査会を開いて代表を決める。そして、1年生の発表会を設け、入部したばかりの生徒にも舞台に立つ機会を作る。

 一人ひとりの「頑張りたい」を刺激する仕掛けが、そこかしこに散りばめられていた。


 だが同時に、金賞のためには“冷徹さ”も必要だという現実を突きつけられた。


 たとえば、ソロパートの担当。

 どんなに学年が下でも、うまければ任せる。3年生にとって最後の大会、思い出に残るような活躍をさせたい──そんな感情が、私にはどうしてもぬぐえなかった。まして、2年生がソロを吹いているのを保護者が見たらどう思うか──そんなことまで考えてしまっていた。


 コンクールで勝つためには、それではダメなのだろう。だけど、私にはどうしてもできなかった。


 中川先生の“冷徹さ”の象徴。それが「そこ、吹かなくていいよ」だった。


 吹奏楽部では、合奏中に一人ずつ吹かせて、演奏を確認することがある。子どもたちにとっては、緊張の時間だ。

 中川先生は、音程やリズムを一人一人細かくチェックし、自分の基準に達していないと判断した生徒には、「そこ、吹かなくていい」と告げる。つまり、演奏のふりをしなさいという意味だ。


 音が外れれば外される。吹ける場所がどんどん減っていく。

 もちろん、それは“上手な生徒からも均等に削る”わけではない。結果、ある生徒は吹くところがほとんどなくなることもある。

 ときには、一生懸命練習してきたパートまで演奏できなくなってしまう生徒もいた。そこにあるのは、ただただ大きなショックだ。実際、私の前で泣き出す生徒もいたぐらいだ。


 最初は、「そういう方法もあるのか」と感心していた。でも、コンクールが近づくにつれて、ある生徒の出番が減り続けていくのを目の当たりにして、心が痛んだ。

 そして私は決めた。自分は絶対にこの方法を使わない。


 コンクールは、全員で挑むから意味がある。

 「吹かなくていい」と言われた生徒が、金賞を取って本当に喜べるのか? そんなはずがない。

 私は、ただ“良い演奏”がしたいわけじゃない。

 みんなで音楽を作りたいのだ。


 僕は2年間、中川先生と吹奏楽部の顧問を共にしてきた。仲は良かったし、得るものも多かった。でも──やっぱり、方向性は違っていたのだ。

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